量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

昨日はお台場にこの4月にできたばかりというアウトドア用品店「Wild-1お台場店」に行ってきました。我が家ではキャンプ道具は主として蘇我のスポーツXでそろえてきたのですが、今日はちょっと様子見です。
店舗自体はお台場のDECKSの中にあり、2000平米はあろうかという広い店舗。

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キャンプ用具やテント以外にも、アウトドアウェア、フィッシング用品など目がくらみそうな品揃えです。一旦入ったらとても無傷では出てこれません(笑)

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別のフロアでコールマンのテントが10張ほど張ってありましたが、来月は小川キャンパルのテントに変わるらしい。
ちなみに左に写っているオレンジの少年が、Yoshi-Tの息子こーすけです。よく見ると上の二枚にもちゃんと写ってますね。こーすけを探せ(笑)

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店舗の一角にはスノーピークのコーナーもあったのですが、その看板のまん前になぜかその小川キャンパルのチラシが(笑 店長はスノピ嫌いなのでしょうか。



結局我が家では食器や息子のライフジャケットを購入。店員さんの対応は可もなく不可もなく。さすがにスポーツX のフレンドリーさには負けますね。
その後ついでにお台場海浜公園でちょっとだけ海に親しみました。写真は海を前にしておののく少年(笑


タイトルの「DNF」とは、自転車競技でdid not finish(途中棄権)の意味です。

昨日は朝から雨の予報もあったので、あまり遠くまで行けずネズミ市内を自転車でウロウロ。ネズミーランドの回りを何周かすることにした。



まずはネズミーランドホテルの前。平日には通勤列車がこのホテルの前を通過するのだが、午前7時以降なら従業員の人たちが列車に向かって手を振ってくれる。毎朝ご苦労なことだ。

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そして多分いろんな雑誌やサイトで有名なディズニーの滝。ネズミーリゾートの北西の角にある。もしや風水を意識してこんなものを置いているのか? 地図をよく見たら、ここがネズミーリゾートの北の端だった。

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そしてここがネズミーランドの駐車場の入り口。連休初日などにはここに自動車が列をなす。今日は夏休みとはいえ普通の土曜日、しかも7時前なのでこんなもの。

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ネズミーオフィシャルホテル群。これは多分オークラ。なんだかんだで、40㎞ほど走って自宅へ。

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この後、夜の花火大会に向けて場所取りに行く。もちろん場所取りはグランドシートで。ペグダウンもばっちり。これが朝9時過ぎ。朝の時点で夕方に豪雨の予報が出ていたのだが、浦安市は「本日の開催」を決定してしまった。これ以前に中止すれば翌日開催が可能だったようだが、開催を決めたのでもう順延はなし。やるしかなくなった。



沖には台船が。ここから花火を発射するのだ。ネズミー市の中央を貫くシンボルロードよりもやや東寄り。

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そして夕刻。お隣のSさん一家と合同で観覧。打ち上げ開始は19:30だが、18:30には現地に到着してカンパーイ! ロゴスのロールテーブルはこういうときに本当に便利。飲み物が置ける。



全体はこんな感じ。コールマンのインフレータブルマットが重宝しましたが、次回からは敷物の下に入れます。焼き鳥のタレとかが垂れちゃった。



朝からヤバかった天気、19:20の段階ですでにこんな感じ。豪雨はそこまで来ている!



この15分後、明らかに北からの風に風向きが変わり、風の中に若干の雨しぶきが混じり始めた。周りの人たちは花火に集中していたが、我々家族はこの時点で撤収を決定。急いで食べ物を片付けたり、マットをたたんだりする。



この場所自体は自宅から徒歩15分の場所。撤収後直ちに徒歩で自宅に向かうが、自宅から100mのところで豪雨に遭遇。あっというまに濡れ鼠に。ネズミ市だけに!!
周囲の人に比べると、多分雨の損害は最小限だった。速めに警報を出し始めた自分としては狼少年にならなかっただけよかった。息子は帰宅後「早く引き上げてよかったね!」と30回くらい言っていたように思う。
そうだ、そのとおり。パパは凄いんだぞ!!

二十年にもわたって姿を消していたチェス世界チャンピオンは往年のライバルと対戦すると、ふたたび消息を絶った―。クイーンを捨て駒とする大胆華麗な「世紀の一局」を十三歳で達成。冷戦下、国家の威信をかけてソ連を破り、世界の頂点へ。激しい奇行、表舞台からの失踪、そしてホームレス寸前の日々。アメリカの神童は、なぜ狂気の淵へと転落したのか。少年時代から親交を結んできた著者が、手紙、未発表の自伝、KGBやFBIのファイルを発掘して描いた空前絶後の評伝。 (「BOOK」データベースより)

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今日は自分が住んでいる浦安市の花火大会。以前は自宅のベランダから見えていたのですが、今年から打ち上げる場所が変わり、隣のご一家と会場に見に行くことに。ということで、キャンプ道具・自転車を持っている私(笑)が早朝から場所取りに行ってまいりました。とはいえ小さな花火大会かつ観覧場所が結構広いため、朝のうちに行けばまあ家が建つくらいの場所は楽勝で取れます。ま、遠慮してコールマンのグランドシート(300×300)にしときました。



さてこんな暑い中、熱い男のノンフィクション。チェスの世界で孤高の世界王者、ボビー・フィッシャーを若い頃から彼のチェス仲間だった筆者が綴っている。とにかくプライドが高く、金に対する執着が激しいとか、あるいは統合失調だと言われたこともあり、非常に付き合いにくく友達も少なく、最後は2006年にアイスランドで淋しく世を去った。

その戦歴だが、1963年のアメリカ選手権で伝説となっている11戦11勝で全米王者に、1972年王者ボリス・スパスキーを破って世界チャンピオンになっている。その後約20年間、西海岸で半ばホームレスのような生活を送るが、1992年にユーゴスラビアの銀行家からの招請に応じユーゴの地でスパスキーと再戦。ところがこれが当時の米国のユーゴに対する経済制裁違反とされ、以来米国には帰らずハンガリーやスイス、日本、フィリピンなどを歴訪し、2001年に日本で旅券法違反で拘束されるが、かつて世界選手権を開催したアイスランドから救いの手が差し延べられ、アイスランドを終の棲家とした。

本当に毀誉褒貶の激しい人物であるし、誤解もあるが原因のかなりの部分は本人にあるように読める。'72のモスクワでの世界選手権の際は冷戦の最中ということもあり、対戦に際してキッシンジャーから激励の電話がかかってくるほど、国際情勢の中でも重要な位置づけとされていたようで、本人も米国代表選手という気概があったようだ。しかし帰国後は脱税問題で政府と対立したこともあり、反動で反ユダヤ・反米主義者に。ようするにものすごく純粋な人なのだ。

'72の世界選手権の際に、条件を吊り上げるために最後まで出場を渋ったことで金の亡者のように言われているが、'75の防衛戦では一転、会場やルール設定で自分の意見が入れられなかったことに抗議して300万ドルをふいにしてまで試合を降りている。どうも金そのものが欲しいわけではなく、金額が自分に対する評価だというこだわりのようだ。ルールについても、従来のルールでは序盤に優勢になると残りのゲームが消化試合となってしまうため、エンターテイメント性を高めようという狙いがあったようだ。しかしこういったこだわりも、あまり正しくは理解されなかった。

いろんなチェスの強者が「フィッシャーが最高だった」と言っているようで、チェス以外ではまったく幸せにはなれなかった主人公だが、チェスではこれ以上ない栄誉を得たのではないか。あまりうらやましくはないが・・・ 栄誉と引き換えにいろんなものを失った男の話です。

こんな人です。
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ボビー・フィッシャーという複雑な人間を、遠慮することなく、かといって突き放すわけでもなく丹念に描いている。☆☆☆。

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