刑務所に送るか送らないかを決めるのは、遺族。
裁判で執行猶予がついた判決が出たときに、被害者や遺族が望めば、加害者の反省具合をチェックし、刑務所に入れるかどうかを決定できる制度「執行猶予被害者・遺族預かり制度」が始まって38年がたっていた。30年前、その制度の担当係官だった経験があり、今は大学の講師として教壇に立つ井川。彼は、「チャラン」と呼ばれるいい加減な上司とともに、野球部の練習中に息子を亡くし、コーチを訴えた家族、夫の自殺の手助けをした男を憎む妻など、遺族たちと接していた当時のことを思い出していた。
加害者を刑務所に送る権利を手に入れた時、遺族や被害者はある程度救われるのか。逆に加害者は、「本当の反省」をすることができるのか。架空の司法制度という大胆な設定のもとで、人を憎むこと、許すこととは何かを丹念な筆致で描いていく、感動の長編小説。

手の中の天秤手の中の天秤
(2013/07/11)
桂 望実

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人が肉親を失ったときその悲しみをどうやって乗り越えていくのか、そのプロセスの中に加害者への憎しみや恨みが存在する。本作では執行猶予被害者預かり制度という架空の制度を設定しているところが注目されがちなのだが、読み始めてそれはこの制度の係官の目を通じることでより客観的に遺族の悲しみを描こうとする仕掛けなのだということに気がつかされる。

この制度は一種の復讐の仕組みであり、遺族は加害者への刑の執行に関与することで恨みを晴らしていく。しかし実際の世界でも、復讐で肉親を失った悲しみが直接的に癒されるわけではない。いや、癒される場合もあるのだが、それは制度で与えられるものではなく、結局は本人しだいだ。

遺族は、自分がどんなに悲しいのか周囲にもわかってほしいと思う一方で、安易な同情や応援を拒絶する。2年前の震災のときも「簡単にがんばってって言わないで」という報道がなされたことがあった。当事者でなければわからない感情はある。一方で、ふと悲しみが癒えた時に、そんな応援で実は元気付けられていたと気がつくこともある。

あまり同じレベルではないので恐縮だが、自分が以前フルマラソンに出場してゴールが近づいてきたとき、沿道の観客から「あと2kmだよ。がんばって!!」と声をかけられたことがあったのだが、実はその場所はのこり2.2kmだったのだ。正直に言うと、この応援にはカチンときた。「応援するなら正確な距離を言ってくれ!」まったく余裕がない中だとこうなってしまうのだ。同じような話を、他のマラソンランナーのブログで見たことがあるので、たぶん私だけではないのだろう。

そんなことを考えさせてくれた作品なのだが、作者の林望実、すこし1人1人のせりふが長すぎる場合があることを除けば、なかなかスムースに読ませてくれるテクニシャンである。「県庁の星」ではプロットが散漫だという批評もあったようだが、本作では逆に悲しみにはいろんな形があるということを淡々と示してくれていて、最後まで読めば筆者の言わんとするところをクリアに理解させてくれる。重ための三浦しをん(笑)

ちょっと甘めで☆☆☆☆。