量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

2013年11月

今日は滅多に触れない仕事の話です。特にサラリーマンだと、勤務先をblogで明かしている方は少ないと思います。もちろん私も(笑) でも今回は結構面白かったので、放送コードの範囲内でアップします。

土曜日は休日出勤して、会社の研修用DVDの撮影に参加しました。よくある「ちゃんとルール守れよ」的なやつなんですが、そこに私の属する部署が登場することになり、しかも私のポジションに相当する役もあるとのことなので、要するに立ち会いです。

いつも働いている職場によく似たスタジオ(笑)で撮影!! あえて写していませんが、真ん中のテーブルに俳優さんが座っています。かがみこんでいるのが監督。この人は凄い。ひとつのシーンをいくつかの角度から撮るのですが、はじめからカット割が頭の中でできているようで、カメラに対する指示もまったく無駄がありません。



それから、各カットのせりふでどこがポイントなのかも最初から決めているので、俳優に対する指示が明確で無駄がない。立ち会っていて、どのくらい時間がかかるのかわかるので楽です。今回はある俳優さんにナレーションもやってもらうはずだったのですが、業務用語が難しくなかなかOKが出ませんでした。途中ですっぱりあきらめて、違うナレーターを入れることに。その見切りも見事。マネジメント力に学ぶところ大。

それにしてもこの人たちの仕事は早い!! スピード設営、スピード撤収。見習わなければ(w
ちなみに私の役をやってくれたのはこちら。津村さん。なんと大河にも出ていらっしゃいます。



こんなナイスミドルにやってもらって、本当にありがたかったです。というか、社内で「これは詐欺だ」という声が広まらないか心配w

撮影の合間に、ちょこっと皇居を走ってきました。皇居を走るのは10年ぶり!
意外とすいてましたね。3周してスタジオに戻りました。顔出しですが、ま、本人特定できないですよね?(笑)



東京駅周辺の銀杏は、ちょっと見頃は過ぎたようです。翌日曜日にはみんなで紅葉を見に出掛けたのですが、それはまた今度。

アメリカはどこで間違えたのか。国中にあふれるホームレスや失業したワーキング・クラスを30年間追い続けたノンフィクション。
ピュリツァー賞作家が文章と写真で綴る30年間、80万5000キロの旅の記録。
ホームレスや失業したワーキング・クラスの人々、仕事を失ったり、低賃金の職しか得れず、長時間働き続けても家を借りられない、食料配給を受けなければ生活できない人たちなどを取り上げ、その暮らしぶりや思いを如実に描く。
1980年代から現在まで30年にわたる取材をまとめている。
本書の舞台の一つであるオハイオ州ヤングスタウンは鉄鋼の街だったが、80年代の鉄鋼業崩壊により多くの職が失われ、街が崩壊していく様が描かれる。その姿は最近、財政破綻したデトロイトと重なる。
後半ではウォール街で富を謳歌する人たちの姿も描かれる。
大部分の労働者の賃金は上がらないまま、富裕層1%の収入だけが上がったら社会はどうなるのか、その現実がまざまざと描かれる。
また、ワーキングクラスが保守化し、移民に対する激しい弾圧が行われる様は日本国内の排外主義の台頭と重なる。
日本が少なからず米国化していること、近い将来、日本が現在の米国に近い状況になる可能性が高いことは多くの人が認識しているところであり、日本の読者にとっても有益な1冊となるはず。

繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ―――果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ―――果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録
(2013/09/28)
デ-ル・マハリッジ、マイケル・ウィリアムソン 他

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先日の「冬の兵士」に続いて、米国の暗部に光を当てたノンフィクション。市場主義の行き過ぎから貧富の差が拡大する米国を30年にわたって行脚し、写真とともにその実情を語る。しかし本書が光を当てているのは、米国にどんな貧しい層がいるのかということではなく、その人たちがいかに希望を失っているか、という点。これでもかこれでもかというほど、人々の絶望の心境に踏み込んでいく。

産業構造の変化により職を失う人たちはいつの時代にもいる。そこにさらに、不動産価格の変動という要素が加わる。米国の固定資産税がバカ高いのも驚きだ。そしてこれまで送ってきた生活のレベルが突然下がる。手元に現金がなくなる。家が無くなる。家族が離散していく。そしていつ這い上がれるのかまったく望みはもてないまま、アルコールやドラッグに走る。

自宅を担保に借金まみれになった人のメンタリティもワンパターンだ。今の収入ででもこんな家が買える、しかも自動車も一緒に買える、家具も豪勢にできる。他人よりもいい生活ができる。そうしてローンが滞り家を、家族を失う。そこには、「金持ちか、貧乏か」とどちらかしかない。お金が幸福の尺度になっている。著者は政治に問題があるといいたいようなのだが、読んでみるとむしろ我々の側の問題が浮かび上がる。

私にも経験がある。少しいい車に乗ったりすると気持ちいい。それはそれで幸福感が味わえる。それが無理でも、車を買うときに必要も無く高いグレードを買ったりする。でも本当に280馬力必要ですか?(笑) 比較する相手がいなければたぶんそんな無駄な出費はしないのだが、社会で生きている以上、どんな人だって最小限の虚栄心は持ち合わせている。そしてその心理を最大限に利用して稼ごうとする大企業。(この辺りはナオミ・クライン「ブランドなんかいらない」に詳しい)

ようやくこの歳になって、そういう自分の欲に多少は冷静に向き合えるようになってきた。まあ子供もできて可処分所得が減ったのでやむにやまれずということもあるが(笑 でもいったん冷静になってみると、自分がいかに市場主義経済に振り回されていたかがわかる。アメリカ人も特にここ数年はそういう風潮に思い切り振り回されていたのではないか。

本書の中でも、そういった世の中に疲れた人たちが「金持ちか貧乏か」という次元だけではない、新しい価値観を模索する姿が描かれている。農業への取り組みが代表的だ。このblogを見ている人たちはもう気づいていると思うのだが、こんなストーリーをたくさん見てきた我々は、もはや企業の戦略にのせられて買わされたモノでは幸福感はえられなくなっていると思う。

決して企業の悪意(はっきり言いますが)に振り回されない、ただ物を買うだけでは得られない幸福感を測る尺度、自分自身の価値尺度が持ちたい。そんなことを改めて考えさせられました。これがアメリカ人の生活の現状を正しく示しているわけではないし誇張もあると思うが、一つの切り口であることは間違いない。☆☆☆☆。

寒くなってきたので我が家ではあまりキャンプの話題で盛り上がらなくなってきました。その代わり、この間のキャンプで失敗した焼き芋の話題は健在です。近々、水元公園のBBQでリベンジしようと言っております。

我が家の車には、スリングチェアやらタープなど一部のキャンプ道具が積みっぱなしになっているので、BBQならほとんど積み込みなしで出かけられます。でも一つ足りないものが。

と思っていたら何か届きました!



むき出し(笑
買ったものが妻にバレる(^^;;



キャンパーズ?



ジャーン!!
マスコットテーボーですよ♪
我が家はセミロースタイルなので、いろいろ使い道があります。しかもこれ、安い。キャンパーズコレクションとか、BUNDOKとか、バッタもんスレスレな感じ(失礼w)が大好きです(^^)




新しいモノはいいですね、これでしぱらくハアハアできます(笑)



裏はこんな感じ。取っ手がついてます。



畳んだらこんな感じ。軽くて薄い♪
こいつを車に積みっぱなしにしようかと。あとは炊事道具を積んだらいつでもデイキャンプ可能。ワハハハ♪



玄関開けたら2分でご飯!(古い)




意味不明でしたね…

シンプルな数式が摩訶不思議でカラフルな図形を生む、フラクタルの魔術は、数学を知らない人も簡単に魅了する。一方で、言語分布から金融工学までの広範な分野について基盤をなすのもフラクタルだ。フラクタルの創始者マンデルブロは、その理論にふさわしいユニークな人物だったが、生い立ちが詳しく知られることはなかった。彼がどのような科学者に影響を受けたか、あるいは、第二次大戦下、ユダヤ系のポーランド人として生命の危機をいかに逃れたかの詳細は、本人の手になる本書が書かれてようやく明らかになったのである。私たちの世界の見方を一新した天才、マンデルブロが死の直前に書き残した待望の自伝。

フラクタリスト――マンデルブロ自伝――フラクタリスト――マンデルブロ自伝――
(2013/09/20)
ベノワ・B・マンデルブロ

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相変わらず駄文を垂れ流しております。本書などは本当になんの脈絡もなく読んでいるので、当blogの読者の皆さんには誠に申し訳ないです。でも、量で質を凌駕するには、読んだ本は全て記載するということで…


えー、自分もそんなに詳しくないのだが、まず「フラクタル」という概念がある。これは自然界の中には規則性が無いようで規則性あるものがあり、それは数学的に再現が可能だという考え方だ。









はい。これだけでは何のことかまったくわかりませんね。私も自分が何を書いているのかわかりません(笑




よく例えに出されるのは、空から見た海岸線の形。日本列島を空から見ると、日本のいろんな場所の輪郭は各々非常に入り組んだ形をしている。でも、その縮尺を100倍にしてみると、あら不思議、おんなじ形が出てくることがある。要するにスケールの異なる相似形なのだ。具体的な図形としてはこんな感じ。

koch6.png


同じように、為替レートの変動も日々の動きと10年間の動きが同じ形をしていることがある。これも相似形であり、相場には記憶があるらしく、自己相似とか言っている。この形を描き出すのがフラクタル理論で、これを使うことで金融商品の価格の動きを説明することが可能になる。      ・・・らしい。

マンデルブロその人は、若いときから「ケプラー的活躍」をすることを夢見ていたらしい。ケプラーは惑星が楕円軌道を描いていることを説明し、天体の運動に合理性を与えた。すなわち世界を変えるような発見をしたい、理論を打ち立てたい、ということだそうだ。

マンデルブロはもともとポーランド生まれだったのだが、迫害を逃れてフランスに渡り、フランスの最高学府に入学するが数学界での権威主義にすぐに嫌気がさし、2番目の学校に転入。そこで、純粋数学ではなく応用数学と理論物理学の狭間をさまよい、やがてアメリカに渡りIBMの社員となる。そしてフラクタルをコンピューターも活用しながら自然界の動きを描き出す理論へと完成させていく。異端であることを尊しとしてきた人だ。

欧州の知の巨人と言われる科学者には、第二次大戦で祖国を失ったり、家族が迫害を受けたりした人が多い。一般の人の回想も面白いのだが、学者はより直裁だ。不快なことは不快なこととして回想する。そういったことを読むと、当時の欧州の状況がどのようだったのか、一般的な歴史の本を読むよりもより実感を伴って理解できる。

まあフラクタル理論がどうやって生まれたのかもわかることになってますしね・・・・彼のお陰でカオス理論の研究は急速な進歩を遂げ、気候変動がコンピュータで計算できるようにもなりました。この絵はもしかすると見たことあるかもしれません。

20090109-02.jpg


本書では数式は出てこないし、数学の定理が分からなくても内容は一応理解できる。しかし本当の天才って、特定の分野に縛られないですね。あらゆることに応用がきく。受け売りですがライプニッツはレンズ職人だったそうです。
☆☆☆。

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めずらしく少し重い仕事を抱えてちょっと憂鬱。でもコースケが起きている時間には帰ってこれるので、本当に大変な人からすれば、何を贅沢なって感じだろう。

でも昨日は家についた瞬間に思わず大きなため息をついてしまった。そんなことはめったにないのだが。
それを聞きとがめた妻が「どうかしたの!?」と聞いてきた。

でもそれに続いてコースケが
「どうかしたんでしょ(^^」。





ありがとう、息子よ。
パパは大丈夫だ。心配するな。







してないか…







最近、左の肘が痛い。
特に、会社の社員食堂でトレーを持つとジンジン痛む。トレーを落っことしそうだ。



仕方ないので社内の診療所へ。

俺「肘が痛いんですが」
医「何か思い当たる節はありますか?」
俺「ありません」
医「毎日反復して何か重いものを持ったりしてませんか」
俺「ないです。強いて言えば食堂のトレーくらいですかね。それより重いものは持ったことないです」
医「(にこりともせず)そうですか」
俺「…(突っ込めよ)」


やむを得ずもう一発かます。

俺「やはり毎日はやめた方がいいんでしょうか
医「なにをですか?」
「昼食を」
「…」



コースケなら
「じゃあしばらくランチは控えてみますか」
くらいは切り返したはずだ。
企業の診療所には、うちの息子くらい洒落が通じる人間が必要だと痛感した。




こんな内容で笑いが取れるのか、心配だ…

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