限界費用がゼロになった時、労働が無くなることで人間性が失われる、という福音派キリスト教徒が世界各地で猛烈な抵抗運動を繰り広げた。これに対し新たな社会の到来を切望する各国のキリスト教以外の宗教の信者が大連合を組み、抵抗派と賛成派でもはや内戦と呼べないレベルの戦闘が各国て繰り広げられ数万人規模での犠牲者を出した。世界はこれを「限界費用ゼロ戦争」と呼んだ。

これまで何世紀ものあいだ力での支配を行ってきたキリスト教徒諸国は、まさか自分たちの宗教の教義である職業召命感ゆえに追い詰められるとは思ってもみなかったであろう。最終的にはローマ法王が「職業召命感とは経済価値を得る行為に限られない」との宣託を発することで両派は和解に至った。つまりは、労働とは金を稼ぐことではなく、なんらかの形で世の中の役に立つことをすることと解釈されることになった。

実際にはこういう宗教的な議論の裏側に、資本による支配をあきらめられない強欲な市場主義者、功利主義者の存在があったようだ。が、事業体が税金を通じてではなく自ら労働者(いや、いまや労働しないのでただの人間)に対して直接配分する仕組みが作られたことで、彼らさえも個人の富そのものを放棄せざるを得ないことを理解したのだった。そうして世界の力関係は大きく変化することになった。労働分配率が大きく変化した。

そしてそんな騒動があったことが嘘のように、実際に労働が無くなっても人類は全然平気だった。特に、日本人が世界一勤勉な国民であったのはどうやら当時の世の中の風評に追随していただけのようで、いまや惰性生活ランキングでも世界中でモザンビークの次に怠惰な国民と認識されている。そしてそんな国において、何もしていない人は本当に何もしていない。

限界費用ゼロ化前、今から100年前にオレの曾祖父ちゃんが書いていたブログを読んでみると、曾祖父ちゃんは日本のそんな風評にもかかわらず当時から勤勉ではなかったようだ。なにせ40代に始めたマラソンにはまり、5年間ほぼ毎日ブログを更新し続け、本も毎月20冊読んで、曾祖母ちゃんとも週に1回以上はよろしくやっていたらしい。いったいいつ仕事をしていたんだろう。

一方で限界費用ゼロ化に最後まで抵抗していたキリスト教諸国は相変わらず熱心に色んな人の役に立つ活動をして、それをせっせとブログに書き綴り多額のPVを獲得している。ただ限界費用ゼロ化に際して武器の製造や取引もすべて排除されたので、いくらPVを獲得してもそれが国家間の戦争やテロの資金になることはない。こうして人類は絶滅を免れた。




シューズをアウトドアモードに切り替えて外に出る。今の科学の力なら屋外も屋内と同じように清潔で汚れない環境を作ることは可能なんだが、できるだけ自然を残すためにはしょうがない。人間、土にはできるだけ触れていたいのだ。だから外出する際のシューズの切り替えはいまだに必要な儀式なのだ。

サイバースペースの発達で、人間はどこに住んでも困らない便利な社会に一度はなった。でも仕事そのものがなくなると結局人間はフェイスツーフェイスの接触を好むものらしい。マツヤマもオレの近所に住んで、時々一緒に走ったり練習をしたりしている。もちろんいまだに物質伝送なんていう夢物語は実現していない。

さっき呼び出したらマツヤマも練習コースに来るようだ。スタート地点までゆっくりアップジョグで向かう。春の風がほどよく肌に心地よい。風は走るのに邪魔になるほどではない。2㎞ほど走ってスタート地点に着くと、マツヤマはもう来てストレッチを始めていた。

「よう、入れ替え戦」
「うっせー」
「今日はロング走でいいか」
「うん、先々週でシーズンも終わったし、今日はゆっくり行こう」
「はい。じゃあ、スタート」

最初はキロ4:00で入る。マラソンペースがキロ3分弱のオレたちにしてみたら、まさにジョグのペースだ。話をしながら走るだけの余裕がある。

「今日のブログの出来は?」
「まあギリギリ残れる感じかな」
「お前の文章は堅いんだよ。ランニングのことばっかりで」
「お前みたいにランニングのことほとんど書かないのよりましだ」
「いいんだよ、ブログはPVさえ取れれば」
「そのうちシティの市長から注意されるぞ」
「行政側にしたってPV全体が増えたほうがいいんだよ。成長は正義だからな」

そもそも投資という概念が存在しないので、いくら仮想通貨経済が成長したところで何の意味もないし、物に値段が無いのでインフレになる心配もないのだが、やはり動物の本能として獲物が大きくなるのはだれしも嬉しいらしい。パイが増えるとそのうちカテゴリーの定員も増えるんだろうか。

通貨システムが消滅し仮想通貨経済が成立すると、これまでの経済理論は完全に死滅した。そりゃあそうだ。そもそも生産に投入する資本とか材料とか労働とかを計る手段がないんだから。それにいくら計算しても、需要と供給が不一致になること自体がありえない。この経済ではすべてがオンデマンドなのだ。

それに何もしなくても安全に暮らしていけるようになると、人間の欲望自体が縮小していく。かつてはあんなにたくさんの種類が必要だった衣服も、最近はだんだん世界統一デザインが増えている。まるで20世紀のSFみたいにみんなが同じ格好をしている。それで差異化できなくてもみんな平気になってきたようだ。そして一部の人間だけがブログを書いて得たPVで着飾っている。

だからこんなに平和で医学が発達して人間の平均余命が極端に伸びても、世界の人口は70億人で止まったままだ。そう、人間の生存本能、子孫を残す本能はそこまで低下していた。
20170918ブログ村