THさんが降格人事について赤裸々に語って下さったので、催促したオレも書かないわけにはいかない。実はオレは実質降格を二度食らっている。学習できていない、全然懲りていないのだ。以下にその経緯を書くが結構暑苦しいので閲覧注意です(笑)
一度目の降格は、あれは新ビジネスのために取引先との間で作った合弁の準備会社に出向したときのこと。その新ビジネスの検討フェーズから担当の課長として関わっていたオレはその開業のためのプロジェクトの実質リーダー。でもまだ40過ぎだったので、一応10歳近く年上の部長がその会社の社長になった。さらに経営企画部長としてなぜか同世代の課長が発令された。
社長、経営企画部長ともに実務についてはそれほど明るくない。なんと言っても新事業のコアになるのはシステム。二人ともシステム開発に関わった経験なし。この時点で正直暗い気持ちになった。たぶん何事も一から説明しないと話が進まない。そしてこの経営企画部長がイチイチ張り合ってくる。一応、その上の担当役員にも相談してみたが「この体制をちゃんと回せばお前は成長できる」とか言ってらちが明かなかった。最善の体制で臨むのがビジネスだと思うんだが・・・
実際にプロジェクトが始まってみると、システム開発のために採用した新興ベンダーが提供するパッケージソフトにはいろんな問題があった。その結果、新ビジネスの開業が当初予定から1年遅れることになった。社長が体調不良を訴えて入院したのはその日の夜だった。
当の役員も準備会社に飛んできて、プロジェクトの対応を議論していたその時、オレは不用意にも例の経営企画部長を難詰する言葉を吐いてしまった。その瞬間に担当役員の顔色が変わった。社会人には色々タブーはあるが、上の者の前で下の者同士が言い合いをするというのもその一つ。嫌う人は多い。
その3日後、オレは本社の人事担当者から呼び出され本社に赴いた。てっきり今回の諸々について事情聴取されるのかと思ったら、いきなりプロジェクトを即日外れろとの仰せ。もう天地がひっくり返るかと思った。そもそもオレ無しであのプロジェクトは進むのか?その後で面談した担当役員曰く「キミにはコミュニケーション能力が欠けている」。
それにしたって、オレを外してプロジェクトが進み始めるわけでもないだろう。自分のサラリーマン人生の集大成になるはずだったプロジェクト。それを奪われて明日から何を仕事にすればいいのか。絶望感にさいなまれていたところ、別のある役員が種明かしをしてくれた。まあ細かいことは省くが、要するに権力争いに巻き込まれたとか、プロジェクト延期のスケープゴートにされたとか、そういうことらしい。大いに凹んだ。といいながらその直後にトモコとの結婚も果たしたのだが(笑)
そういえば最近突然解雇された人がいましたね。やっぱり不自然だよね。彼の気持ちは良く分かる。まさに「梯子を外された」感。
ということで出向する前は本社で課長、この別会社では部長だったオレだったが、プロジェクトを外されて本社の平社員に逆戻り。その後しばらくして課長にまでは戻ったが、結局この件で×がついたオレの昇格はある時点で頭打ちとなった。
その時に思ったこと。実質的にリーダーというポジションを引き受けた時点で、オレはサラリーマンとしてのリスクも取ったのだ。それなりの規模の会社なので、物事が動くときに色んな人の思惑が絡むのは当たり前。それに対して脇を固めて十分に自分自身を守れなかったオレには、サラリーマンとしての能力が欠けていた。実務レベルでいくら実力があっても、そんなことでは自分のやりたいことをやったり、一緒に働く仲間を守ることはできない。
それにしても昇格が頭打ちになったのは本当に辛かった。それから5年近くその思いに悩まされた。なんというか、全人格を否定された気がした。あれに比べたらフルマラソンの40kmの辛さなんて屁でもない。マラソンは肉体の苦痛に過ぎない。
その後も降格騒ぎがあったんだけど、それは完全に巻き込まれ型。といいながらオレの脇の甘さもあったな。学習できてない(笑)
でもいよいよこれ以上の昇格は仕組み上も無理だと分かった時、ようやくオレは頭を切り替えることができた。そう、会社が人生なんかじゃない。だいたい全員が勝ち続けられるわけではない。たとえ社長になったって晩節を汚す人は多くいる。だからこれは勝ち負けなんかじゃなくて、会社がオレに付けた記号に過ぎないんだ。だいたい会社に人の人生を値踏みする権利なんてない。自分の値打ちは自分で決めればいい。
そう思ったら、お先真っ暗だったサラリーマン人生が急に違ったものに見えてきた。それがちょうどフルマラソンを再開した頃のこと。たんに頭の中で割り切れただけでなく、マラソンとブログもオレの再生を手伝ってくれた。同時にこれまでの自分のサラリーマン人生も肯定的にとらえられるようになった。それまで以上に、目の前の仕事に真剣に取り組むようになったかも。
オレの仕事の話とか、うまくいったことの話が暑苦しくてウザいのは、多分こういう経験の反動です。でもチャレンジしてこうなったんだから、その結果は受け止めようと今は素直に思う。それに色んな経験をしたおかげで、転職再就職先では重宝されている気がする。何がどう役に立つかわかんないですね。(自ら勤務先を退職して自分で就職先を見つけたように読めるので修正しました。元勤務先からの斡旋による再就職です。普通に転職する度胸はありません)
だからやっぱりサラリーマン諸兄には、今の場所でベストを尽くそうよって思うのだ。サラリーマン生活が終わるときに後悔しないように。余計なお世話だけど。会社を辞めさえしなければ家族は守れる。オレもそこは守った。どんなに悔しくてもネガティブな理由では会社は辞めなかった。
これまでの勤務先を今月末で正式に退社するので、この話ももう書いていいかなと思い、切っ掛けもあったので書いてみた。かなり暑苦しくなったので、今週は「限界費用ゼロ社会」はお休みです(笑)
一度目の降格は、あれは新ビジネスのために取引先との間で作った合弁の準備会社に出向したときのこと。その新ビジネスの検討フェーズから担当の課長として関わっていたオレはその開業のためのプロジェクトの実質リーダー。でもまだ40過ぎだったので、一応10歳近く年上の部長がその会社の社長になった。さらに経営企画部長としてなぜか同世代の課長が発令された。
社長、経営企画部長ともに実務についてはそれほど明るくない。なんと言っても新事業のコアになるのはシステム。二人ともシステム開発に関わった経験なし。この時点で正直暗い気持ちになった。たぶん何事も一から説明しないと話が進まない。そしてこの経営企画部長がイチイチ張り合ってくる。一応、その上の担当役員にも相談してみたが「この体制をちゃんと回せばお前は成長できる」とか言ってらちが明かなかった。最善の体制で臨むのがビジネスだと思うんだが・・・
実際にプロジェクトが始まってみると、システム開発のために採用した新興ベンダーが提供するパッケージソフトにはいろんな問題があった。その結果、新ビジネスの開業が当初予定から1年遅れることになった。社長が体調不良を訴えて入院したのはその日の夜だった。
当の役員も準備会社に飛んできて、プロジェクトの対応を議論していたその時、オレは不用意にも例の経営企画部長を難詰する言葉を吐いてしまった。その瞬間に担当役員の顔色が変わった。社会人には色々タブーはあるが、上の者の前で下の者同士が言い合いをするというのもその一つ。嫌う人は多い。
その3日後、オレは本社の人事担当者から呼び出され本社に赴いた。てっきり今回の諸々について事情聴取されるのかと思ったら、いきなりプロジェクトを即日外れろとの仰せ。もう天地がひっくり返るかと思った。そもそもオレ無しであのプロジェクトは進むのか?その後で面談した担当役員曰く「キミにはコミュニケーション能力が欠けている」。
それにしたって、オレを外してプロジェクトが進み始めるわけでもないだろう。自分のサラリーマン人生の集大成になるはずだったプロジェクト。それを奪われて明日から何を仕事にすればいいのか。絶望感にさいなまれていたところ、別のある役員が種明かしをしてくれた。まあ細かいことは省くが、要するに権力争いに巻き込まれたとか、プロジェクト延期のスケープゴートにされたとか、そういうことらしい。大いに凹んだ。といいながらその直後にトモコとの結婚も果たしたのだが(笑)
そういえば最近突然解雇された人がいましたね。やっぱり不自然だよね。彼の気持ちは良く分かる。まさに「梯子を外された」感。
ということで出向する前は本社で課長、この別会社では部長だったオレだったが、プロジェクトを外されて本社の平社員に逆戻り。その後しばらくして課長にまでは戻ったが、結局この件で×がついたオレの昇格はある時点で頭打ちとなった。
その時に思ったこと。実質的にリーダーというポジションを引き受けた時点で、オレはサラリーマンとしてのリスクも取ったのだ。それなりの規模の会社なので、物事が動くときに色んな人の思惑が絡むのは当たり前。それに対して脇を固めて十分に自分自身を守れなかったオレには、サラリーマンとしての能力が欠けていた。実務レベルでいくら実力があっても、そんなことでは自分のやりたいことをやったり、一緒に働く仲間を守ることはできない。
それにしても昇格が頭打ちになったのは本当に辛かった。それから5年近くその思いに悩まされた。なんというか、全人格を否定された気がした。あれに比べたらフルマラソンの40kmの辛さなんて屁でもない。マラソンは肉体の苦痛に過ぎない。
その後も降格騒ぎがあったんだけど、それは完全に巻き込まれ型。といいながらオレの脇の甘さもあったな。学習できてない(笑)
でもいよいよこれ以上の昇格は仕組み上も無理だと分かった時、ようやくオレは頭を切り替えることができた。そう、会社が人生なんかじゃない。だいたい全員が勝ち続けられるわけではない。たとえ社長になったって晩節を汚す人は多くいる。だからこれは勝ち負けなんかじゃなくて、会社がオレに付けた記号に過ぎないんだ。だいたい会社に人の人生を値踏みする権利なんてない。自分の値打ちは自分で決めればいい。
そう思ったら、お先真っ暗だったサラリーマン人生が急に違ったものに見えてきた。それがちょうどフルマラソンを再開した頃のこと。たんに頭の中で割り切れただけでなく、マラソンとブログもオレの再生を手伝ってくれた。同時にこれまでの自分のサラリーマン人生も肯定的にとらえられるようになった。それまで以上に、目の前の仕事に真剣に取り組むようになったかも。
オレの仕事の話とか、うまくいったことの話が暑苦しくてウザいのは、多分こういう経験の反動です。でもチャレンジしてこうなったんだから、その結果は受け止めようと今は素直に思う。それに色んな経験をしたおかげで、
だからやっぱりサラリーマン諸兄には、今の場所でベストを尽くそうよって思うのだ。サラリーマン生活が終わるときに後悔しないように。余計なお世話だけど。会社を辞めさえしなければ家族は守れる。オレもそこは守った。どんなに悔しくてもネガティブな理由では会社は辞めなかった。
これまでの勤務先を今月末で正式に退社するので、この話ももう書いていいかなと思い、切っ掛けもあったので書いてみた。かなり暑苦しくなったので、今週は「限界費用ゼロ社会」はお休みです(笑)
コメント
コメント一覧 (2)
今日のブログ、何かと共感できる場面が多く私も50歳を超え、役職としては係長レベルで部下は30名ほどいます。
今年はいろいろな意味で上司とぶつかることが多く、ぶつかると言っても相手から一方的な言い分で私の機嫌が悪くなり、その態度が気に入らないというのが3回ほど。ついに先週は上司から腹いっぱいいろいろなことを吐かれました。私が悪いのも一部あるんですけどね。
キミ兄さんの「脇を固めて十分に自分自身を守れなかったオレには、サラリーマンとしての能力が欠けていた」こと、「全人格を否定された気がした」ことと重なりました。
私は降格とかは有りませんが、これから先昇格はなくとも「今の立場でやって行けるのか」を考えさせられる出来事でしたね。
今回のブログでの「今の場所でベストを尽くそう」の気持ちで新たに頑張りたいと思っています。
コメントありがとうございます。部下の方が30名ですか!それは管理スパンが広くて大変ですね。私も上司に対して気に入らない態度を示しちゃったりその逆の立場になったこともある(笑)ので、状況は何となく分かります。結構負のスパイラルに陥っちゃうんですよね。言い合うたびに同じことしか言ってなかったりして。
でも1回だけうまくいったことがあったんですよ。その時はその部下の彼が絶対に自分のミスを認めない、私の指摘も受け付けない、あんたには言われたくない、って感じになってたのである時二人きりで「小さな失敗をいちいち気にするな。別にミスしてもいいじゃん。オレもすぐに忘れるから」って伝えたら、途端に彼の態度が軟化しました。真剣に観察しているとたまにそういうこともあります。参考にはならないかな~(笑)
それはさておき、このブログが中間管理職の方に少しでも参考になれば幸いです。