TEAM50Tノースリ&Tシャツ再販4 だぞ!

締切は5月20日、だぞ!

パーカーも追加されたぞ!

そろそろ激沈Tも作るか・・・・





最近電車に乗っていると、他人に対して露骨に嫌な表情をする人が増えたような気がする。今日もやたらと後ろを振り返っている女性がいたんだけど、見ると後ろにいた別の女性の持っているスマホが背中に当たっていたらしい。なんども恐ろし気な顔で振り返ってその女性のことを睨みつけていた。

だけどオレの位置から見ると、その怒ってる女性はつり革とかにつかまってないので、カラダが大きく前後に揺れていたんだよね(笑)。あげく、電車を降りる時に後ろの女性に何やら捨て台詞を吐いて降りて行った。

「不愉快なのよ。舐めないでよ!」って聞こえた。多分本当はそうは言ってないけど、そう言ってもおかしくない、鬼のような表情でした。



かつてSNSが発達していなかったころには、世の中のできごとの善悪はテレビが決めていた。ニュースで良い者と悪い者の区別がつけられて、週刊誌やワイドショーがそれに肉付けする。庶民はその情報を受け取るだけだった。

これがツイッターだのFacebookだのが流行して、庶民は自ら裁く側に立てるようになった。上の例も実は自身にも原因があるのに、自分が嫌だと感じたことを悪だと決めつけている。不愉快に感じるというのは好き嫌いの範疇であって、それは善悪とはちょっと違う。それがゴッチャになっている。好き嫌いで正義を語っているような感じになっている。

というか、自分が嫌いなものはこの世の中から消えてほしいくらいの感情。もう怒りを通り越して憎しみになっている。「怒り」は相手の行為に対するものだが、「憎しみ」は相手の存在自体に対するもの。自分が嫌いだからと言って相手が消えてくれるわけじゃないんだが。それも忘れて感情をむき出しにするのって、傲慢以外の何物でもない。



最近はちょっとしたことで、とにかく悪者が徹底的に叩かれる。まあ正義を行使するのは気持ちイイですからね。ツイッターやらなんやらで、溺れる犬をバンバン叩く。大半の人は自ら善悪を判断できてないように見えるけど。

かつては大部分の人はそうやって嫌悪の気持ちを吐き出すところが無かったので、瞬間的にそういう感情を抱いたとしても、うまく消化する術を心得ていた。それがSNSとかで変にはけ口ができたことで、そういう感情を消化するスキルを失ってしまったのではないか。

そうすると、そうやって感情をむき出しにする人が増えると、SNSをやっていない人まで感情をむき出しにすることが伝播していく。そんな状態なんではないだろうか。もちろんSNSだけのせいにするつもりはないけど。



20世紀の終わりごろにいよいよインターネットが普及し始めるという時のこと。ある投資会社のアナリストがそれをさかんに喧伝して、乗り遅れたらだめだということをオレに説教していたのを思い出す。その時に感じたのは、インターネットが普及したら一般市民の認識や感情が同質化していかないか、ってこと。情報源が同一になればそういうことが起きてもおかしくない。

それをそのアナリスト殿に申し上げたところ、「そんなこと言ってるようじゃ乗り遅れますよ」と一蹴された。でも今や、何かが起こるとネットに参加しているみんなが瞬時に同じ思考になる時代になった。自慢でもなんでもなくて、オレが思っていた通りになった。

別に感情をむき出しにしないで慎みを持てとかいうつもりは全くないんですが、ただ1つ言えるのは、我慢できない人はそれが顔に出る。そして毎日そういう表情をしていれば、それがいつしか自分の顔になっていく。

以前も似たようなことを書いたことがあるんだけど、いくら顔立ちが美しい人(女性に限らず)でも、歳を取れば若さゆえの美しさは失われ、その代わりにそういう普段の心がけみたいなものが表に出てくる。外見の美醜に関係なく、日々満足して生活している人はそういう顔に、日々満足できずに生活している人もそういう顔になっていく。

50歳過ぎている人は特に、周囲の人間、あるいは自分がそうなっていることを実感しているはずだ。まさに顔はオトコの(オンナの)履歴書。いくら外面良くしていても、にじみ出るものはごまかせない。内臓が丈夫だと肌がキレイみたいな感じで、ネガティブな感情の消化力の強い人はいい顔をしていると思う。



楽しいことばかりじゃない、いやなことも多い世の中ですが、せめて鏡の中にはいい顔を見ていたい。家族にもいい顔を見せたいじゃないですか。今のところうちの家族は今の生活に満足してくれているようだ。毎日いい顔が見れてありがたや。

本日の走行距離:0.0km
今月の走行距離:158.5km
本日の最低体重:60.3kg
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