今日、オウム真理教の教祖である麻原彰晃の死刑が執行されたそうだ。事件からもう21年。記憶が定かでないが、1997年の1月が阪神淡路大震災、3月が地下鉄サリン事件ではなかったか。

ではなかったかというのは、最近ブログを書くときにいちいちネットで確認するのをやめようと思っているからである。なんで確認するのをやめようとしているかというと、記憶ベースに頼って書いた方が面白そうだからである。

日付を確認するとそれ以外のことも確認してしまって、すると記憶にあるもの以外のことを書いてしまいそうだからだ。正確に書くことよりも印象に残っていることを書きたい。そこをネットに頼るとそれは認識の画一化につながる。まさに限界費用ゼロ社会である。



あの年1月に阪神淡路大震災が起きて、当時東京に住んでいたオレは関西に住んでいる友人や親せきたちに申し訳ないと思っていた。東京からボランティアに行った人もいる中、何もしないのも結構罪悪感だった。ちょうどそこに起きた惨事。すこしだけ罪悪感が和らいだのを覚えている。だからこの二つの事件は同じ年だったはず。

和らいだというのは不謹慎だなと思いつつ、たしかサリン事件は月曜日の朝だったはず。当時オレ、33歳。毎週月曜日は早朝会議で8時までにオフィスに行かなければならず、普段より30分ほど早めに家を出た。そして霞が関を通過したのが多分7時30分くらい。

これも記憶ベースだが、たしかあの事件は8時前後に発生したはずだ。他の曜日ならオレが霞が関を通過していた時間帯。事件発生からしばらくたって、自分も実は危なかったんだということに気が付いた。何度か死にそうになったことはあるけど、これもある意味死に近づいた瞬間だった。罪悪感が和らいだのは多分そのせいだ。




そして日本の司法制度に則って今日刑が執行された。執行を躊躇する法務大臣も多い中、上川法務大臣はある意味さっさと執行した。賛否あると思うが、今の日本の法制度ではルール通りの執行。その観点では何の違和感もない。

でも死刑は制度による殺人だ。それも間違いのない事実。先日、北朝鮮の体制についてやや肯定的なことを書いた。日本だって150年前までは打ち首獄門をやっていたんだから、北朝鮮で処刑がされていてもそれはその国のレジーム次第。でもその意味で言えば、日本は野蛮な時代の制度をいまだに受け継いでいる。それもアメリカですらやっていない絞首刑だ。

刑が抑止力になっていないことは、日本から残虐犯罪が無くなっていないことを見れば一目瞭然だろう。むしろ死刑になりたいとまでいう受刑者までいる。特定のだれが、というつもりでは全くなく、文明的な生活を送るためにもこの国は憲法の前にまず制度としての死刑を見直した方がいいのではないだろうか。
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