今、ブログ村では禁煙がちょっとしたブームだ。というか、禁煙について語るのがブームだ。自分は禁煙という言葉をきくといつも「努力と才能」と条件反射的に思い出してしまう。



世の中の人が必死に毎日努力してなしうることを、才能のある人は大して努力もせずに簡単に成し遂げる。誤解を恐れずに言えば、日本ではバリバリのホームラン王でも大リーグに行ったら中距離ヒッターになってしまった打者Aと、大リーグでもいとも簡単そうにホームランを量産する打者B。

あくまで世の人の一般的なイメージなんで、「大谷だって努力している」とか「松井は分かっていてフィットさせた」なんていうツッコミはなしで。

本来は「その成功は先天的なものか後天的なものか」ということだったのに話はだんだん歪んできて、やがて努力しても才能には勝てない、とか「努力するにも才能が必要」とか、挙句には努力と根気が混同されたりする。さすがに根気は才能とかじゃなくてやる気の問題だろう。

そもそも努力という言葉も、単に地道に続けるというだけのことではなく本来は結果につながる努力でないと話のレベルが下がってしまい、「才能か、努力か」という比較に耐えられない。そういえば以前こんな記事を書いていた。→継続は力なり



禁煙。これは正面から取り組んだら本当に精神力を必要とする苦行だ。まさに努力が必要とされる代表みたいな話だ。そして数多くの人が取り組んで失敗しているだけにその大変さが知れ渡っている。実際に禁煙に取り組んだ人ほど「努力することの大変さ」を思い知っているであろう。

かくいう自分も20歳の時に法律に従って喫煙を始め(笑)、34歳の時にすっぱりとやめたのだが、そこに至るまでに節煙から禁煙できないか何度もチャレンジして失敗した。あれは本当に難易度が高い。

でも正面から禁煙に取り組んだのは一回きりで、それ以来一本も吸ってない。それは正面から喫煙を我慢したのではなくて、実はちょっと工夫をした。そうです。タバコは精神力に頼らなくても工夫でやめられるというのがオレの持論。



どんな工夫だったかというと、頭の中から煙草を吸っている自分のポジティブなイメージを消した。

TVコマーシャルとか映画とか小説とかで、オトコ(あるいはオンナ)がカッコよくタバコを吸うシーンは枚挙にいとまがない。それを見て我々は喫煙に対してポジティブなイメージを持つ。海に行くとタバコを吸いたくなるとかいうビジュアルなものから、朝起きぬけの一服みたいに精神的シーンまで、いずれも喫煙をポジティブにとらえるイメージだ。

オレはそういったシーンは全てタバコを吸わせるために作られたイメージだと思うことにした。その瞬間から煙草がまったく吸いたくなくなった。

確かに3日、3週間、3か月という区切りに吸いたくならないわけではなかったが、自分の中に喫煙のポジティブなイメージはない、ということを確認したら喫煙という行為自体が気にならなくなった。

さらに時間がたつと、今度は自分の中で喫煙のネガティブなイメージが大きくなってきて、喫煙のポジティブイメージをわざわざ打ち消す必要が無くなった。そこまでに約1年。これで禁煙は完了した。



いや、簡単に禁煙したオレスゲーだろ?って話ではないです。それよりも、年を取るにしたがってこういう努力を続けるための工夫の引き出しが増えてきたってことだと思う。捉え方一つで退屈な修行みたいなことが、やればやるだけ気持ちのいい行為に変わる。レコーディングダイエットもそういうことなんだと理解している。

ランニングもよく続いているが、これはランニングのポジティブなイメージを頭に刷り込んでいるからだと思う。こういう工夫する余地を自分が持っているから努力が続いているのであって、特に精神力があるということじゃない。あえて言えば「思い込む能力」だろうか。

たぶん努力の鬼みたいな人は、思い込む力も強いんだと思う。達成したいという思いが強ければ思い込みも強い。そのチカラを才能と捉えるか工夫と捉えるか。でも本当に努力をしようと決めたら、色々考えて色んな工夫をするもんだと思いますけどね。それを努力の才能と呼ぶならば、それはつまり頭を使う才能ってことになる。

もちろんそういった力だけじゃなくて、親からもらったカラダの強さとか、自由になる時間とかも無いと速くなれないんですけど、そこは捨象してください。



そんな努力の鬼たちのノウハウが満載です↓
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ

本日の走行距離:14.7km
今月の走行距離:34.8km
本日の最低体重:59.6kg