自分の地元の浦安市は今度の日曜日が市議会議員選挙。通勤時の駅前に候補者が群がって凄いです。でもあれだけ候補者がいると誰に入れていいのか分からないですよね。

でも我が家ではコースケが配られたパンフレットを1枚ずつ丹念に分析して、コースケ推奨銘柄を教えてくれるので選ぶのが楽です。あんなパンフレットって意外と情報量が多くてバカにできない。市議会なので地元密着の活動の差が分かりやすい。

例えば最寄り駅の駅前は雨の日には送迎の自家用車とバスでやたら混雑して歩いた方が速いんだけど、ここ2か月くらい交通整理の人がロータリーに立つことで混雑がずいぶん緩和されたのには気付いてた。その人がなんと某市会議員だったらしい。

自分も単純なのでそういう目に見えるものには弱い。

それ以外だと「舞浜駅前にランニングステーションを作ってディズニーランを実現」という公約を掲げた人がいた。その人いいじゃんって思われるかもしれないけど、自分がランステ作ってほしいのはそっちのランニングコースじゃないんだよな~。

あとは市内のマンホールを全部ミッキーにしますって人もいたな・・・・




人にあれだけ見られてると、色々振る舞いも難しいでしょうね。自分で本当に大事だと思っている事と、やった方が良いことがずれたりして。似たような話で、文庫本の巻末の解説ってあるじゃないですか。仕事としてやってるとこの人のはどうしても書きたくないって相手もいるでしょうね。自分がもし頼まれても子の作家だけは嫌だってのがいますからね(笑)

まあでも仕事なら好きとか嫌いとか言ってられないだろうから、例えば広告代理店だったら嫌いな政治家のプロモーションもやんないとダメなんでしょうね。全て仕事と割り切れるとは言い切れないけど、嫌いな仕事やったところで自分の仕事の価値が下がらないならいいんじゃないか。

そういう意味では最近世間を騒がせている品質偽装。あれに関わるのは職業人として辛いでしょう。あの手の不正にもピンからキリまであってちょっと過剰反応になっている面もあるので一概には言えないんですが、一生懸命やった仕事が人をだますことにしかなってなかったら辛いだろうな。うまくだましたねっていう話じゃないし。ただ空しさだけが残るような仕事は辛いだろうな。大事なことなので辛いだろうって2回言ってみた。



でも求められてやるならまだしも、いい加減な仕事で自分の仕事の価値を自分で貶めている人っているじゃないですか。あれは腹立つね。前任から引き継いだとおりにやっていたつもりなのに状況が変わって意味の無い仕事になっているのに自分も回りも気付かないみたいな。それって、自分の仕事が何の役に立っているかの意識が無いからだと思うんですよ。

自分は、自分の仕事に意味があるのかどうかについてのこだわりは相当あると思います。退屈な作業であってもそれをやることで自分の仕事の中身が詰まって行くのであれば全然平気ですね。それが無いと結果として成り立たないことってありますよね。そして仕上がった仕事の出来をみて、自分で満足に浸るってタイプです。そこでこだわって内容を詰めたことは見る人が見れば分かる。退屈な仕事ほど見てもらえることが多い気がする。

だから過程が大事だけど結果が大事でもあるんですよ。自分が評価でき納得できる内容になることをイメージしながらやる仕事はどんなに退屈でも楽しい。そういう仕事を続けていると、自分に中身を詰めていくスキルが高まっていくのを感じます。例えば職人が仕事の前に長い時間をかけて道具の手入れをするとかね。初心者ほど道具よりも早くモノづくりしたがるけど実は遠回り、みたいなね。

というか、そういう退屈な作業であってもそれをすることで仕事の成果がより良くなるかどうかを見極められること自体がスキルなんでしょうね。見極められればどんなに退屈な作業でも平気になれる。今の資格取得も、退屈な受験勉強が平気なのはそういうことかも。マラソンも同じか。

自分の仕事のスタイルはだいだいそんなとこ。

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