最近はまっているドラマ「天国と地獄」(TBS日曜劇場)。女刑事綾瀬はるかとシリアルキラー高橋一生の心が入れ替わるというのがストーリーの軸だ。そこで特に高橋一生の綾瀬はるかになり切った演技が絶賛されている。

個人的には単に一般的な女性の仕草や話し方を意識した演技であって、特に綾瀬はるかに見えたりはしないんだが(笑)

世間の評価もその辺はあいまいで「女らしい」という声と「綾瀬はるかにしか見えない」という声があるようだ。ところがそれに対して「男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダーフリーの観点から今日的ではない」みたいな意見があるのを発見した。

この場合は「ああこれはこの2人が入れ替わってるんだな」という納得感を得られるかどうかがポイントで、女らしかろうが綾瀬はるかだろうが似ていればいいわけで、「女みたい」かどうかは誰もそんなに気にしてないんじゃないか。(一方で綾瀬はるかは多分に中性的な要素が強くあの演技で似せるには難易度が高いということもある)

時節柄そう言いたくなるのは理解できなくはないが、それ言って意味あるのかって気がしなくもないかな。



そこで思い出したのが正月の箱根駅伝で話題になった駒大大八木監督の「オトコだろ!」発言への賛否の数々。あれを見て思ったことを昨日のタイトルに「オトコ」と入れたことで思い出した。スポーツ応援では「オトコだろ!」っていう掛け声はたまに見かけるのだが、少なくともジェンダーとしての「男」という意味で言っているわけではない。

そこでいう「オトコ」って、漢字で書くと「侠気(オトコギ)」のオトコだったり、クレヨンしんちゃんのお父さんが好きな「漢」と書くオトコだったりと、精神的な要素で呼びかけている。ただそれが今日的には「社会から期待されるオトコの役割」みたいで窮屈さを感じる原因になっているようなところもある。

しかしもっと言えば文明前史に人類がまだ集団で狩りをしていたころに、アドレナリンも出やすく肉体的に有利な男性が狩りをする役割を担っていた経緯があり、スポーツにおいてもその行動様式なり気質を発揮してほしくてその「オトコ」を呼び覚まそうとしているようにも聞こえるわけで、もしかすると女性であっても「オトコになれ!」って言われて意気に感じるスポーツウーマンもいそうじゃないですか。

こういう背景もある中で、それを文明の中で生じたジェンダー問題に結び付けて批判するのは、人類の歴史に思いが至っていないし文明の発祥に対する共感も足りないように見える。単に対立点が増えるだけで生産的じゃない気がしますよね。

もちろん狩りの時代にさかのぼったからと言って、現代のジェンダー問題が解決できると言っているわけでもありません。マイノリティへの理解や配慮は必要だが、生物学的、遺伝的な問題を多分に含んでいるので、そういった理解もないと話が前に進まない気がするし、たぶん議論してもつまんない。



今日は日中に走りました。風はちょっと強かったけど湾岸ではいつもの事なので快適に走れた。
2月中はタイムは追わないが、いい感じに盛り上がってきた。



本日のスクワット:0回
本日の走行距離:16.3km
今週の走行距離:48.7km
今月の走行距離:292.8km
本日の最低体重:57.9kg
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