量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

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防府マラソンエントリー失敗。

これまでエントリーがむつかしそうな大会を避けてきたので、いざ失敗してみるとかなりショックを受けています。

昨年はカテゴリー3(サブ3.5)は数時間の余裕があったと思うのですが、今回は10分。大阪のサトさんが10分弱でエントリーできたらしい。やはり私が昨年エントリーした効果でしょうか(笑)。ああ、防府でサトさんと一緒にサブ3したかった!!



そもそも自分が大会銀座である11月ではなく12月の大会を選んでいたのは、夏の終わりに普通に走れるようになってからの練習期間を勘案してのこと。普通にペース走できるようになるのはだいたい10月になってからなので、11月終わりの大会だとテーパリングを考えると1か月しか練習期間が無い。本当は2か月くらい30km走をガンガンやりたい。その観点で10月21日のアクアライン、11月3日のぐんまマラソンを練習として入れていたほど。

今シーズンは12月の防府と3月のはなももの2本で勝負と思っていたので、防府にエントリーできなかったときのことを全く想定していなかった。他にどんな大会があるのかすら知りません。でもエントリー失敗をツイートしたら、親切な皆さんが色々情報をくださいました。さの、さいたま国際、などなど。でもサブ3チャレンジなんでフラットなコースがいいんですよね・・・



実は最近、大きな大会がかなり面倒に感じている。有名な市街地を走るというだけで人気を博して、あらゆるレベルのランナーが集まる。そしてエントリーも難しくなるし、スタート前のトイレも混む(笑) その意味では防府は人数も少ないしトイレも混まないし、非常にいい大会だったのだ。強いて言えば遠いことだが、実家の近くなのでその抵抗感も無い。

同じ意味では別大も気持ちのいい大会。唯一の弱点は飛行機でしか行けない事。翌日が山口で仕事だったりすると、そのまま電車で行けるのでこれはありだ。はなももの1か月以上前なので、一応近接エントリー可能。Take先生には怒られるかもしれないが。

そういう観点からは、マラソンカテの人からは「?」って思われる可能性大だが、12月15日に彩湖で超マイナーな大会がある。フルの部は前回は100人弱だったらしい。RUNNETの大会レポを見てもそれほどネガティブなコメントも無いので、これも選択肢かなあと思っている。だってオレ、走れたらなんでもいいんだもん。公認である必要もない。スタートロスもゼロだろう(笑)

と思ってたら加古川というご意見を頂いた。定員も6500人なのでいい感じ。加古川だと宿泊は姫路かな? しばらく皆さんの過去ブログを徘徊してみますね。



鎌倉侵攻作戦とか防府マラソンとか、今シーズンはちょっとついてないな~。もういっそマイコースで42.195km走るか!

今日はエントリー失敗した瞬間にやけ酒飲み始めました。
今日は許して(笑)
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今日職場のランチの時に、なぜ今回の豪雨でみんな逃げ遅れたのか、という話になり「マスコミの注意喚起が中途半端なのでは」「有線放送も雨音で聞こえなかった」「雨量がすごくてあっというまに水かさが増えた」などの意見の中で「この雨は、溜まると首までつかる雨量です、っていえば通じた」というのがあって、なるほどと思った。数十年に一度という言い回しは去年かそのへんで聞いた気がするし、確かに雨量1,000㎜のインパクトを伝えるにはそれが一番いいかもしれない。



ところで、今日JR西日本のサイトを見ていて思ったのだが、3路線で「変電所浸水」と公表されている。仕事がら変電所が浸水しているのは聞いていたのだが、公表されているのなら言ってもよかろう。オレのとなりに座っている変電所のプロに聞いたところ「浸水すると、変圧器とかは完全オーダーメイドなので復旧に時間がかかる。電化区間の変電所はバックアップはない」とのこと。島田変電所、本郷変電所は時間かかるかもしれませんねえ。 「平成30年7月豪雨」にともなう長期間の運転見合わせについて



で、自分が面白いブログを書いてもいないオレではありますが、書けない僻みで物陰からそっと面白いブログを見つめてきたので書いてみる。それなりにまとまっているとは思う。名選手必ずしも名コーチならず。いや逆か(笑)

でも、自分が面白いと思うブログは村のランキングとそれなりに一致しているし、もう5年以上村のランキングを見てきたので、そんなに違ってないと思う。なお色々勝手なことを書きますが、タイトルにあるようにあくまで私見です。まあ私見を述べたところで誰に迷惑がかかるとも思わないが。

自分が思うに、面白いブログには三つの要素があると思う。これは自分の好みがどうこうということではなく、より普遍的と思われる特徴を書いてみた。



一つ目は文章力。これは絶対必須な条件。どんなに面白いことを考えていても、それを日本語で伝えるスキルがなければ面白さが表に出てこない。言いたいことに必要な言葉を割り当てる「語彙」もここに含まれる。なお、面白い言い回しを思いつけるというのも面白い文章の要素の一つではあるが、それはどっちかというと後述する2点目に入るかもしれない。

ちなみにまったくの蛇足だが、自分の場合は内容が難しくなればなるほどより簡単に伝える自信はあるが、それはビジネス用のスキルであってブログでは全くの無用の長物。逆に余計なことを説明しすぎて面白くなくなる。ことほどさように、文章力は必要条件ではあるけど十分条件ではない。

ついでにいうと、知識量もブログの面白さにあまり関係しない。少なくとも知識を前面に出すよりも、それをどう料理するか、どういう切り口で見るかの方が大事。オレがちょくちょく失敗するヤツ。



二つ目。個性的な切り口、観点。これは先日もあるブロガーが書いていた。「ああ、そういう切り口があるか!」っていうときは結構悔しい。おんなじ題材でも視点によって見え方がガラリと変わる。

これは真似ようとしても真似られるわけではない。強いて言えば凡庸なことを思いついてしまったときに「これだと凡庸だよな」とブレーキを踏める知識があるかどうか。でもそれはつまらないことを書かなくて済むというだけで、面白いことを書けるわけではない。

上で書いたように、この物事をみてこの表現を思いつく、っていうのもこれに含まれる気がする。この能力に上限はない。



三つ目は、その人なりの文章の雰囲気。文章のキャラクターが立っているか。読んだだけでその人の文章だと判るか。毎回読むたびに同じアトモスフィアに浸れるか。これがしっかりしていると、内容がシンプルでも短くても面白い。毎回読もうという気になる。これが無いと読者が定着しない。

でもどうやったらキャラが立つかって、そんなのあったらオレが聞きたい。これはカリスマ性に近い気がする。テンポラリーに何かを憑依するという方法はあるが、それって苦しい。オレもBrother Kimならキャラは立つけどあれで毎日は書けない。多分1週間続けたらキャラが粉々になる。

そしてキャラが立った文章を書く人は相対的に文章が短い。言いたいことをすべて伝え切りたい、というよりも、自分の色が出せた、というところで終わっているからか。文章が長いから面白くないということではないのだが、長いとキャラが薄まるのは確か。

あとはこれはマラソンカテならではだが、かいてる汗の量はそこそこランキングと比例するように思う。




一方これは読む側ではなく書く側の視点だが、有名ブロガー複数が異口同音に言っていたのが「自分が面白いと思うことを書く」「数人の人に面白いと思ってもらえればそれでいい」ということ。超人気ブロガーでも、そういう視点なんだというのは安心した。

ブログを書いている以上、それは不特定多数が読む可能性のある文章なので、ネガティブな反応は覚悟して書くべきだと思う。そのうえで「嫌なら読むな」と言える強さが必要では。



ところで、先日地下鉄サリン事件の発生年を2年間違えて書いた。ご指摘があったのだが、オレはそれを「某氏から重大な指摘があった」と書いた。でも別に「重大なミスです」と指摘されたわけではなく、「指摘を受けて重大なミスだと気が付いた」というのが正しい書き方だった。

実際には発生年はブログの内容には全く影響していなくて、むしろ指摘されたこと自体をオレが重大視して過剰反応したというのが本当だと思う。冷静に捉えていれば違いは書き分けられていたはず。こういうところはキチンとしないと、ちょっとずつ読者を失っていく気がする。

こう見えても読者サービスには気を使っているのだ(笑)



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30代になったばかりの頃、40歳を越えた上司が「40過ぎると体力が急に下り坂になるよ」と言っていた。40かどうかは別として、そのくらいの年齢になると、みんなそんな意識にとらわれているのではないか。

実は自分は40の壁を感じなかった。ずっと少しでも走っていたせいか。タバコもやめてかなり経つので、少し走ったところで簡単には息は切れない。むしろ最近は前日の練習のせいで階段がつらいことがあるくらいで。

40代のころは、これから自分がどのくらい老いていくのかが分からず、60代とか70代とかが未知の世界だった。自分の晩年は今とは不連続な未来だった。それだけに、晩年ってどんなものか不安でしょうがなかった。

自分は54歳だが、40前のころよりもフルマラソンのタイムがいいせいもあって、それ以降体力が落ちている気がしない。43で結婚したくらいだから(笑)

もちろん体力は確実に落ちているし、ここから先に急坂がある可能性もあるけど、なんとなく60代、70代に自分がどんな感じになるのか、予想が付いたとは言わないけど、不安はかなり薄れてきた。そして晩年は今の自分と連続した将来にあるという気持ちになってきた。

だからと言って晩年が急に近づいてきたわけではない。むしろ、距離感が正確につかめるようになって、どれくらい離れているかがはっきりわかった。

例えば先日ここで紹介したテルちゃんとは41歳離れている。中2からこれまでと同じくらいの期間が、テルちゃんの年齢までにある。もう一回高校大学行って、就職して定年近くまでいる感じ。これは相当なもんです。

できればその間、カラダが動くといいなあ。激しく動けなくてもいいから、ある程度自由には動き回りたい。そして中2から定年間際までと同じ年数を過ごす。凄い。

60歳までにサブ3を目指すよりも、晩年まで走り続ける方がなんか値打ちがあるような気もしてきた。もちろんサブ3はしたいが、それだけ老後は長い。楽しもう。

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今日もランオフ。
今シーズンの目標はとにかく無理しない事。
いつからそんな目標が加わったのか?
それは今日です(笑)

昨シーズンの終盤に体調を崩したのは本当に痛かった。
今シーズンは、カラダが嫌がる練習はしない。
まだ疲れが残っていたら走らない。
雨が降っていたら走らない。

そのくらいメリハリ付けて、走れる時にしっかり走れば多分大丈夫。
本当は今日は走りたかったですけどね。
明日、15km走をやりたいと思う。





今週のマスコミを騒がせている件で、家庭内でも揉めている。
トモコは昨日の記者会見を見て「監督が悪者に決まってるじゃん!」と吠えている。
トモコもマスコミに踊らされている(笑)

話は遡るが、麻生大臣が「セクハラ罪という罪はない」とコメントしたとき、
日本中のマスコミが問題発言だと騒いだ。

「騒いだ」と書いたことで分かるように、
自分はマスコミに対してこの件では批判的な立場だ。
大臣の言う通り、刑法のどこを探しても「セクハラ罪」なんて罪はない。

麻生氏が言いたかったのは
「刑法にもないのにどうしてマスコミ報道だけで次官が悪者にされるのか」
ということだと思う。

もちろん「セクハラが悪いことではない」と言っているわけではない。
あの次官が悪くなかったと言っているわけでもない。
でも麻生大臣の発言はなぜか「セクハラ擁護」と受け止められてしまう。

マスコミは、まず事実を報道して欲しい。その上で論評して欲しい。
なんだか最近我々は事実を聞かされる前に、
マスコミの「意見」を聞かされてしまっている気がする。

日大の件も、監督(あるいはコーチ)はどこまで具体的に指示したのか、
事実をきちんと報道して欲しい。
監督やコーチは「プレーが終わった後でもいいからケガさせろ」って言ったのか。
そこに選手が誤解する余地があったのかどうか。

ここで言いたいのは、選手が誤解したんじゃないか、と言うことではない。
それは、事実を知ったうえで、各自が判断あるいは想像すればいいことで、
でもそのためには何が事実で、何が想像なのか、きちんと区別して報道して欲しい。

だから今後日大側から、実は意図的にケガさせたという証言が出てきても、
当ブログとしてはなんら違和感を持つものではない。
少なくとも今の時点では、事実は見えてないのだから。

昨日の選手の記者会見でも、やたらと選手の「心情」を問う質問があった。
いや、そうじゃなくて、監督やコーチからどんな具体的な指示があったのか、
それを質問しろよ、って思った。
でも具体的な指示があれば当該選手が言っているよね。

あの説明を聞く限りでは、多分そういう指示は無かったんでしょう。
ならば後は「監督は指示が誤解されないようにどこまで注意したか」ということになる。
法的にいうと明示的な違反ではなく不作為や注意義務の領域になる。

繰り返しですが、だから監督やコーチが無実だというつもりはないです。
でも、事実をおろそかにしてどうやって事の善悪を判断できるのか。
それが後回しになってしまっている現状が問題だと思っているのです。

現実はドラマではない。
だから、結末で悪役が「実は私はこういう悪意を持っていて・・・」とか
告白したりなんかしない。
現実の世の中は、そんなに簡単に白黒つけられない。
だから、事実をきちんと見つめる必要がある。

「もし自分の家族が日大監督だったらどこまでそれを言える?」

なかなか納得しないトモコにオレが言ったセリフです。
身内の立場を想定したら、一方的に悪者にされてると見えるかも。
もしかしたら見えないかも(笑)



オレが好きな小説家で吉村昭という人がいる。
小説家なんだけどほとんどノンフィクションみたいな作品が多くて、
「桜田門外の変」という本を書いた時なんて、
当日は何時まで雪が降っていたかを徹底的に調べた。
安政年間の話ですよ。
桜田門外ノ変
吉村 昭
新潮社
1990-08



それは実際に雪が何時まで降っていたか知りたかったわけではなくて、
討ち入りがあったその時、雪が降っているのといないのでは、
切り合いの実態が変わっていたからだということらしい。

確かに雪が降っていれば視界も悪いだろうし、
攻撃側(水戸藩側)にとっては不利だ。
それで小説の書き方はずいぶん変わるはず。



「戦争広告代理店」という名著がある。


ボスニア紛争の時、セルビア人を悪者に仕立て、ムスリムが無辜の被害者に見えるように、ムスリム側が広告代理店にプロパガンダを依頼したという内容だ。

もちろん実際にセルビア人が無辜だったということではない。でもムスリムも本当に無辜だったのかは分からないのだ。それほどまでに、善悪というのは見る人によって変わる。



みんなもう、日大の監督が悪者だっていう目線で見てるから無理かもしれないけど、
自分のその認識がどこでどうやって形成されたのか、
ちょっとくらいは疑ってみたらどうだろうか。

自分もサラリーマンとして、悪者に何度も仕立てられたので、
こういうことってあるよな~、と思いながら見ています。
自分の場合はその時には弁解したことは無い。
ただ時間が解決するのを待っていた。
自分は無辜だと騒ぎ立てるのはみっともないと思っていた。

しつこいようだが、だから日大の監督が無辜だということではないです。
ルール違反のタックルがあったんだから、最低でも見逃した注意義務違反はある。

先日もブログに書いたけど、日本中がこういう「白黒つけるネタ」を渇望しているよね。
だからワイドショーのコメンテーターがやたら発言する。
悪人(と思われる人)を罵倒する。

ていうか、アメフトに直接関係がある人どれだけいるんだ。
なんでこんなに日本中が騒ぎになっているのか、
それがまずわからない。
騒げそうなネタだから乗っかってるだけじゃないの?
まあオレもその1人なんだけど(笑)



でもオレが一番心配なのは、日大の他の選手諸君のメンタル。
全ての日大選手が問題なはずはないのに、今はつらい立場に立たされている。
だれかケアしてくれているんだろうか・・・


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ブログという発信手段を自分が持っていると、こういう問題に直面したときに説明をせざるを得ないなあと思った次第。普段から理屈っぽいとこういう時にしんどいですね。

やっぱり昨日の30km走のダメージは相当で、夜中にそうとうイビキをかいていたらしい。朝起きたら腰回りが強烈にダルかった。夕方疲労抜きジョグをしたものの10kmしか走れず。今月の300kmに赤信号。



先日、豊洲のららぽーとで、すらりとした体形で颯爽と歩くママ三人組を見た。まとっているオーラが半端ない。芸能人みたいなギトギト感もなく、容姿にも恵まれ、しかもさぞいい環境で育ったんだろう。そういう雰囲気が満点だった。

ビジネスの場でも、この人のマネは絶対にできない、と思わせるような空気をまとった人に会うことがマレにある。あらゆる一挙手一投足がカッコいい。目が離せない。話している内容もメチャメチャ面白い。さらにいうと余裕がある。

これは到底まねできないなというものにはいろんな種類があるんだが、努力だけで身に付けたわけではないんだろうなあと思わせられる要素も含まれている。人間が発揮する様々な能力は、大きく三つに分けられると思う。自分が努力して身に付けるもの、他人が身に付けさせてくれるもの、先天的なもの。

背が高い、手足が長い、筋肉質、やせ型、色白、なんていうものはほとんど先天的、遺伝的なもので、本人が努力してどうなるものでもない。もちろん性差もそうだ。死ぬほど頭がいい人も本人の努力というよりは先天的なものの割合が多いと思われる。

所作、言葉遣い、礼儀、作法、なんていうものは、結構育った環境の影響が大きい。裕福か貧乏かではなく、親の意識の影響が大きい。本人の努力も多少はある。

でも先天的なものだけで人間が魅力的にはなかなかならない。背が高くて顔が整っているだけでは魅力は感じない。やっぱり他人に対する思いやりとか、慎み深さとか、包容力とか、愛嬌とか可愛らしさとか。でもこうやって書いてみると、こういう性格的なもののなかにも先天的なものはありますね。生まれながらに持っている魅力っていうのもある。一方で、頭良過ぎて嫌味な奴もいるし、生まれながらにひねくれものもいる。



ダラダラ書いてきたが、努力では埋めきれない先天的な素質の個人差は存在する。いくらねたんでもやっかんでもどうしようもない。その差は認めるしかない。本人が努力したわけでもないのに不公平だ、と言ってみたところでしょうがない。

逆にそういうものに恵まれた人は、そういう授かったものを存分に活用してほしい。せっかくもらったのに活かさないのはもったいない。どんなに努力したって手に入れられない人もいるんだから。マラソンでも、最初から速い人いますよね。そういう人にはどんどん速くなってほしい。

何でこんなことを書いているのかというと、例の財務省のセクハラ事件で、女性記者の仕事の仕方が話題になった時に、「女性だから取れる仕事もある」という意見と「そういう要素があるのは既に差別だ」という否定的な意見の双方があった。

肯定的な意見を言う人が「オンナを使う」という表現を使ったので大きく失点していたが、自分は仕事上で女性としての魅力を発揮してそれを活かすことに対しては肯定的な立場だ。だって、例えば取引先の担当が魅力的な女性だったら楽しいじゃないですか。それだけで得した気がする。

この話が誤解されがちなのは、どちらかの当事者がプロではない場合、プロ意識が低い場合があるからだろう。相手が女性だからと言って、女性の魅力を性的な意味でしかとらえられないとか、ビジネス上の判断に相手に対する個人的な感情を交えるとか、そもそもリスペクトがないとか。

そうそう、我ながらいい言葉を使ったのでついでに書くと、セクハラって相手に対するリスペクトがあるかどうかだよね。

一方で、女性の方も不必要に思わせぶりな言動を取るとか、自分の魅力を性的な意味でしか発揮できないとか。ここでの肯定的な意味をそういう低次元の話と混同されては困る。もちろん先天的なものをただ自慢するのも相当品が無いけど。



でも若いうちは肉体的なもの、外見のウェイトが高いが、歳を取るにつれて内面のウェイトが高くなる。何をやってきたか、何を考えてきたかが表ににじみ出る。いつまでも先天的なもの、外見的なものにしがみついて残念な歳の取り方をしている人も多い。

まあこんなこと、みんな分かってますよね。例えば芸能人でもアイドルから本格派に脱皮するのに苦労している人多いですよね。天賦のものをいつまでもあるもの、自分の実力だと勘違いしてそこに安住していると、ある日突然仕事が無いことに気付く、みたいな。

一般人でも同じことがあるんじゃないだろうか。例えばプレーヤーからマネージャーへの移行とか。本当はプレーヤーのうちにマネージャーの素養も身に付けているべきだったのに、プレーヤーやるのに精いっぱいだったとか。

プレーヤーやってるときに、自分の上司のマネージャーの立場にも配慮していれば脱皮するのは簡単だったはず。次のステップへの移行って意外とそういうことなのかも。ま、一生懸命やってれば、なにがしか自分の中に積みあがっていくと思いますけどね。

社会人としての年輪の積み重ね方にまで話が及ぶともうきりがないですね。話を元に戻すと、まあ分かりやすく言えば、天賦のものでちやほやされるのを楽しむ瞬間も大事だってことです。それを凡人のオレはまぶしく眺めさせてもらいます。憧れは大事だけど嫉妬は自分を滅ぼす。

てなことを考えた9連休2日目でした。

本日の走行距離:10.0km
今月の走行距離:264.0km
本日の最低体重:60.3kg
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