量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

カテゴリ:●徒然 > 考えたこと

今日もランオフ。
今シーズンの目標はとにかく無理しない事。
いつからそんな目標が加わったのか?
それは今日です(笑)

昨シーズンの終盤に体調を崩したのは本当に痛かった。
今シーズンは、カラダが嫌がる練習はしない。
まだ疲れが残っていたら走らない。
雨が降っていたら走らない。

そのくらいメリハリ付けて、走れる時にしっかり走れば多分大丈夫。
本当は今日は走りたかったですけどね。
明日、15km走をやりたいと思う。





今週のマスコミを騒がせている件で、家庭内でも揉めている。
トモコは昨日の記者会見を見て「監督が悪者に決まってるじゃん!」と吠えている。
トモコもマスコミに踊らされている(笑)

話は遡るが、麻生大臣が「セクハラ罪という罪はない」とコメントしたとき、
日本中のマスコミが問題発言だと騒いだ。

「騒いだ」と書いたことで分かるように、
自分はマスコミに対してこの件では批判的な立場だ。
大臣の言う通り、刑法のどこを探しても「セクハラ罪」なんて罪はない。

麻生氏が言いたかったのは
「刑法にもないのにどうしてマスコミ報道だけで次官が悪者にされるのか」
ということだと思う。

もちろん「セクハラが悪いことではない」と言っているわけではない。
あの次官が悪くなかったと言っているわけでもない。
でも麻生大臣の発言はなぜか「セクハラ擁護」と受け止められてしまう。

マスコミは、まず事実を報道して欲しい。その上で論評して欲しい。
なんだか最近我々は事実を聞かされる前に、
マスコミの「意見」を聞かされてしまっている気がする。

日大の件も、監督(あるいはコーチ)はどこまで具体的に指示したのか、
事実をきちんと報道して欲しい。
監督やコーチは「プレーが終わった後でもいいからケガさせろ」って言ったのか。
そこに選手が誤解する余地があったのかどうか。

ここで言いたいのは、選手が誤解したんじゃないか、と言うことではない。
それは、事実を知ったうえで、各自が判断あるいは想像すればいいことで、
でもそのためには何が事実で、何が想像なのか、きちんと区別して報道して欲しい。

だから今後日大側から、実は意図的にケガさせたという証言が出てきても、
当ブログとしてはなんら違和感を持つものではない。
少なくとも今の時点では、事実は見えてないのだから。

昨日の選手の記者会見でも、やたらと選手の「心情」を問う質問があった。
いや、そうじゃなくて、監督やコーチからどんな具体的な指示があったのか、
それを質問しろよ、って思った。
でも具体的な指示があれば当該選手が言っているよね。

あの説明を聞く限りでは、多分そういう指示は無かったんでしょう。
ならば後は「監督は指示が誤解されないようにどこまで注意したか」ということになる。
法的にいうと明示的な違反ではなく不作為や注意義務の領域になる。

繰り返しですが、だから監督やコーチが無実だというつもりはないです。
でも、事実をおろそかにしてどうやって事の善悪を判断できるのか。
それが後回しになってしまっている現状が問題だと思っているのです。

現実はドラマではない。
だから、結末で悪役が「実は私はこういう悪意を持っていて・・・」とか
告白したりなんかしない。
現実の世の中は、そんなに簡単に白黒つけられない。
だから、事実をきちんと見つめる必要がある。

「もし自分の家族が日大監督だったらどこまでそれを言える?」

なかなか納得しないトモコにオレが言ったセリフです。
身内の立場を想定したら、一方的に悪者にされてると見えるかも。
もしかしたら見えないかも(笑)



オレが好きな小説家で吉村昭という人がいる。
小説家なんだけどほとんどノンフィクションみたいな作品が多くて、
「桜田門外の変」という本を書いた時なんて、
当日は何時まで雪が降っていたかを徹底的に調べた。
安政年間の話ですよ。
桜田門外ノ変
吉村 昭
新潮社
1990-08



それは実際に雪が何時まで降っていたか知りたかったわけではなくて、
討ち入りがあったその時、雪が降っているのといないのでは、
切り合いの実態が変わっていたからだということらしい。

確かに雪が降っていれば視界も悪いだろうし、
攻撃側(水戸藩側)にとっては不利だ。
それで小説の書き方はずいぶん変わるはず。



「戦争広告代理店」という名著がある。


ボスニア紛争の時、セルビア人を悪者に仕立て、ムスリムが無辜の被害者に見えるように、ムスリム側が広告代理店にプロパガンダを依頼したという内容だ。

もちろん実際にセルビア人が無辜だったということではない。でもムスリムも本当に無辜だったのかは分からないのだ。それほどまでに、善悪というのは見る人によって変わる。



みんなもう、日大の監督が悪者だっていう目線で見てるから無理かもしれないけど、
自分のその認識がどこでどうやって形成されたのか、
ちょっとくらいは疑ってみたらどうだろうか。

自分もサラリーマンとして、悪者に何度も仕立てられたので、
こういうことってあるよな~、と思いながら見ています。
自分の場合はその時には弁解したことは無い。
ただ時間が解決するのを待っていた。
自分は無辜だと騒ぎ立てるのはみっともないと思っていた。

しつこいようだが、だから日大の監督が無辜だということではないです。
ルール違反のタックルがあったんだから、最低でも見逃した注意義務違反はある。

先日もブログに書いたけど、日本中がこういう「白黒つけるネタ」を渇望しているよね。
だからワイドショーのコメンテーターがやたら発言する。
悪人(と思われる人)を罵倒する。

ていうか、アメフトに直接関係がある人どれだけいるんだ。
なんでこんなに日本中が騒ぎになっているのか、
それがまずわからない。
騒げそうなネタだから乗っかってるだけじゃないの?
まあオレもその1人なんだけど(笑)



でもオレが一番心配なのは、日大の他の選手諸君のメンタル。
全ての日大選手が問題なはずはないのに、今はつらい立場に立たされている。
だれかケアしてくれているんだろうか・・・


激沈上等Tシャツ再販します。受け付けは今週日曜日から!

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ブログという発信手段を自分が持っていると、こういう問題に直面したときに説明をせざるを得ないなあと思った次第。普段から理屈っぽいとこういう時にしんどいですね。

やっぱり昨日の30km走のダメージは相当で、夜中にそうとうイビキをかいていたらしい。朝起きたら腰回りが強烈にダルかった。夕方疲労抜きジョグをしたものの10kmしか走れず。今月の300kmに赤信号。



先日、豊洲のららぽーとで、すらりとした体形で颯爽と歩くママ三人組を見た。まとっているオーラが半端ない。芸能人みたいなギトギト感もなく、容姿にも恵まれ、しかもさぞいい環境で育ったんだろう。そういう雰囲気が満点だった。

ビジネスの場でも、この人のマネは絶対にできない、と思わせるような空気をまとった人に会うことがマレにある。あらゆる一挙手一投足がカッコいい。目が離せない。話している内容もメチャメチャ面白い。さらにいうと余裕がある。

これは到底まねできないなというものにはいろんな種類があるんだが、努力だけで身に付けたわけではないんだろうなあと思わせられる要素も含まれている。人間が発揮する様々な能力は、大きく三つに分けられると思う。自分が努力して身に付けるもの、他人が身に付けさせてくれるもの、先天的なもの。

背が高い、手足が長い、筋肉質、やせ型、色白、なんていうものはほとんど先天的、遺伝的なもので、本人が努力してどうなるものでもない。もちろん性差もそうだ。死ぬほど頭がいい人も本人の努力というよりは先天的なものの割合が多いと思われる。

所作、言葉遣い、礼儀、作法、なんていうものは、結構育った環境の影響が大きい。裕福か貧乏かではなく、親の意識の影響が大きい。本人の努力も多少はある。

でも先天的なものだけで人間が魅力的にはなかなかならない。背が高くて顔が整っているだけでは魅力は感じない。やっぱり他人に対する思いやりとか、慎み深さとか、包容力とか、愛嬌とか可愛らしさとか。でもこうやって書いてみると、こういう性格的なもののなかにも先天的なものはありますね。生まれながらに持っている魅力っていうのもある。一方で、頭良過ぎて嫌味な奴もいるし、生まれながらにひねくれものもいる。



ダラダラ書いてきたが、努力では埋めきれない先天的な素質の個人差は存在する。いくらねたんでもやっかんでもどうしようもない。その差は認めるしかない。本人が努力したわけでもないのに不公平だ、と言ってみたところでしょうがない。

逆にそういうものに恵まれた人は、そういう授かったものを存分に活用してほしい。せっかくもらったのに活かさないのはもったいない。どんなに努力したって手に入れられない人もいるんだから。マラソンでも、最初から速い人いますよね。そういう人にはどんどん速くなってほしい。

何でこんなことを書いているのかというと、例の財務省のセクハラ事件で、女性記者の仕事の仕方が話題になった時に、「女性だから取れる仕事もある」という意見と「そういう要素があるのは既に差別だ」という否定的な意見の双方があった。

肯定的な意見を言う人が「オンナを使う」という表現を使ったので大きく失点していたが、自分は仕事上で女性としての魅力を発揮してそれを活かすことに対しては肯定的な立場だ。だって、例えば取引先の担当が魅力的な女性だったら楽しいじゃないですか。それだけで得した気がする。

この話が誤解されがちなのは、どちらかの当事者がプロではない場合、プロ意識が低い場合があるからだろう。相手が女性だからと言って、女性の魅力を性的な意味でしかとらえられないとか、ビジネス上の判断に相手に対する個人的な感情を交えるとか、そもそもリスペクトがないとか。

そうそう、我ながらいい言葉を使ったのでついでに書くと、セクハラって相手に対するリスペクトがあるかどうかだよね。

一方で、女性の方も不必要に思わせぶりな言動を取るとか、自分の魅力を性的な意味でしか発揮できないとか。ここでの肯定的な意味をそういう低次元の話と混同されては困る。もちろん先天的なものをただ自慢するのも相当品が無いけど。



でも若いうちは肉体的なもの、外見のウェイトが高いが、歳を取るにつれて内面のウェイトが高くなる。何をやってきたか、何を考えてきたかが表ににじみ出る。いつまでも先天的なもの、外見的なものにしがみついて残念な歳の取り方をしている人も多い。

まあこんなこと、みんな分かってますよね。例えば芸能人でもアイドルから本格派に脱皮するのに苦労している人多いですよね。天賦のものをいつまでもあるもの、自分の実力だと勘違いしてそこに安住していると、ある日突然仕事が無いことに気付く、みたいな。

一般人でも同じことがあるんじゃないだろうか。例えばプレーヤーからマネージャーへの移行とか。本当はプレーヤーのうちにマネージャーの素養も身に付けているべきだったのに、プレーヤーやるのに精いっぱいだったとか。

プレーヤーやってるときに、自分の上司のマネージャーの立場にも配慮していれば脱皮するのは簡単だったはず。次のステップへの移行って意外とそういうことなのかも。ま、一生懸命やってれば、なにがしか自分の中に積みあがっていくと思いますけどね。

社会人としての年輪の積み重ね方にまで話が及ぶともうきりがないですね。話を元に戻すと、まあ分かりやすく言えば、天賦のものでちやほやされるのを楽しむ瞬間も大事だってことです。それを凡人のオレはまぶしく眺めさせてもらいます。憧れは大事だけど嫉妬は自分を滅ぼす。

てなことを考えた9連休2日目でした。

本日の走行距離:10.0km
今月の走行距離:264.0km
本日の最低体重:60.3kg
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アイデンティティという言葉。この英語を耳にし始めたのはかれこれ30年以上前か。

その頃は「独自性」あるいは「同一性」という意味で使われることが多かった気がする。それが最近ではむしろ「正体、身元」という意味で使われることが増えてきた。多分「IDカード」という言葉が浸透してきたせいか、この意味では「身元を突き止める」という「アイデンティファイ」もよく使われるように思う。

何でこんなことを思ったかというと、先日りょうたさんがエア柴又開催のお知らせをされたのだが、そこに複数の方から同じような趣旨のコメントが入っていたから。「エア柴又」というアイデンティティ(同一性)を背負って走ることで「エア柴又」に参加している人としてアイデンティファイされてしまうわけだ。(ここでコメントの内容について云々するつもりはありません)

エア柴又のゼッケンと同じようにブログ村(あるいはアメブロを含む)には、アイデンティティ(同一性)のための「Tシャツ」というツールがいくつか存在する。旧くは75Tに始まり(いや、それが最初なのかどうかは確信はないが)、50TとかなるぽんTとかチーバTとかはてぶろTとか・・・

製作者の意図はともかくとして、それを手に入れて着る人はなにがしかのアイデンティティ(ここでは独自性)を背負うという意識があると思う。単なる仲間意識や連帯感なのかもしれないし、「75kgあるけどフルマラソンを走るぞ」という覚悟なのかもしれないし。

もしかすると着る人によって感じるアイデンティティ(独自性)は異なるかもしれないが、同じTシャツを着ると少なくとも他人からは「○○Tシャツを着ていた人」とアイデンティファイ(同一性認識)されるわけです。だからこそエア柴又のケースも主催者のりょうたさんのところにコメントが入った。行為を行った人がたまたまエア柴又のゼッケンを付けていただけなのにもかかわらず。

ブロガーで顔出ししている人とかは大会中に結構声を掛けられることがあるようだ。そこまでではないまでも、○○Tシャツを着ている人というアイデンティティを以って周囲の人から認識される。その人が何かするとそのアイデンティティの下で認識される。良くも悪くも、その行為はそのアイデンティティに紐づけされる。

やはり自分のアイデンティティを外に対して示すからには、一定の責任が発生するんだなあと改めて思った次第。念のためですが、だから道徳的にふるまいましょうとか説教染みたことを書きたいわけではない。ただ改めてしみじみ思ったということです。

でも自分もTシャツ作っている立場なので、逆にこんなコメントをもらったら天にも昇るくらいうれしいだろうなあという妄想を書いてみる。

キミ兄さん、こんにちは。初めてコメントいたします。先日ある大会で「激沈上等」というTシャツを見かけました。

私が40km過ぎで両足が攣って苦しんでいたときに、そのTシャツのランナーの人はわざわざ立ち止まってくれて、「大丈夫ですか?救護の人呼びましょうか?」と声を掛けてくださいました。私が「あと2kmなので大丈夫です」と答えると「じゃあゴールで会いましょう」と爽やかに去って行かれました。

あの方はどなただったのでしょうか。結局ゴールではお会いできなかったのですが、どうしてももう一度会ってお礼が言いたいのです。もしかしてキミ兄さんが、それがどなただったかご存じないかと思いコメントした次第です。

突然でご迷惑かとは思いましたが、いてもたってもいられずコメントさせていただきました。

もし本当にこういうコメントをもらったら本気で探しますよ~(笑) これは激沈Tホルダーにとってもメチャクチャ嬉しいことなんじゃないでしょうか。

でも実はここまでではなくても、これに近い声はけっこう耳にします。初対面の激沈Tランナー同士で声を掛け合ったみたいなことは日常茶飯事です。Tシャツ作ってよかったな~と思う瞬間。

同じTシャツを着ているだけで共通のアイデンティティが生じるという、以上、独り言でした。
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私は今、53歳だ。あと10日で54歳になる。
そう、磯野波平に追い付いた!
さらに60歳になったら立派な老人だ。

先日、10年前にさかのぼってみたので、今日は6年後からさらに下ってみる。
最近ブログ村で話題のあるある50で。


1.今の勤務先は60歳が定年だ。

2.60歳を記念して赤い激沈上等T還暦記念の頒布募集したら1回で5千枚応募があった。

3.どうせ定年だから1年かけて発送しようと思っていたら、定年が65歳に延長になった。

4.60歳になったら嘱託になって週3回の出勤でいいはずだった。

5.でも給料が下がらなくて嬉しい。

6.もともと8時-6時にしか会社にいなかった。誰にでもできる楽なお仕事だ。

7.でも申し訳ないがTシャツは5年かけて発送することにする。

8.結局サブ3挑戦は59歳で断念。ハンドルネームも「キミ爺」に変えた。

9.そういうマラソン人生もある。

10.もちろん体は元気でどこにも心配は無い。

11.ブログは10年以上続けているよ。今は子供の受験ブログだけど。

12.65歳になり国民年金支給開始。でもまだ嘱託勤務するので支給は繰り上げ。

13.トモコも相変わらず元気。ときどき小競り合いはあるが。

14.コースケはなんと20歳になった。今、大学生。自宅から通学。

15.チーバの仲間も一緒に歳をとった。motoさん、Ukeさんももうすぐ60歳。

16.ぱっきーさんももう還暦を過ぎたがまだサブ3は維持。人間離れしている。

17.相変わらず春と秋の養老渓谷には行っている。

18.しかし上総牛久まで走る元気は無い。月崎から汽車に乗る。

19.勤務の無い日は朝から図書館に行く。昼飯後、新浦安のマイコースでジョギング。

20.そんなある日、オレに大きな転機が訪れた。

21.なんと愛媛に住む伯父がオレに莫大な遺産を残してくれた。

22.オレはその金で早速浦安市内でマンションを一棟買い。駅近物件だ。

23.勤務の無い日のオレの日課に、マンションの見回りが追加された。

24.場所柄、店子は新婚さんが多い。

25.店子のママたちが「大家さんを囲む会」を作ってくれた。

26.これはカオスだ。これが10年前だったら!

27.いい気分で帰宅したらトモコが必殺の回し蹴りを決めた。

28.そうこうしているうちにコースケも就職して結婚。オレ、70。

29.せっかくなので不動産収入で近くに一戸建てを買う。もちろん二世帯住宅だ。

30.コースケの奥さんはそれはそれはグラマラスな人で。

31.雨の日とかは家の中で洗濯物を干して、前かがみで畳んで、

32.オレがその様を前かがみになりながらボケっと眺めていたら、

33.「あらお義父さん、そこにいらっしゃったんですか?」

34.「お、おう」と答えて顔を赤らめて2階に上がるオレ。

35.トモコが必殺のウェスタンラリアットを決めたのはその直後。

36.畳に沈むオレ。

37.今度は育児が落ち着いた店子のママたちがランニングクラブを作った。

38.もちろんコーチに就任するオレ。

39.毎週土曜日は朝から新浦安の海岸でジョギングだ。

40.年に2回はイオンのフードコートで懇親会。

41.少量の生ビールで酩酊するオレ。

42.もちろん記憶は無くしていない。

43.もちろん「縛っていい?」とも言ってない。

44.言ってないのに帰宅したらトモコがスープレックスで落とす。

45.さすがのトモコももう還暦。

46.なのに技が大技になってきているのはなぜだ。

47.結局トモコが本格的に走ることはなかったが健康だからいいのだ。

48.そんな感じで優雅に老後を楽しんでいたオレ、XX歳。

49.ある夜、床に就いたらそのまま目が覚めなくて、

50.そういえばいい人生だったなあと思いながら素敵な家族に囲まれて。オレは今幸せだ。

オレの人生、何も書き足すことは無いなあ。裕福な伯父のくだりが無くても。

おしまい。
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24あたりから44くらいのループを防ぐためにタグ"トモコ”を3つ入れてあります(笑)
残念ながら資産家の伯父はいない(笑)

もし今オレが44歳だったら、果たして3時間1桁で走れていたか。あるいはもしかしてサブ3取れていたか。

たらればだが、自分は1999年の春に走り始めてその年の秋の浦安シティマラソン(当時は秋開催)で1時間42分。翌2000年秋につくばマラソンで初フルサブ4。翌2001年は仕事が忙しくて走れなかったが、その翌春(つまり2002年3月)荒川市民マラソンで3時間36分。この頃でたしか月間150kmくらい走っていたと思う。これが38歳のとき。

そこからしばらくブランクがあってフルマラソンに復帰したのが2014年49歳の時。そこから先の経緯はブログにも書いているのだが、月間200kmくらいから今の月間300kmに至っている。

それで最近老化を感じることがなくも無いので、考えてしまうわけです。もし38歳の時に中断せずにそのまま走り続けていたら、44歳くらいで今のPBである3時間1桁とか、あるいはサブ3とか取れていたのだろうか。



もちろん答えはないんだけど、一定の仮定のもとに考えてみる。

まず38歳当時、どうして走行距離が150kmどまりだったか。

それは、周囲にそれ以上走っている人がいなかったから。当時はまだSNSが盛んではなかったので、マラソンに関する情報は今も健在な月刊ランナーズか、たまたま職場の同僚を通じて知り合った某百貨店のランニングサークルくらいしかなかった。

月刊ランナーズを読んでいると、月間300km走ってフルマラソンを2時間台で走る人って、ただの頭のおかしい人にしか見えなかった。その時の自分とはずいぶん隔たりを感じた。だって月間300kmって月間30時間ですよ。今、月の残業時間は40時間でも多いって言われてるのに。

あとはその頃は普通の人間はキロ5分より速く走るのは無理だと思っていた。神宮外苑のオーバルで1km4分ちょうどで走って死にそうになっていたのに、4分15でフルマラソンとかありえない。

でも一番大きな理由は、周囲にサブ3ランナーがいなかったこと。いや、サブ3.5ランナーもいなかった。そんな中でサブ3ランナー自体が特殊な存在だと思っていた。だから目線がサブ3にはまったく合っていなかった。

翻って今を考えてみると、なんでブログ村に登録したのかは忘れてしまったが、サブ3ランナーは全く珍しくない。こう言っては失礼だが、石を投げたらサブ3ランナーに当たる。そういう人たちと一緒に練習する機会もあったりして、あるいは普段どんな練習しているのかを聞いたりして、そんなに遠い目標ではないということを実感している。20年前はそういう感じはまったく無かったな~。



だから今日のお題への答えなのかどうかあれですが、10年前に今と同じ交友関係があれば多分サブ3できていたと思う。10年前は仕事は死ぬほど忙しかったが、サブ3ランナーの中にも死ぬほど忙しい人はたくさんいるので、それを見習ってなんとかしたんじゃないだろうか。

10年前だったら週3回練習でもなんとかなったかもしれないし、土日はちゃんと休めていたし。

ていうことで、「周囲にサブ3の人がいたら」かつ「練習時間がとれていれば」サブ3できたと思いまーす。以上、タラレバサブ3ランナーのキミ兄でした。

本日の走行距離:10.0km
今月の走行距離:202.2km
本日の最低体重:60.1kg
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灼熱のリレマラ、メンバー確定しました
一緒に走る皆さん、よろしくお願い致します!
ちなみに去年は平均キロ3:55で2時間44分でした。
これを越えるのはかなり厳しそうかな~(笑)
いや、行ける。行けるはずだ!!


今気が付いたけど、「船橋のF」さんの「F」って本名のイニシャルだとばかり思ってたけど、「船橋」の「F」だったらかなりカッコイイな。「アリバイのA」みたいな。

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