量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

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『武士の家計簿』から九年、歴史家・磯田道史が発見した素晴らしき人々。穀田屋十三郎、中根東里、大田垣蓮月。江戸時代を生きた三人の傑作評伝。



無私の日本人無私の日本人
(2012/10/25)
磯田 道史

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著者は、中世の日本史を研究しながら分かりやすい文章で「武士の家計簿」などで当時の日本人の生活ぶりを紹介してきた。本書では、歴史の日が当たらない3人(組)の人物を紹介している。普通「立派な人」と言われると揶揄されているように聞こえるが、この人たちは本当に立派な人たちだ。

最初は仙台藩吉岡宿の9人組。自らの生活を切り詰めてまで、宿の反映のための基金を作った。次が中根東理という江戸中期の陽明学者。そして大田垣蓮月という歌人の尼僧。彼らに共通しているのは、周囲の人たちの幸せが自分の幸せであるという価値観を徹底して貫いた人生を送ったということ。何かを成し遂げたというのではなく、その一点において巨大な存在であったことだ。

そして3人にもう1つ共通しているのが、自らをほこらないこと。いずれも自らの事跡を書物に残していない。それゆえ、この3人の名前もなかなか知られていないのだが、著者の努力のお陰で我々は今になってこういう人が過去の日本にいたことを知ることができる。

この本の特徴は、単に題材の人物を描写するだけではなく、その時代の人たちのメンタリティがどのようなものであったのか、資料から得られる情報に基づいて描写している点だ。当時の日本人がいかに名誉を重んじ、清廉に生きようとしたのかが、生き生きと伝わってくる。

著者は「この江戸時代に培われた日本人の国民性があったればこそ、日本は維新後の世界を生き抜けた」としているが全く同感。そしてその貯金を使い果たした今、我々が国際社会でどう振る舞っていくべきなのか、これは1つのヒントかもしれない。☆☆☆☆☆。

東京でモデルとして活躍していた著者がアメリカで出会った理想の生活。それを実現させるために、彼は河口湖畔に移り住む決意をした!家の建築費を浮かせるために自分でモルタルを塗った壁。妻や子供たち、母親への思い。アウトドア評論家として知られる著者が、「家」へのこだわり、その周りの大自然、家族のあり方を描く心温まるエッセイ。


森と湖の生活―ボクが自然の中での暮らしを選んだ理由(わけ) (知恵の森文庫)森と湖の生活―ボクが自然の中での暮らしを選んだ理由(わけ) (知恵の森文庫)
(2001/03)
木村 東吉

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我々が20代のころに「ポパイ」や「メンズクラブ」に颯爽と登場し、アウトドア生活の似合う爽やかマッチョなモデルの木村東吉さん。現在はキャンプ場も経営するなどマルチに活躍されている。そんな木村さんが書いた「僕が河口湖畔に家を建てるまで」。気に入った場所を探し家を設計し建材や建具も自分で調達、壁は自分で塗ってしまった。それもこれも自分の気に入る家を自分の納得する予算で建てるためだ。

木村さんは大阪出身なので、値切ったりすることに抵抗感はなかったり、気に入らないテレビ番組は自分から降りたり、かなり見た感じの爽やかなイメージとは違うようだ。それに文章がうまい上に、偉ぶったところが全くない。

面倒なことははしょって書いているのかも知れないが、単に爽やかでおしゃれなアウトドアライフを送ってまーす、という本ではない。読めば木村さんのファンになること請け合いだ。西湖のほとりでキャンプ場も主催しているそうなので、一度行ってみたくなった。自分の生活と趣味をいかに共存させていくか、そんなヒントが満載。☆☆☆。

移住後の日々の暮らしを綴ったエッセイ「こんな暮らしがしたかった」も絶賛発売中♪


こんな暮らしがしたかった―木村東吉ファミリーの湖畔の四季こんな暮らしがしたかった―木村東吉ファミリーの湖畔の四季
(2001/03)
木村 東吉

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5歳のユダヤ人の少年は出生の秘密を隠してどうして生き延びることができたのか―幼い主人公は虐殺を逃れてひとり森をさまよって、ある日、軍隊に捕らえられる。殺される代わりに、兵士らのマスコットとされる。バルト3国のラトビアはドイツの支配下にあった。少年兵は新聞にも映画にも出て、ナチスの宣伝に利用された。しかし、大人になって記憶はあいまいだ。自分はだれか?50年後にこの秘密を息子に知らせ、父子で過去の謎解きに向かう。ついに、母親と弟の殺された現場に立った。第2次世界大戦中の衝撃的な実話。

マスコット―ナチス突撃兵になったユダヤ少年の物語マスコット―ナチス突撃兵になったユダヤ少年の物語
(2011/11)
マーク カーゼム

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これを読んでつくづく自分は不勉強だなと思ったのだが、第二次世界大戦時にラトビアが当初はナチスドイツ側に付いていたこと、ラトビアSS(親衛隊)なる組織があったことを知らなかった。ドイツがソ連に侵攻した当初は、このラトビアSSがナチスの片棒を担いでユダヤ人迫害を行っていた。その中のある部隊のマスコットになっていたのが、本書の作者の父であり当事6歳だったアレックス・カーゼムだ。本書はラトビアSSが戦争犯罪を犯していたのかを追うミステリーとして、また同時にユダヤ少年がユダヤ人迫害を行った部隊のマスコットになったことで少年が負った心の傷を解き明かすノンフィクションとして、大いに読ませる内容となっている。

母親と兄弟が処刑されるのを目の当たりにし、森の中をさまよった子供のころのかすかな記憶が、過去探しをする中で次々とアレックスの脳裏によみがえってくる。もっとも衝撃的だったことの一つは、アレックスは子供心にナチスの軍人に対する憧れを抱いていて、それから60年近くたってそのころの憧れの気持ちをよみがえらせるシーンだ。いくら当時はなにもわからない子供だったとはいえ、息子が「その軍人たちがユダヤ人に何をしたのか知っているのか」と思わず漏らすとおり、これはかなり怖い。もちろん本人には、ナチスに加担した深い罪の意識はあり苦しんでいるのだが、それとこれとは別なのだ。

その憧れの軍人たちが実際に惨劇に手を下しているのを少年のときに見ていたにもかかわらず、それだけ少年の心に刷り込まれた憧れの力が強いということか。なんだかトム・ロブ・スミスの「チャイルド44」を読んでいるみたいだ。「チャイルド44」の出版は2008年。本書の出版自体は2009年だが内容は2002年にオーストラリアでTVドキュメンタリーとして放送されたらしいから、英国人のロム・ロブ・スミスが小説の設定をこの事件から拝借した可能性はある。

もう一つは、アレックスがユダヤ人に対してもつ嫌悪感や恐怖感。自分がユダヤ人であることが明らかになることに対する恐れ。それは今までアレックスがユダヤ人であることを知らなかった家族に対する意識もあるが、本人が「永らくラトビアSSが私にユダヤ人は迫害されるべき存在であることを植え付けた」と語っているように、差別意識とは後天的に刷り込まれるものであることがよくわかる。「ホテル・ルワンダ」に、ツチ族を抹殺するようフツ族に呼びかけるラジオ放送の話が出てくるが、これを思い出させるものがある。いやそんなもんで洗脳されんでしょう、と思うのだが、ラジオの言うとおりに隣人を山刀で切り刻んだりするのだ。憎悪を掻き立てるための技術というものが、この世の中には確かにある。

子供のころに抵抗すべくも無い経験をし心を引き裂かれて、自分が何者なのかもよくわからず、アレックスがどうやって自分を保って今の家族を守ってきたのか、想像もつかない。最後にアレックスが、かつて母や兄弟が殺された場所に立つシーンではカタルシスさえ覚える。一方で、アレックスの息子である作者マークは父親が過去を取り戻す過程にどっぷり入りきっていて、父と息子の間の強い絆が伺える。周囲からの圧力もあり、また精神面で父親も支えながら真相を究明し本書を執筆するのは、作者にとって相当に負担の大きい作業だったに違いない。アレックスは存命だが、マークは本書が出版された直後に病死している。

子供に戦争を経験させてはいけないことを痛感させる本。☆☆☆☆。


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ソ連とのあいだに生まれた緊張緩和(デタント)の機運は、米国政権内のタカ派の圧力ですぐに消え去った。ソ連崩壊後、単独の覇権を謳歌するアメリカは、世界の警察官を任じるに至った。史上最低と呼ばれた大統領のもと、非人道的な国家を援助し、大量破壊兵器を有してもいない国家に戦争を仕掛けその文明を破壊したアメリカでは、国内経済の瓦解がとどめようもなく進行していた。そしてその覇権にも翳りが見え始める――9・11テロはその象徴だったが、ネオコンの圧力のもと、軍事費は国家予算を圧迫して増大し続ける。未曽有の所得格差に怒りの声を上げ始めたアメリカ国民は、改革の兆しを初の黒人大統領、オバマに認めたが、その希望はすぐに失望に変わった……



オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史: 3 帝国の緩やかな黄昏オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史: 3 帝国の緩やかな黄昏
(2013/06/06)
オリバー・ストーン、ピーター・カズニック 他

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アメリカ版自虐史観全3巻、ついに完結!



自虐史観とはちと言い過ぎだが、3巻で1500ページもの量を読みながら、オリバー•ストーンという人が映画や著作を通じて何がしたいのか、考えてみた。

氏の出世作「プラトーン」。反戦映画という評判が高いが、あれは自分は軍隊という社会を描いたものだと思っている。社会なので、勇敢な人や普通の人、卑怯な人などいろんな人がいる、という作品だと思う。

「ウォール街」。最近続編も出たが、あれも投資銀行という社会にいろんな人がいるというお話だ。だからこうすべき、というメッセージはない。

「JFK」。暗殺事件の黒幕を暴いた、というよりは、ウォレン委員会の検討過程に疑問を呈した内容だ。

こうして見てくると、ストーン監督の作品の傾向が見えてくる。方向感を示しているわけではなく、世の中にはこんなおかしなことをしている人がいるよ、というメッセージだ。本書も、そのつもりで読むと腹に落ちてくる。

>レーガンに直に接した人たちは、多くが彼の無知に驚いている。1982年の終わり、ラテンアメリカ諸国訪問から帰国したかれは、記者達に「いろいろ学んだよ…驚いたね。ラテンアメリカがあんなにたくさんの国に分かれているなんて」と言ったという。

レーガン大統領がどんなにアホでも、冷戦を終わらせたという業績には変わりはないと思うのだが、どうしてもストーン監督はこれを言いたいらしい。これ以外にも、いかにカーター大統領がブレジンスキー補佐官に振り回されていたか、とか、戦争が大好きだったブッシュ・ジュニアの閣僚連中は実戦経験の無い奴ばかり、といった話が満載だ。

こういった指摘の仕方は、ある意味あら探しすればいくらでもできるもので、ブッシュジュニアの閣僚たちは確かにチェイニーやウォルフォウィッツはそうかもしれないが、肝心のラムズフェルド御大が海軍のパイロットでバリバリ実戦経験があったことには触れていない。この辺が、私がストーン監督はずるいと思うゆえんである。

そういう細かいところはさておき、このシリーズの1作目、2作目を見て、この本はこれで事実を知る、という本ではなく、オリバー•ストーンという人がアメリカの歴史をどう見ているかという本だ、と言ってきた。そのこころは、この本が一次資料になっている情報はほとんどなく、他の本からも得られるからだ。

しかし本作のカバーしているイラク戦争以降の時代になってくると、他の資料ではお目にかかれない、あるいは一次資料が新しすぎて、私自身がまだ当たれていない情報もあるようだ。その観点では、本書が新鮮に写る場面もある。例えば、そもそも冷戦時の均衡を保っていたのは、相互確証破壊という考え方だ。これは双方が相手を一定の確率で破壊していくわけだから、報復に告ぐ報復でお互いが消耗していく、そんな勝者のいない戦いは無駄なのでどちらもミサイルの発射ボタンは押さない、という考え方だった。

ところが、冷戦が90年に終了してから、ロシアの核戦力はほとんど進化しなかったのに対して、アメリカのミサイルの精度は飛躍的に上がったようだ。この結果、ロシアとアメリカの核戦力はアンバランス化し、いろんな条約の前提条件が崩れてしまった。同時にアメリカは、核による先制攻撃を意図するようになった。つまり相互確証破壊が成り立たず、先に打って相手を撃滅できるアメリカが圧倒的に優位な状況になってしまった。

この状況を回避するには、アメリカが核の撤廃に応じるか核の先制攻撃不使用を宣言するかしかないのだが、現時点ではその兆候は無い。オバマ大統領の核無き世界宣言も、実際にはこういう現実の下に発せられているわけだ。これは自分も認識が甘かった。21世紀初頭というのは実に怖い時代だったんだ。

それからカーター大統領を洗脳してタカ派に変えてしまったと本書で言われているブレジンスキーが、対テロ戦争についてこんなことを言っている。

>冷戦時代にソ連の恐怖を掻き立てるにあたって同様の役割を果たしたブレジンスキーには、どれほどの痛手だったかが理解できたのだ。ブレジンスキーは2007年3月に、いわゆる対テロ戦争は「恐怖の文化」を意図的に作り上げることによって、「アメリカの民主主義、アメリカ人の心、そして世界におけるアメリカの評価にすさまじい悪影響を及ぼしている」と書いた。

>ブレジンスキーが繰り返し明言しているように、テロは戦術であってイデオロギーではないし、戦術を相手に戦争をするなどまったくのナンセンスなのだ。

そうか! テロは戦術であってイデオロギーではない。確かにそうだ。それにテロ類似行為は今や米国がもっとも得意とするところになってしまっている。無人機攻撃などは最たるものだ。完全な自己矛盾である。かといってたとえばイスラムの教え自体を戦争の対象とするのは困難だ。それはそのまま世界を敵に回すことになり、だれもアメリカについてこなくなる。

それから長くなるのでもうこれ以上は引用しないが、オバマ大統領が就任以降いかに国民の期待を裏切ってきたか、なぜ議会対策にあんなに苦労しているのかの分析はかなり秀逸だ。ストーン監督のものを見る眼は、戦争よりも政治を見るのに向いているのかもしれない。実は氏の作品「ニクソン」をかつて見たのだが、俄然また見たくなった。☆☆☆。

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スペイン人征服者の探索・略奪の手から逃れ、密林の山頂に残されたインカ帝国最後の都市遺跡マチュピチュ。インディー・ジョーンズのモデルとされる第一発見者ハイラム・ビンガムの足跡を克明にたどり、ますます注目される世界遺産の驚くべき謎を解き明かす。快心の冒険ノンフィクション。



マチュピチュ探検記 天空都市の謎を解くマチュピチュ探検記 天空都市の謎を解く
(2013/06/24)
マーク・アダムス

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マチュピチュを作ったと言われる古代インカの王達、20世紀初頭にマチュピチュを再発見したハイラム•ビンガム、その百年後にビンガムの足跡を改めて辿った本書の作者マーク・アダムス。三つの時代の物語が同時並行で進んでいく。

当初はこの構造がわからず、ゴチャゴチャした文章だと思ったが、それが分かってからは急に面白くなった。ただ、インカの話と現代の話はあくまで付け足しで、ビンガムがどんな人生を送ったのかということが、本書の最大のテーマと言っていいだろう。

当時はちょうどピアリーが北極点に、アムンゼンが南極点に到達して話題になっていた時代であり、「ナショナルジオグラフィック」が創刊され、地理的な冒険が盛り上がっていた頃でもあった。ビンガムもマチュピチュの再発見により一躍スターになり、コネチカット州の知事にまでなった。

探検に行くときのスタイルは、中折れ帽に革ジャケットと、まさにインディ・ジョーンズで、写真も見ることができる。50年代にビンガムをモデルにした映画が確かにあったようで、インディ・ジョーンズも元ネタはそれらしい。

ただ残念ながら本書ではビンガムの本質には迫りきれていない。20世紀初頭なのだから、もう少しいろんな記録が残っているのではないかと思うのだが。そのかわりにむしろマチュピチュの神秘性が浮き彫りになっており、本書の中でももっとも印象的な箇所だ。

>もし地理上の聖性を測るガイガーカウンターのようなものがあれば、地形的に豊かなマチュピチュの遺跡では、その針がはげしく動くのではないだろうか。山岳崇拝はインカの宗教の要石だ。
>ウルバンバ川は(中略)遺跡のある峰を取り巻くように流れている。
>このように自然のすべてが一点へと集中していることが、マチュピチュ遺跡を特に強力なものにしている

現在に至ってもはっきりしているのはこういう地理的な特徴だけであり、この遺跡が何の目的で建てられたのかは明らかではない。ただこういうミステリアスな要素が、多くの人々を引きつけている魅力なのだ。

結局ハイラムは多くの冒険家と同じく毀誉褒貶の中を生きるのだが、作者は多少なりとも冒険に足を突っ込んだ自分への陶酔があるようで、それが読む上で邪魔だ。

>「僕が仕事をやめて、マチュピチュを見つけた男の足跡をたどってみたいって言ったら、君は何て言う?」「そうね…今まで何をぐずぐずしていたの?って言いたいわね」

特にここまで南米への強い憧れが示されていたわけでもないのだが。

☆☆。

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