量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

カテゴリ: >か行(ノンフ)

2012年8月に開催され、10月に『NHKスペシャル』で放送された、日本一過酷な山岳レース「トランスジャパンアルプスレース」。酸素の薄い3,000mを超える山々を驚異的なスピードで駆け抜け、風速毎秒20mの暴風雨の中を黙々と進む参加ランナーの姿は、マラソンファン、登山ファンだけでなく、多くの日本国民に衝撃を与えた。その圧倒的な反響を受け、待望の書籍化! テレビでは見られなかった秘蔵エピソードや追加取材を加えてレースの全貌を描き、そして「ランナーたちはなぜこのレースに挑むのか?」に迫る驚愕のノンフィクション。



激走! 日本アルプス大縦断 密着、トランスジャパンアルプスレース富山~静岡415㎞激走! 日本アルプス大縦断 密着、トランスジャパンアルプスレース富山~静岡415㎞
(2013/04/26)
NHKスペシャル取材班

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いやー、久々にこういったスポーツノンフィクションを読んだが、感動した!

まず、その過酷さがすごい!
普通に登るだけでもすごい北アルプスの山々を、もっとも速い選手は2日で駆け抜ける。下手すると、日本海から太平洋まで5日かからない勢いだ。もう超人としか言いようがない。速い選手だと、1日の平均睡眠時間は3時間を切るらしい。

次に、このNHKスペシャルの番組がすごい‼︎
カメラマンとして、過去この大会で上位に入賞したランナーを何人も使っている。選手と撮影チームが一体ですごい競技を繰り広げている感じだ。そんなカメラだから、選手の間近に迫って撮影することができる。残念ながら番組は未視聴だが、近日中に必ず観るぜ!

そして一番心を動かされたのが、ゴールシーンだ!
各々、ここまで練習も含めて見守ってくれた家族がゴールに出迎えてくれる。選手たちもゴール直前にはなぜか「早く妻に会いたい!」と思う。いいではないですか。時々こういうドキュメンタリーで、レース優先で家族が離散してしまった選手が登場したりするが、このレースはこんなに非人間的なコースなのに、選手は至って人間的だ。そのゴールシーンには涙腺が緩むこと間違いなしだ!

あー、自分も長い距離走りたくなってきた‼︎
ということで、☆☆☆だ!

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無秩序に広がる都市こそが、人類にとって最も必要なものなのだ!

都市が人類の進歩に果たしてきた役割を分析し、その重要性を明快に指摘する新しい都市論。
著者は、「健康面でも文化面でもインフラの効率面でも環境面でもきわめて優れていて、都市こそは人類最高の発明である」、「都市を高層化・高密化させて発展させることが人類の進歩につながるのであり、その足を引っ張るような現在の各種政策はやめるべきである」と主張する。

都市は人類最高の発明である都市は人類最高の発明である
(2012/09/24)
エドワード・グレイザー

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原題は「Triumph of the CITY. How our great invention makes us richer, smarter, greener, healthier, and happier」(都市の勝利。いかに我々の最高の発明が我々をより豊かに、賢く、環境に優しく、健康で幸せにするのか)。様々な角度から都市という機能の素晴らしさを検証する本である。

内容を要約すると「すべての都市は移動コストや社会資本コストの観点から効率的なので、低所得であっても郊外にいるよりは福利の高い暮らしができるし、産業にとっても労働コストや輸送コストの面で競争力が高い。」というもの。

同時に、産業革命の中心となったマンチェスターや、自動車産業の中心だったデトロイトなどが、特定の産業に極端に依存したために、その産業が衰退することで都市としての魅力を失った例など、都市が機能を発揮するための条件についても触れている。

都市の活力は建物がいかに立派かではなく、そこで活動する人たちの活力や才能に依存する。デトロイトでは、フォードが生産過程の分業化を徹底したため、単純労働を担う労働者が住人の中心となってしまったことも、都市として衰退した一因だったらしい。またアメリカでかつて白人と黒人が分離されて生活していた頃は、黒人がスラムの中で頭角を現すことがしばしば起きていたが、分離が違法とされてからは能力のある黒人が白人居住地に移ってしまい、残された黒人地域が活力を失ったケースがあったようだ。

ただ本書の残念なところは、都市機能の問題だけでなく、貧困者がいかに都市を利用するか、その場合の所得移転の問題に踏み込んでしまったので、都市計画的なアプローチでは不十分となり、ミクロ経済的な都市の住宅価格の問題に触れざるを得ず、焦点がぼやけてしまった点だ。都市自身の機能というよりは、政策全体の問題になってしまい、最後はやや尻切れとんぼであった。☆☆。

本旨と関係ないが、装丁で訳者の名前が著者の名前より大きく印刷されていたのが気になった(笑

薩長二大雄藩が土佐の坂本龍馬の仲介で同盟を結び武力倒幕に邁進した結果、維新回天の偉業はなし遂げられた。これが明治以来、日本人の大多数が信じてきた「史実」である。しかし、これは「薩長史観」「勝てば官軍史観」がでっち上げたフィクションにすぎない。幕末・維新の過程で大きな役割を果たしながら、公定の歴史叙述のなかで何故か無視されてきた孝明天皇や、政治勢力としての一橋慶喜、会津、桑名両藩に光を当て、歴史の真実とは何かを問う。

孝明天皇と「一会桑」―幕末・維新の新視点 (文春新書)孝明天皇と「一会桑」―幕末・維新の新視点 (文春新書)
(2002/01)
家近 良樹

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今日は雨だと思っていたので昨晩は録画してあった「朝まであまテレビ」を見てしまい、しかも深酒。おきてみたらもう8時でしかも二日酔い。こんなことなら自転車練習に行くつもりで早く寝ればよかった!と思いながら本書を読み終えたYoshi-Tです。

著者は本書出版当時は大阪経済大学の助教授。本文中に、もともと高校の教職にあったという記述もあるので、どういう経緯で本書を出すことになったのかも興味があるが、大変面白い本だ。

著者の主張のエッセンスだけまとめると、明治維新の経緯は薩長を中心にした英雄史観で描かれることが多いが、政治の民主化自体は大政奉還で達成されており、それ以降の動きは一橋慶喜・会津藩と薩長の勢力争いであった可能性が高い、しかも最後の鳥羽伏見の戦いのワンチャンスを薩長側がものにしたに過ぎず、そこまでは五分五分、むしろ慶喜のほうが一歩先んじていたというもの。

確かに8月20日の政変から蛤御門の変に至る過程は長州と会津が孝明天皇を取り合ったとしか見えないし、第二次長州征伐も会津と長州の内輪もめだという著者の主張もごもっとも。それから薩長の討幕運動をかわす目的と説明されることの多い大政奉還は、実は「江戸幕府による非民主的政権から公議による民主的政権への移行」であり、その大きな動機は「民主化により外国の支持を得ること」だったという辺りは、まさに刮目すべき。本書に書いてあることだけが真実だとは思わないが、少なくとも客観的に真実に迫ろうとする努力は感じ取れる。

これは本書の最後に書いてある、明治維新後、維新における英雄史観が新政府により作り上げられた可能性があり、それが昭和の対外雄飛論につながった恐れがあるとの指摘ともつながる。そういう傾向は大いにありうると思うし、それに乗せられた作品が山ほどあるなあ。そういう目で見直す必要があるかも。

これを書くと叩かれるかもしれないが、正直Yoshi-Tは「坂の上の雲」や「竜馬が行く」での必要以上に特定の英雄を祭り上げる手法があまり好きではないし、歴史観をゆがめると思っています。英雄になってしまうと批判できない。この傾向は太平洋戦争での海軍礼賛にもつながっていて、山本五十六の「一年やそこらは暴れてみせる」発言が間違った持ち上げられ方をする。

戦争は始めるよりもやめるほうが難しいというのは軍人の間では常識のはずで、期間限定で戦争なんかできるはずがない。当時の軍人の発言としては普通の発言だと思うが、この発言で「軍部がそういうんだから開戦しても大丈夫」と思った政治家は何人もいたはず。そんな重大な発言をした人がいまだに何であんなに持ち上げられるのか。そういうネガティブな側面をみずに「日米の国力差を冷静に認識していた」というのは変でしょう。(もちろん開戦の責任すべてがあるという意味ではありません)

なんだか止まらなくなってきましたが、歴史小説といわれている書物の中には、エンターテイメント性を強めるあまりに、将来同じ間違いをしないために歴史を正しく理解するという意義がゆがめられているものもあると思っています。

話を戻しますと、本書はすっごく面白くて本当に必読だと思うのですが、もっとドキュメンタリーチックな書き方にするか、あるいは思い切って逆に論文的な整理をしたほうがわかりやすかったかもしれません。それでも本書の価値はもちろん変わらないので☆☆☆☆☆。

売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…。「自由」で「平和」な現代日本の闇に隠された真実 先入観と偏見で見過ごされた矛盾と現実を描く。


漂白される社会漂白される社会
(2013/03/08)
開沼 博

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日本の隠れ貧困層に光を当てた作品。普通の居酒屋で商売する「移動キャバクラ」とか、シェアハウスの住人のかなりの人が貧困層だとか、三重県にあるという売春島の話とか。

そういうレポートとしては読めるが、こういう人達の存在を社会が漂白しようとしている、という持って行きかたはちょっと違和感あり。

それよりも、こういう人達は自分達が貧困層だと認識してしまっている。それは、金銭的な豊かさを求めようとするからそういう自己認識を持ってしまうのではないのだろうか。ここでどうしても社会的、文化的な蓄積の大きい欧州を思い出してしまう。

社会的な資本の蓄積が大きければ、個人が金銭的に豊かでなくても、精神的には豊かでいられ、こういう自己認識を持たなくてもすむのではないだろうか。

使い古された言葉ではあるが、そういう豊かさに背を向けて粗末に扱ってきたことのツケが、こういった貧困層の出現を助長する多数の人の精神構造に回ってきている気がする。

さあ、精神的な豊かさを求めてキャンプに行こう! ☆☆。

二十年にもわたって姿を消していたチェス世界チャンピオンは往年のライバルと対戦すると、ふたたび消息を絶った―。クイーンを捨て駒とする大胆華麗な「世紀の一局」を十三歳で達成。冷戦下、国家の威信をかけてソ連を破り、世界の頂点へ。激しい奇行、表舞台からの失踪、そしてホームレス寸前の日々。アメリカの神童は、なぜ狂気の淵へと転落したのか。少年時代から親交を結んできた著者が、手紙、未発表の自伝、KGBやFBIのファイルを発掘して描いた空前絶後の評伝。 (「BOOK」データベースより)

完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯
(2013/02/15)
フランク ブレイディー

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今日は自分が住んでいる浦安市の花火大会。以前は自宅のベランダから見えていたのですが、今年から打ち上げる場所が変わり、隣のご一家と会場に見に行くことに。ということで、キャンプ道具・自転車を持っている私(笑)が早朝から場所取りに行ってまいりました。とはいえ小さな花火大会かつ観覧場所が結構広いため、朝のうちに行けばまあ家が建つくらいの場所は楽勝で取れます。ま、遠慮してコールマンのグランドシート(300×300)にしときました。



さてこんな暑い中、熱い男のノンフィクション。チェスの世界で孤高の世界王者、ボビー・フィッシャーを若い頃から彼のチェス仲間だった筆者が綴っている。とにかくプライドが高く、金に対する執着が激しいとか、あるいは統合失調だと言われたこともあり、非常に付き合いにくく友達も少なく、最後は2006年にアイスランドで淋しく世を去った。

その戦歴だが、1963年のアメリカ選手権で伝説となっている11戦11勝で全米王者に、1972年王者ボリス・スパスキーを破って世界チャンピオンになっている。その後約20年間、西海岸で半ばホームレスのような生活を送るが、1992年にユーゴスラビアの銀行家からの招請に応じユーゴの地でスパスキーと再戦。ところがこれが当時の米国のユーゴに対する経済制裁違反とされ、以来米国には帰らずハンガリーやスイス、日本、フィリピンなどを歴訪し、2001年に日本で旅券法違反で拘束されるが、かつて世界選手権を開催したアイスランドから救いの手が差し延べられ、アイスランドを終の棲家とした。

本当に毀誉褒貶の激しい人物であるし、誤解もあるが原因のかなりの部分は本人にあるように読める。'72のモスクワでの世界選手権の際は冷戦の最中ということもあり、対戦に際してキッシンジャーから激励の電話がかかってくるほど、国際情勢の中でも重要な位置づけとされていたようで、本人も米国代表選手という気概があったようだ。しかし帰国後は脱税問題で政府と対立したこともあり、反動で反ユダヤ・反米主義者に。ようするにものすごく純粋な人なのだ。

'72の世界選手権の際に、条件を吊り上げるために最後まで出場を渋ったことで金の亡者のように言われているが、'75の防衛戦では一転、会場やルール設定で自分の意見が入れられなかったことに抗議して300万ドルをふいにしてまで試合を降りている。どうも金そのものが欲しいわけではなく、金額が自分に対する評価だというこだわりのようだ。ルールについても、従来のルールでは序盤に優勢になると残りのゲームが消化試合となってしまうため、エンターテイメント性を高めようという狙いがあったようだ。しかしこういったこだわりも、あまり正しくは理解されなかった。

いろんなチェスの強者が「フィッシャーが最高だった」と言っているようで、チェス以外ではまったく幸せにはなれなかった主人公だが、チェスではこれ以上ない栄誉を得たのではないか。あまりうらやましくはないが・・・ 栄誉と引き換えにいろんなものを失った男の話です。

こんな人です。
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ボビー・フィッシャーという複雑な人間を、遠慮することなく、かといって突き放すわけでもなく丹念に描いている。☆☆☆。

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