量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

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取材の鬼・記録魔、作家吉村昭は観察の達人でもあった。簡潔な文章の端々に、その観察眼がきらりと光る。新聞連載コラムを中心に、単行本未収録のエッセイを集成。慧眼の一冊がここに。

人生の観察人生の観察
(2014/01/17)
吉村 昭

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久々に吉村昭の新しい本を読んだのだが、新聞のコラム連載などを集めたものらしく、いずれも2ページ内外のごく短いエッセイだ。しかし70年代初めの「神々の沈黙」から90年代終りの「桜田門外の変」にいたるまでの作品にまつわるエピソードなど、ディープなファンでも初めて目にする内容も多かった。

なんでも、未亡人である津村節子氏の了解を得ないまま出版してしまったとの噂もあり、昨年発刊されたばかりなのに現在は絶版で、私も古本屋で入手したのだが、絶版にするにはおしい、いかにも吉村昭らしいエッセンスが詰まっている。

ということで、久々の刺激で私も思わず書いてしまった。吉村風エッセイ♪



「小さい男」

私はいつも夕食の時に、焼酎を飲む。飲み方は水割りで、飲み過ぎると翌朝に響くため、いつも二杯で止めている。

焼酎の水割りをおいしく飲むためには、おいしい氷作りが欠かせない。我が家では冷蔵庫の製氷機ではなく、製氷皿を冷凍庫に入れて氷を作る。その方が氷がおいしく作れるように感じるからだ。ただ水の補給を忘れると、いつの間にか氷が無くなっているということになりかねない。水の補給はいつも妻の役目だ。毎朝のアイスコーヒーにも使うためである。

ところが今日帰宅したら氷が切れていた。思わず妻にそのことを告げると「あら、気がつかなかった」との答え。氷がなくて水割りが飲めず少し苛立っていたが、この反応で所詮焼酎、と冷静になった。

私は小さな男だ。










真似るためのポイントは以下の4点。
①最初に事実を書く。その後に感想を付ける。
②抑揚はできるだけおさえる。激しない。
③自分のわがままは戒める。多少自虐的でも可。でも社会への不満は隠さない。
④きっかけはあくまでも小事。かといって結論をもったいぶらない。


といいながら、やっぱりフィニッシュが違うんだよな~。自分の文章のスタイルを持つということがいかに難しいか、改めて感じたのでした。

おお、久々に読書ブログっぽいぞ(笑)



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吉村昭氏は俳句が大好きで、熱心に句作に励んでいた。その句は小説の作風とも繋がり、骨太で人間味溢れるものが多い。幻の私家版句集にその後の句とエッセイを増補した決定版。

炎天炎天
(2009/07)
吉村 昭

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ようやく吉村昭の本を紹介する機会に恵まれた。ただ残念ながら小説ではなく、彼が趣味として詠んでいた俳句である。それでも彼の作風が存分に句に現れているのが興味深い。

吉村昭の作風のことをどういうカテゴリーに入れるのか、なかなか難しいところだが、歴史小説家といってしまうと司馬遼太郎の作風を嫌っていた吉村に申し訳ない。ご承知の通り、司馬遼太郎の作品にはしばしば(しゃれじゃありません)英雄的人物が登場する。それも、それなりに詳細な記録があるはずの明治維新や日露戦争においてである。もちろん司馬自身の歴史認識が作家としては突出したものであることは認めざるを得ないが、それをデフォルメしてまで特定の人物が歴史を左右したと物語を作り上げる必要があるのか。

まあこれは前も書いたのでこれ以上は書かないが、その正反対の位置にいるのが吉村だ。彼は徹底的な事実調べをすることで有名であり、例えば「桜田門外の変」を書いたときは、当時の全く関係の無い人の日記に事件当日の天候についての記載を発見して、それを記述している。それにより、その場の情景が変わるのだ。それを可能な限り正しく調べるのが作家の責任だと言ってはばからなかった。ゆえに「誰が見たのか?」という登場人物の心理描写まで書いている司馬の作風は、吉村は苦手であっただろう。名前は伏せているが、好きではない作家がいるという趣旨の発言を城山三郎との対談でしたりしている。

吉村が歴史を取り扱うようになったのは「戦艦武蔵」からであり、それ以前は主に「死」をテーマにした短編小説を書いていた。ただその筆致はあくまでも情景を丹念に書くことで登場人物の心の動きを描こうとするものであり、歴史物で見せる筆致と変わるところは無い。そんな吉村だが、妻で芥川賞作家の津村節子や編集者たちと俳句の会を催していたようで、本書はそういった機会に披露された句を中心にした句集および俳句エッセイである。

ただしさすがは写実主義作家だけあり、まあ正直何を言いたいのか分からない(笑)、というかそれを書いてどうする!というものも多い。いや、もちろん私なんぞには書けませんよ、こんな句。でもいくつか引用してみたい。まずは犯罪関係w

 水死人ありてボートはすべて岸
 変死体洗ふ流れに蛍舞う

いやー吉村先生、水死人、変死体、ですか。それでボートは引き上げられ、蛍が舞っている、と。さすが「透明標本」(少女の骨を標本にする話)を物にした作家だけありますね。しかし一体どこで見たのか(笑
続いて服役関係w

 仮釈放衛所も門も花吹雪
 仮出所近き女囚の毛糸編む

花吹雪、にいたっては、もはや仁侠映画のワンシーンである。多分本人も少しそんな気分だったに違いない。ただこの、女囚、については恐らくシャバに残してきたであろう家族との再会を待つ囚人の心情が見て取れる。犯罪関係の句(w)で唯一心情描写が感じられたのがこの句なので引用した。

 燃えつきて火の針となる鳥総松

これは、さすが写実作家の面目躍如!の一句だ。年始の行事を描いたと思われるが、目の前にありありと情景が浮かんでくる。そして最後、これはよいとか悪いとかではなく、吉村昭はこんなことを心に置きながら暮らしていたんだなあ、と実感できる句である。

 貫きしことに悔いなし鰯雲

幼い頃に肺結核を患ったり、サラリーマンとしても苦労したり、奥様に先に文学賞を取られたり、氏のエッセイを読むとそういった諸々が綴られているので愛読者にはよく知られている氏の挫折の人生だが、氏はそれ自体について嘆いたり不平を言うようなことはエッセイからは全く感じられない。唯一この句だけが、そうした氏の心情を語っているようで、この句集の中では私の大好きな句である。まあ私自身の心情もちょっと入っているが。

なんだか久々に吉村昭を堪能したぞ。俳句自体は普段まったく接点が無いが、好きな作家の句であれば、こんな楽しみ方もできる。☆☆☆☆。

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世界をまたにかけて移動し、世界中の人々に影響を与え続けているユダヤ人の起源から現代までの三千年以上にわたる歴史を、簡潔に理解できる入門書。各時代における有力なユダヤ人社会を体系的に見通し、その変容を追う。オックスフォード大学出版局の叢書にもおさめられている基本図書。多数の図版と年譜、索引、コラムを収録。

「ユダヤ人の歴史」レイモンド・シェインドリン
ユダヤ人の歴史 (河出文庫)ユダヤ人の歴史 (河出文庫)
(2012/08/04)
レイモンド・P・シェインドリン

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何かの本で「ユダヤ人の歴史について、複数のユダヤ人が推薦する本」との紹介があった本。アブラハム、モーセ、ソロモンの時代から、イスラム教との同衾、スペインでの繁栄、異端扱いされた中世を経て、ホロコーストへ。
迫害されなくなった現代の米国のユダヤ人の方が、迫害されていた中世のユダヤ人よりも確実にアイデンティティを失っているというのも興味深い。

世界史を理解するには必須の書。☆☆☆☆☆。

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日活映画の素晴らしい共演者たちと『キューポラのある街』への深い思い。原点となったラジオとの縁。『動乱』から『北のカナリアたち』へ続く北の大地での映画出演。ラグビー、乗馬、水泳など趣味のスポーツ。原爆詩朗読に込めた平和への祈り。先輩たちとの交流。手紙の思い出。母のかたみをはじめとする大切なきものがたり―。時代の風を受けながら、トップを走り続ける女優の今を綴るフォトエッセイ集。

夢の続き (集英社文庫)夢の続き (集英社文庫)
(2012/10/19)
吉永 小百合

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吉永小百合が雑誌に連載していたエッセーをまとめたもの。写真も多く往年のサユリストにはたまらない内容だろう。

ただここまで真面目に生きるには、まるで修道女のような生活になるのだろうが、本人はそれなりに楽しそうだ。もう少し遊びがあってもよいのでは、とも思う。
☆☆☆。

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