量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

カテゴリ: >は行(ノンフ)

政府に弾圧され続けるトルコの少数民族の言語と、その生活の実態を、スパイと疑われながら、調査し続けた著者。前著『トルコのもう一つの顔』(中公新書)が、まるで推理小説のようなスリルに満ちた物語と、著者の少数民族に対する愛情に涙が出たと絶賛され、長らく続編が待望されながら20年。前著でトルコを国外追放されたあと、再びトルコへの入国を果たし、波瀾万丈のトルコ旅行が開始される。著者の並外れた行動力と、深い知識、鋭い洞察力が生み出した画期的トルコ紀行。

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」
(2010/09)
小島 剛一

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平成2年に出版された「トルコ もう一つの顔」、その続編の「漂流するトルコ」、いずれもトルコの言語を長年研究してきた小島剛一氏がトルコに数多くいる民族とその言語をライフワークとして現地を丹念に調査し、現地当局と戦ってきた記録である。トルコはごく最近まで、国内でのトルコ語以外の使用を認めていなかったし、存在すら否定していた。

言語を否定することは民族を否定することだ。クルド人はトルコ国内にはいないことになっていたらしい。そういえばトルコとの国境近くのイラクでクルド人が迫害された時に、日本でもあたかもトルコ側にはクルド人がいないかのような報道がされていたのを思い出した。

本書でもう一つ目に付くのは、現地当局関係者のあまりに傲慢な振る舞いと、それに対して少数民族のあまりに誇り高い行動の落差だ。当局関係者のなかにも少数民族出身者がいるのだが、彼らが当局の方針に反して筆者に暖かく接する場面からは、彼らがトルコ国内で置かれた立場がリアルに伝わってくる。

先日読んだ井上ひさしの本で「人はある年齢までに母語を習得し、その言語で思考するようプログラムされる」といった趣旨のことが書かれていた。最初にものを考えるようになった言語は、その人のアイデンティティそのものを支配するのだ。だから民族は自分の言語にこだわるのだ。その言葉を禁じられることに抵抗するのだ。

著者はそのことを理解できる人とできない人を徹底的に区別する。たかが言語などといってその重要性を理解できない者はみな敵だ。ほとんど言いがかりではないかというほどの勢いで、敵に対してはどんどん食ってかかる。「トルコ もう一つの顔」では出版社の勧めもありその辺の怒りの表現はかなりマイルドになっているらしいが、新作ではもうあからさまである。

その辺を割り引いて考えても、本作はトルコと言う国が実は警察国家であり、内部では様々な感情がうごめいているであろうこと、さらには他の国においてもおそらく同様に迫害されているであろう少数民族が、どんな迫害を受けているのかを赤裸々に語ってくれる本である。いわゆる先進国ではない国への旅行の趣味のある人は必読だ。☆☆☆☆☆。

そういえば、読書メーターに本書のレビューを書いたからだと思うのだが、作者ご自身にこのブログをご覧いただいたようだ。あまりに中身がないので、一度きりだったが(笑)

人類史上かつてない惨劇をもたらした二つの世界大戦。この戦争は本当に必要だったのか? 本当に不可避のものだったのだろうか? チャーチルとヒトラーの行動を軸に、戦争へといたる歴史の過程を精密に検証する一書。





不必要だった二つの大戦: チャーチルとヒトラー不必要だった二つの大戦: チャーチルとヒトラー
(2013/02/25)
パトリック・J. ブキャナン

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第二次世界大戦勝利の立役者チャーチルが、実はヒトラーも真っ青の超好戦的な人物で、実は多くの厄災は彼が招いたというお話。書評を書くのが難しい本が続きますね♪

ミュンヘンでのドイツとの協定の直後にドイツがチェコに侵攻し、英国の面目が丸つぶれになったことで、タカ派のチャーチルが暴走し、やらなくてもよいポーランドとの協定を結んだために、ドイツがポーランドに侵攻することで自動的にイギリスとも開戦してしまった。もしチャーチルが暴走しなければ、ドイツはそのまま東へ進みソ連と対決し、恐らく共倒れになっていたはずで、そうすればアウシュビッツもフランス占領もヒロシマ・ナガサキすら無かったかもしれない、という説だ。

この節の根底にはチャーチルが評判以上に好戦的、あるいは戦争好きという捉え方がある。それには大いに同意。アメリカを戦争に引っ張り込んだ手管はあっぱれとしか言いようがないし。ベルサイユ条約がドイツに過酷なものとなった経緯や、日英同盟継続に敢えて抵抗し、多方面で不安定な状態を作り出したというのも頷ける気がする。

しかしチャーチルは20世紀最大の事件であった第二次世界大戦をそのリーダーシップで乗り越えたわけだから、毀誉襃貶があるのはやむを得ないと思う。そこは割り引いて読んだほうがよいかも。また第二次世界大戦の犠牲者の大半は東部戦線だ。イギリスの参戦はドイツを倒すのには役立ったが、厄災を拡大したとまで言えるかどうか。またソ連がドイツに侵攻したのち、必要以上に西欧に食い込むことを止めることなもなった。

ヒトラーはイギリスと戦う気がなかったというのは、ダンケルク直前での不可解な停止、上陸計画もないのに英本土を空襲するなど、頷けるものはある。日本がアメリカと開戦したのも計算外だったようだし。特に後者はチャーチルを退陣に追い込むための策だと言われればなおさら。でも西部戦線の引き金を最終的に引いたのはヒトラーだ。

それに結局大戦を通じて米ソが台頭し英国は凋落するのだ。チャーチルにとって何が見込み違いだったか。やはり最大の誤算は独ソ不可侵条約だろう。帝国の誇りを掛けて東欧諸国を守ろうとしたのに、ソ連にいきなり梯子を外された訳だし、その結果ドイツに自国を攻撃されることにもなり、ドイツの勢力が分散されてソ連は生き延びた。ただしこの時点でポーランドから手を引くという選択肢があったとの説もある。それにそこまでして守ろうとしたポーランドをスターリンには簡単に渡して殺戮を黙認したという矛盾もある。

歴史の面白さ、皮肉を堪能できる良書だ。英国の参戦が無駄だったとは思わないし、チャーチルを悪者に見たりヒトラーを善人に見直したりすることはないが、彼らに対する見方は確実に変わる。でも訳に若干難あり。☆☆☆☆。

ジョン・フォーブス・ナッシュ(1928~)―経済学、生物学、政治学など広い分野に多大な影響を及ぼした天才数学者。ゲーム理論、幾何学、解析学の幾多の定理、概念に名を残した異才…。だが、その男の半生は、嵐とみまごうほどの転変の連続だった。若き日の絶頂を境に、30年以上にわたって精神の病に苦しみ、「プリンストンの幽霊」と囁かれるほど見る影もなくした男が、ある日奇跡的な回復を遂げ、ついにはノーベル賞を受賞する―。過酷な運命と闘った実在の天才数学者の、数奇な運命をたどる感動のノンフィクション。ピュリッツァ賞(伝記部門)最終候補、全米批評家協会(伝記部門)大賞受賞、ほか受賞多数。


ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡
(2002/03/15)
シルヴィア ナサー

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ラッセル・クロウ主演で映画化もされた、数学者ジョン・ナッシュの半生記。彼はゲーム理論における「ナッシュ均衡」を考案したことでノーベル賞を受賞したが、実は考案した50年代の終わりから90年ごろまで統合失調症だった。治癒することがないといわれる統合失調症から奇跡の回復を果たしたことで、映画にも取り上げられた。

本書にはナッシュの業績が正面から取り上げられている。これがなかなか難解。ナッシュ均衡についてはこんな感じ(^^;

>均衡という状態について、ナッシュはどのプレーヤーも、他の可能な戦略を選択しても自分の立場を改善できない状況と定義している。これは、各個人にとっての最善の選択が、社会的に最適の結果をもたらすとは限らない、という意味である。

まあいいだろう(笑) しかしながらクリントン政権において携帯電話事業に対する電波の割当のオークションで、このゲーム理論が大いに効果を挙げたらしい。役に立たない理論が多いノーベル経済学賞では珍しいことだ(苦笑)

また研究者としてのナッシュの凄さはその執着心にあったようだ。

>ナッシュはレヴィンソンに解を示しました。はじめの何度かは、誤りだらけでした。でも、投げ出しませんでした。問題が難しくなればなるほど、必死になるのです。自分の優秀さをひけらかしたい気持ちからだったのは間違いありませんが、一方では、問題が予想以上に難しいとわかっても、けっして音を上げません。さらに一層集中するのです。

しかし、自分の研究で他の研究者に先を越されたり、当時の反共激しいアメリカにおいて迫害のターゲットだった同性愛嗜好からくる情緒不安定が引き金となり、ナッシュは妄想に囚われるようになる。

そこからナッシュは精神病院への入退院を繰り返し、学界での地位も失っていくのだが、驚くのは本人には当時の記憶が明確にあることだ。そのお陰で我々も本初を読むことが出来るのだが、症状が寛解し学界での地位も取り戻したからこそ、語れるということか。

残念なことに、本書ではあたかもノーベル賞の受賞が全てを解決したかのように描かれてしまっているのだが、よく読むと寛解したからこそ受賞できたとも読める。回復に向けて本人がどう苦しんだのか、もう少し踏み込んでも良かったのでは。☆☆☆。

アメリカはどこで間違えたのか。国中にあふれるホームレスや失業したワーキング・クラスを30年間追い続けたノンフィクション。
ピュリツァー賞作家が文章と写真で綴る30年間、80万5000キロの旅の記録。
ホームレスや失業したワーキング・クラスの人々、仕事を失ったり、低賃金の職しか得れず、長時間働き続けても家を借りられない、食料配給を受けなければ生活できない人たちなどを取り上げ、その暮らしぶりや思いを如実に描く。
1980年代から現在まで30年にわたる取材をまとめている。
本書の舞台の一つであるオハイオ州ヤングスタウンは鉄鋼の街だったが、80年代の鉄鋼業崩壊により多くの職が失われ、街が崩壊していく様が描かれる。その姿は最近、財政破綻したデトロイトと重なる。
後半ではウォール街で富を謳歌する人たちの姿も描かれる。
大部分の労働者の賃金は上がらないまま、富裕層1%の収入だけが上がったら社会はどうなるのか、その現実がまざまざと描かれる。
また、ワーキングクラスが保守化し、移民に対する激しい弾圧が行われる様は日本国内の排外主義の台頭と重なる。
日本が少なからず米国化していること、近い将来、日本が現在の米国に近い状況になる可能性が高いことは多くの人が認識しているところであり、日本の読者にとっても有益な1冊となるはず。

繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ―――果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ―――果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録
(2013/09/28)
デ-ル・マハリッジ、マイケル・ウィリアムソン 他

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先日の「冬の兵士」に続いて、米国の暗部に光を当てたノンフィクション。市場主義の行き過ぎから貧富の差が拡大する米国を30年にわたって行脚し、写真とともにその実情を語る。しかし本書が光を当てているのは、米国にどんな貧しい層がいるのかということではなく、その人たちがいかに希望を失っているか、という点。これでもかこれでもかというほど、人々の絶望の心境に踏み込んでいく。

産業構造の変化により職を失う人たちはいつの時代にもいる。そこにさらに、不動産価格の変動という要素が加わる。米国の固定資産税がバカ高いのも驚きだ。そしてこれまで送ってきた生活のレベルが突然下がる。手元に現金がなくなる。家が無くなる。家族が離散していく。そしていつ這い上がれるのかまったく望みはもてないまま、アルコールやドラッグに走る。

自宅を担保に借金まみれになった人のメンタリティもワンパターンだ。今の収入ででもこんな家が買える、しかも自動車も一緒に買える、家具も豪勢にできる。他人よりもいい生活ができる。そうしてローンが滞り家を、家族を失う。そこには、「金持ちか、貧乏か」とどちらかしかない。お金が幸福の尺度になっている。著者は政治に問題があるといいたいようなのだが、読んでみるとむしろ我々の側の問題が浮かび上がる。

私にも経験がある。少しいい車に乗ったりすると気持ちいい。それはそれで幸福感が味わえる。それが無理でも、車を買うときに必要も無く高いグレードを買ったりする。でも本当に280馬力必要ですか?(笑) 比較する相手がいなければたぶんそんな無駄な出費はしないのだが、社会で生きている以上、どんな人だって最小限の虚栄心は持ち合わせている。そしてその心理を最大限に利用して稼ごうとする大企業。(この辺りはナオミ・クライン「ブランドなんかいらない」に詳しい)

ようやくこの歳になって、そういう自分の欲に多少は冷静に向き合えるようになってきた。まあ子供もできて可処分所得が減ったのでやむにやまれずということもあるが(笑 でもいったん冷静になってみると、自分がいかに市場主義経済に振り回されていたかがわかる。アメリカ人も特にここ数年はそういう風潮に思い切り振り回されていたのではないか。

本書の中でも、そういった世の中に疲れた人たちが「金持ちか貧乏か」という次元だけではない、新しい価値観を模索する姿が描かれている。農業への取り組みが代表的だ。このblogを見ている人たちはもう気づいていると思うのだが、こんなストーリーをたくさん見てきた我々は、もはや企業の戦略にのせられて買わされたモノでは幸福感はえられなくなっていると思う。

決して企業の悪意(はっきり言いますが)に振り回されない、ただ物を買うだけでは得られない幸福感を測る尺度、自分自身の価値尺度が持ちたい。そんなことを改めて考えさせられました。これがアメリカ人の生活の現状を正しく示しているわけではないし誇張もあると思うが、一つの切り口であることは間違いない。☆☆☆☆。

シンプルな数式が摩訶不思議でカラフルな図形を生む、フラクタルの魔術は、数学を知らない人も簡単に魅了する。一方で、言語分布から金融工学までの広範な分野について基盤をなすのもフラクタルだ。フラクタルの創始者マンデルブロは、その理論にふさわしいユニークな人物だったが、生い立ちが詳しく知られることはなかった。彼がどのような科学者に影響を受けたか、あるいは、第二次大戦下、ユダヤ系のポーランド人として生命の危機をいかに逃れたかの詳細は、本人の手になる本書が書かれてようやく明らかになったのである。私たちの世界の見方を一新した天才、マンデルブロが死の直前に書き残した待望の自伝。

フラクタリスト――マンデルブロ自伝――フラクタリスト――マンデルブロ自伝――
(2013/09/20)
ベノワ・B・マンデルブロ

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相変わらず駄文を垂れ流しております。本書などは本当になんの脈絡もなく読んでいるので、当blogの読者の皆さんには誠に申し訳ないです。でも、量で質を凌駕するには、読んだ本は全て記載するということで…


えー、自分もそんなに詳しくないのだが、まず「フラクタル」という概念がある。これは自然界の中には規則性が無いようで規則性あるものがあり、それは数学的に再現が可能だという考え方だ。









はい。これだけでは何のことかまったくわかりませんね。私も自分が何を書いているのかわかりません(笑




よく例えに出されるのは、空から見た海岸線の形。日本列島を空から見ると、日本のいろんな場所の輪郭は各々非常に入り組んだ形をしている。でも、その縮尺を100倍にしてみると、あら不思議、おんなじ形が出てくることがある。要するにスケールの異なる相似形なのだ。具体的な図形としてはこんな感じ。

koch6.png


同じように、為替レートの変動も日々の動きと10年間の動きが同じ形をしていることがある。これも相似形であり、相場には記憶があるらしく、自己相似とか言っている。この形を描き出すのがフラクタル理論で、これを使うことで金融商品の価格の動きを説明することが可能になる。      ・・・らしい。

マンデルブロその人は、若いときから「ケプラー的活躍」をすることを夢見ていたらしい。ケプラーは惑星が楕円軌道を描いていることを説明し、天体の運動に合理性を与えた。すなわち世界を変えるような発見をしたい、理論を打ち立てたい、ということだそうだ。

マンデルブロはもともとポーランド生まれだったのだが、迫害を逃れてフランスに渡り、フランスの最高学府に入学するが数学界での権威主義にすぐに嫌気がさし、2番目の学校に転入。そこで、純粋数学ではなく応用数学と理論物理学の狭間をさまよい、やがてアメリカに渡りIBMの社員となる。そしてフラクタルをコンピューターも活用しながら自然界の動きを描き出す理論へと完成させていく。異端であることを尊しとしてきた人だ。

欧州の知の巨人と言われる科学者には、第二次大戦で祖国を失ったり、家族が迫害を受けたりした人が多い。一般の人の回想も面白いのだが、学者はより直裁だ。不快なことは不快なこととして回想する。そういったことを読むと、当時の欧州の状況がどのようだったのか、一般的な歴史の本を読むよりもより実感を伴って理解できる。

まあフラクタル理論がどうやって生まれたのかもわかることになってますしね・・・・彼のお陰でカオス理論の研究は急速な進歩を遂げ、気候変動がコンピュータで計算できるようにもなりました。この絵はもしかすると見たことあるかもしれません。

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本書では数式は出てこないし、数学の定理が分からなくても内容は一応理解できる。しかし本当の天才って、特定の分野に縛られないですね。あらゆることに応用がきく。受け売りですがライプニッツはレンズ職人だったそうです。
☆☆☆。

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