量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

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安ホテルでヤク中が殺された。傍らにチェス盤。後頭部に一発。プロか。時は2007年、アラスカ・シトカ特別区。流浪のユダヤ人が築いたその地は2ヶ月後に米国への返還を控え、警察もやる気がない。だが、酒浸りの日々を送る殺人課刑事ランツマンはチェス盤の謎に興味を引かれ、捜査を開始する―。ピューリッツァー賞受賞作家による刑事たちのハードボイルド・ワンダーランド、開幕。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞三冠制覇。

ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫)ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫)
(2009/04/25)
マイケル シェイボン

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イスラエルが成立せず、アラスカ辺りにユダヤ人自治区ができているという前提からお話が始まる。こういうのを歴史改変SFというらしい。歴史を大きくいじってしまうと、どこかに無理が出るものだが、本作はその不自然さを逆に利用して、物語に香り付けをしている。

そもそもがユダヤ人という独特の民族性を持った人達が登場人物なのだ。そのディアスポラの歴史と、この自治区がもうじきアメリカに返還され、住んでいる人達は行き場がなくなるという、明日をも知れぬ不安感。なんか二日酔いの朝に「今立ち上がったら絶対吐く!」という感じに似ている。ん、分かりにくいですか?でもそんな状態のなかで、例えば今日は絶対に遅刻できない会議があるとしたらどうだろう。

主人公もアル中の設定なのでリアルな例えなのだが、そんな悪寒と戦いながら主人公は犯人に迫っていく。街の様子もどこかしらアジアを思わせる描写で、ブレードランナーの映像が頭に浮かぶ。映画化するならハリソン・フォード主役がいいかも。ペアを組む従兄弟でインディアン混血、身長2mの刑事はチューバッカだ。そうするとユダヤ極右派のボスはジャバ・ザ・ハット、殺されたその息子で救世主と呼ばれた男はルーク・スカイウォーカー、主人公の別れた妻はレイア姫、主人公をピンチから救う小人警視はヨーダ!

改変歴史SF+ハードボイルドクライムストーリー+純文学とうたっていますが、実は冒険活劇の要素もふんだんに含んでます。設定だけでも相当に興味深いですが、内容もかなり面白い。本作の日本語版、翻訳はコーマック・マッカーシーの作品を数多く手がけている黒原敏行氏。安心して読めます。☆☆☆。

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切なさの分だけ家族は確かにつながっていく佐和子の家族はちょっとヘン。父をやめると宣言した父、家出中の母、秀才の兄。この家族と佐和子の恋を切なく温かい筆致で描き、映画化でも話題となった感動作。

幸福な食卓 (講談社文庫)幸福な食卓 (講談社文庫)
(2007/06/15)
瀬尾 まいこ

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「図書館の神様」がなかなかだったのでこちらも読んでみる。「お父さんはお父さんをやめることにした」というのがこの小説の出だしだ。なかなかインパクトがある、と思っていたら母親も家を出て一人暮らしをしている、優等生の兄も大学には進学せず就職、という家族みんなが何かに疲れている設定だ。

ただしお話自体は淡々と木目細かく進んで行くので、ああ、瀬尾まいこだな、とおもう。しかし物語の後半、主人公を悲劇が襲い、それをきっかけに家族が再集結する、ということなのだが、そもそも家族がバラバラになったきっかけも、この悲劇も人の生死に関わる事件だ。この構図は高校生が主人公の小説としてはインパクトもあるが、結構グロテスクだ。

この人は、こんなに設定にインパクトを持たせなくても、描写の積み重ねで十分本が書ける人だと思うのだが。
☆☆。

フランスの田舎道でパンクのため立ち往生したバスは、ドイツ軍の機銃掃射を受けて動けなくなった。これから先は歩くしかない。老イギリス人は、やむなくむずかる子供たちの手を引いた。故国を目差して! 戦火広がるフランスを、機知と人間の善意を頼りに、徒手空拳の身でひたすらイギリス目差して進む老人と子供たち。感動の冒険小説。(Amazonより)

パイド・パイパー - 自由への越境 (創元推理文庫)パイド・パイパー - 自由への越境 (創元推理文庫)
(2002/02/22)
ネビル・シュート

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これまたゴロちゃんさんのブログで拝見し気になっていた作品。ネビル・シュートといえば「渚にて」のカタストロフィックなストーリーがあまりにも有名だが、こちらは英国老紳士による勇気あふれるさわやかな冒険譚。このお話は1942年に書かれており、その時代背景が生々しく描かれている。まずはこの小説の舞台となった当時のフランスの状況を振り返らねばなるまい。

1940年初夏に電撃戦と称してドイツ軍がベルギー、オランダ、そしてフランスへなだれ込み、一気に西ヨーロッパを占領するにいたった。第一次大戦以降20年間の惰眠をむさぼっていたフランスは政治が混乱し、目前の危機に挙国一致することなく降伏し、ドイツ占領下のヴィシー政権が立ち上がる。この政権は完全にドイツを向いている。
フランス国内もヴィシー政権に同調する人たちと、英国に逃れて亡命政府を樹立したドゴール将軍を支持する勢力に分かれる。ヴィシー政権を支持する人たちは連合国に対しては敵対意識を持っている。これには英国が当時のフランス海軍の軍船を撃沈したことなども作用している。

こんな複雑な国内情勢の中を、その敵国と目されている英国の老人が徒手空拳で、しかも子供連れでスイス国境からドーヴァー海峡を目指すのである。劇中の会話の中にもその微妙な国際情勢が表れていて、フランス市民によっていつドイツ軍に密告されるかという主人公の緊張感が伝わってくる。英語を話しているだけで英国のスパイと間違われかねないが、英語ネイティブの子供もいてこれがまた緊張感を高めてくれる。
英国人の婚約者を亡くしたフランスのお嬢さんもこの逃避行に途中から参加するのだが、英国人の彼を偲びながらフランスに暮らしている彼女にとっては、英国人の一行の脱出を手伝う行為が彼女にとっての正義なのである。

当時のイギリスで、フランス人がドイツ兵の目を盗んで英国人を助けるというストーリーが大いにうけたのは想像に固くない。老人が主人公なので派手なアクションは期待すべくもないが、脱出行には欠かせないいわゆる「最大のピンチ」のシーンもちゃんと設定されており期待を裏切らない。どうやって切り抜けるかは読んでのお楽しみである。小さな子供から見ると大人は周囲のすべてのことをコントロールしているように見えるが、どっこい大人だって命が磨り減るくらいにドキドキなのだ。

子供のころに見た映画「日本沈没」のラストに、故郷を失った主人公がブラジルの大地を鉄道で去っていくシーンがあり、もし自分がこんな目にあったらつらいだろうなと40年以上経った今でも思い出すと切なくなるのだが、今度からはこんな大人が一緒にいてくれることを想像することにしよう(笑 ☆☆☆。

主人公は、清く正しい青春をバレーボールに捧げてきた、その名も清(きよ)。あることがきっかけで、夢をあきらめて教師になるべく、海の見える中学校に赴任する(教員採用試験に受かっておらず、臨時雇いではあるが)。そこで、思いがけず文芸部の顧問となった清に訪れた変化とは……。「卵の緒」で坊っちゃん文学賞を受賞した瀬尾まいこの、デビュー第2作。大幅にファンを増やした評判作の、待望の文庫化。単行本未収録の幻の短篇「雲行き」も収録。(Amazonより)

図書館の神様 (ちくま文庫)図書館の神様 (ちくま文庫)
(2009/07/08)
瀬尾 まいこ

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最近いろんな方のブログを猟渉してまして、それも参考にちょっとだけスタイルも変えてます。

本書は最近いたく気に入っているゴロちゃんさんのブログからのチョイス。

実は自分は、日本の若手小説家の作品があまり得意ではない。主な理由としては、文章力の低さとリアリティのなさ。
特に自分が歳を取るにつれ、自分の経験値も蓄積されていくわけで、リアリティについては自然と目線が上がっていく。読んでいてリアリティが無いなあ、と思った瞬間にもうその作品に感情移入するのは無理だ。

文章力の方はうまく説明する自信がないのだが、たまに非常に平凡で一般的でしかない表現に出くわすことがある。あるいは明らかに借り物の表現に出会うことがある。そうすると、この作者は自分が本当に言いたいことがわかってないんじゃないかと考える。

文章を作る作業は、書いてみて読み返してみて、自分の言いたいことが最も適切に表現されているかを考えて、足りなければまた書き直して、という連続だと思う。言葉が借り物の人は、表現したい事柄自体も借り物に違いない。であればその人の作品を読む必要が無くなる。限られた時間を割いてわざわざ役にも立たない虚構の世界に首を突っ込んでいるのだから、読者に虚構であることを思い出させない最低限の義務が作家にはあると思う。

そんなわけでここ数年の自分の読書は、主としてノンフィクションや枯れた小説(吉村昭とか藤沢周平とか)に偏っていた。ノンフィクションならリアリティが無いことはあり得ないし、文章力が無くったって我慢できる。まあノンフィクションにはノンフィクションでまた求める目線があるのだが、本日は割愛。その観点では自分の推奨No.1は吉村昭だが、これも本日は割愛w

で本作だが、久々に小説を読んだということもあるのかもしれないが、文章の隅々にまで作者の神経がいきわたっているのが感じられる。無駄がないし、足りないとも感じない。それから登場人物同士が馴れ合っていない。常に互いに対して何らかの緊張感や不快感を感じているのがわかる。実際の人間関係はこうである。いつも気持ちのいい空気の中で、流れるようにファッショナブルに人間関係が続いていくわけがない。

そして最も大事な自分自身に対する嫌悪感と苛立ち。名前は「清」でも自分にはなんの価値もない。今、捨て鉢な生活を送っているのも、たまたま同級生の事件に遭遇してしまったせいではなく、以前からの「花を枯らせてしまう自分」「他人に厳しい自分」を一層嫌悪するようになったせいだ。そして他人に厳しい不倫相手に自分との類似性を見出し深みにはまっていく。

でも毎月亡くなった同級生の墓参だけは続けることで、その母親から手紙をもらう。垣内君とも心が通いあう。自分という嫌悪されてしかるべき人間を評価してくれた、自分を好きになれるかもしれない、という主人公の嬉しさが伝わってくる。「花を枯らせず育てる方法がわかった」となるわけだ。

そんなリアリティのある状況の中だけに、主人公が少しづつ変化していくさまもリアルに伝わってくる。実際の生活の中でも、そう何度も「やったぜ!」的なイベントがあるわけがないし、主人公に劇的な変化が無くてこのまま日常が流れていくという内容でも自分にとっては十分気持ちいい。が、作家本人が思っている以上にこの文章は重厚ですよ。説明しすぎないのもいい。不倫相手と別れて淋しくなる場面も、淋しがってはいるが抑制が効いている。

あえてケチをつければ、タイトルとペンネームがライトなので一瞬ライトノベルかと思ってしまう(だいたい「図書館」じゃなくて「図書室」だろうしw)それからそれから不倫相手と「将来の話をしなくなった」という部分。不倫相手とはそもそも将来の話なんてしないでしょ、将来が無いから不倫なんです。(いや、よくは知りませんがw しかし我ながら重箱の隅を・・・)

本作が作家として2作目とのことなので、この丁寧さをもう少し見守る意味で☆☆☆☆。もう何作か読みたくなりました。しかし我ながら長々と書きすぎだろ・・・

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20世紀とはどんな時代だったのか―。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか―。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」。

時代の風音 (朝日文芸文庫)時代の風音 (朝日文芸文庫)
(1997/02)
堀田 善衛、宮崎 駿 他

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さて今回は、宮崎駿と司馬遼太郎の対談本があるとどこかで見て、借りて読んでみた。堀田善衛氏のことは恥ずかしながら知らなかったのだが、1918年生れ。司馬遼太郎が1923年生れで宮崎駿が1941年生れという関係になる。必然的に宮崎駿が大先輩二人の会話に聞き入るという形になるのだが、堀田氏、司馬氏が欧州の文化や言語の話を始めると、宮崎氏もそれなりについていくところが面白い。

経歴で拝見すると堀田氏は仏文学が専門で、欧州にも永らく居を構えられた由。当たり前といえば当たり前だが、このお二人に限らず年配の作家の方々は、ほぼ例外なく言語や言語学について造詣が深い。本書でもスペイン語やフランス語、バスク語などの類似性と非類似性の議論が登場したりする。若い作家の場合かならずしもこういった分野に関心がなさそうな人もいて、作品の奥行きにも影響があると思う。小説の3要素といわれるストーリー、描写、人物のうち描写が単調になってくる。

司馬氏もその偏向した歴史観から「司馬史観」などと言われるのだが、こういった対談や「街道を行く」などを読んでみると、小説はあくまでも小説だから特定の史観を持ち込んでいるだけだということに気付かされる。氏自身は例えば特定のヒーローが歴史を作ったなどとは考えていないように見える。

この3人の対談の企画は対談の推移を読んでいくと、どうも宮崎氏がファンである堀田氏から色々話を聞いて本にしたくて立てたもののように思われる。一方で司馬氏は司馬氏で宮崎作品を結構見ているようだから面白い。かなりの後輩に当たる宮崎氏も、このうまい組合せの中で存在感を発揮できている。「紅の豚」の着想やストーリー立てに対して司馬氏が強い関心を示しているあたりなどは、やはり司馬氏は歴史家ではなく小説家なのだと思わせてくれる。
☆☆☆☆。

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