ドーピング、隠ぺい、手段を選ばぬ勝利の追求―自転車レースを支配するシリアスな闇の世界に、ランス・アームストロングのマイヨジョーヌに貢献した元プロ自転車選手のタイラー・ハミルトンとノンフィクション作家のダニエル・コイルがメスを入れる。煌びやかなプロ自転車競技界の裏側にある幾重にもつらなった腐敗を暴き、かつ恐ろしいまでに不穏な世界を暴きだす。元プロ自転車選手ならではの心理を克明に描いた傑作ノンフィクション。

シークレット・レース (小学館文庫)シークレット・レース (小学館文庫)
(2013/05/08)
タイラー ハミルトン、ダニエル コイル 他

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さて、今日はツールドフランスをめぐるドーピングの実態を、参加していた有力選手自らが生々しく描いた衝撃の問題作「シークレット・レース」。著者は主にUSポスタルチームでランス・アームストロングのサポート選手として活躍しアテネオリンピックのロードレースで金メダルも獲得したかなりの実力選手。

この人です。なかなかいい男ですね。
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作品中ではランス・アームストロングがいかにロードレース界を支配していたか、どの程度までドーピングが選手の間に蔓延していたかが克明に描かれている。これを読むと、なぜ今年の初めにアームストロングがテレビ出演して自らの罪を認めるにいたったのかがよく理解できる。

ランス・アームストロングはこちら。
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いわく、アームストロングはUCI(国際自転車競技連合)とかなり深く関わっており、ドーピングが明るみに出そうになったときも共謀してもみ消すことができた。逆に自分のポジションを脅かす選手が台頭すると、UCIを使って(当然だれでもやっている)ドーピングの疑いを掛けることによってけん制することができた。

チーム内においてもランスは絶対君主であり、気に入らない選手はすぐに無視され、やがてチームにいられなくなった。ドーピングを批判した人物を、嫌がらせによってレースから追い出したことさえある。実はタイラーもこのイジメ側に加わっており、後に相手に公式に謝罪している。

これを読んで、タイガー・ウッズのコーチだったハンク・ヘイニーが書いた「Big Miss(日本語版未出版)」を思い出した。タイガー・ウッズも自分の取り巻きをしっかりと作り、何かで彼の気に障ることがあると、予告なしで突然チームを追い出される。当然周囲にはイエスマンしか残らなくなる。

とはいえランスもウッズも、そんなわがままを言いながらも結果は出している。しかも余人では到達できないレベルで。

ドーピングについては世間一般からは非道な行為とみなされてもやむをえないが、この本を読むとツールドフランスという競技の中ではドーピングと言う行為が不正行為ではなかった、むしろ競技に参加するための前提条件であったことがわかる。

違う見方をすれば、そういった「ドーピングが常識の状態」を作り出したのはランス自身でもある。今になって「ドーピングしていたことは仕方なかったが後悔している」と懺悔されても、「何をいまさら」という感じなのであろう。他の選手がいわゆる校則違反をする不良高校生だとしたら、ランスは校長先生まで取り込んで悪事を働く一見優等生という感じか。

昨年秋以降、米国で過去の実績剥奪という動きがあった時、ランスは事態をコントロールできていないことに我慢ができなかったようだ。とにかく自分の存在感を知らしめるためにオプラ・ウィンフリーの番組に出演したというのが著者の見たてである。要は子供なのだ。

先日のチェスの名人ボビー・フィッシャーの清廉さと比較すると、何もかもコントロールしようとしたランスと、言うべきことだけ言って結果には拘泥しなかった(ように見える)ボビーとでは、大いに差がある。何しろボビーは、米国政府に抗議するためにホームレス寸前にまでなったのだから。

私自身は、ドーピングについては否定も肯定も難しいと考えている。ドーピングに分類されなくても健康に害のあるトレーニングはあると思うし、勝つために最善を尽くすのも当たり前だと思う。自分の健康への害を覚悟してまでドーピングすると言われたら、どう説得できるのか。

健康のために摂取していても、禁止薬物になったとたんにドーピングだ。何がクリーンなのか境目はどんどん変わっていくだろうし、これからも違反者は出るだろう。ドーピングをしないで清廉を保っている選手もいるので、じゃあドーピングをした選手を認めるのか?と聞かれればもちろんそうではないのだが。

サイクルロードレースを理解するためには欠かせない本です。☆☆☆☆。