ポケモンGO批判で炎上したやくみつる。
批判したきっかけは、タクシーの運転手に「最近丸くなった?」と言われ、
あえて辛口のことを言おうとしたかららしい。
氏のこれまでの辛口コメントは、心の中から湧き出てきたから支持されてたはず。
わざわざ作って乱暴に言っても、そりゃあ聞く人には響かないよねえ。
ビジネスでアウトロー装ってもねえ。
☆☆
読書感想のことを「ドッカン」と呼ぶらしい。
久々にオレもドッカンを上げてみる。
今回は村上春樹「職業としての小説家」。
そういえば村上春樹、一時ブログを立ち上げて読者に返コメしたりしてたな。
「小説は練習すればうまく書けますか?」と質問されて、
「才能がないと無理」って返答して話題になっていたあれだ。
自分のブログへの接し方に通じるところもあったので、
メモを取りながら読んだ。結構ポイントがありました。
書いてあることは、彼の小説のようにユニークな内容ではなく、
文章を作るうえでの基本的なことだった。
これで何が言いたいわけではないが、記録として書いておく。
【オリジナリティとは】
村上春樹の定義によれば
①新鮮さがあること。
②その中身を自己変革していけること。作りっぱなしはだめ。
③将来の後進が真似するようなスタンダードになること。
①は当然として、②も大いにうなずける。これがないとただの一発屋だし。
③はむつかしい。これはただのオリジナリティじゃなく「優れたオリジナリティ」だよね。
いくら新しいものを生み出していても、ただの借りものだと②すらむつかしいけど。
これはブログでも、ただホチキス止めしたみたいなのをたまに見かけますね。
良いとか悪いとかではないんだが、オリジナリティは感じないですね。
もちろん、意図してスクラップブック的に作ってる場合もありますけど。
【エッセイに使ったネタは小説に使わない】
これは、小説に取り組んでいるときはほかの仕事はやらないという趣旨。
でないと、せっかくため込んできたネタをうっかりエッセイに使ってしまったりするから。
自分も、ツイッターで使ったネタはブログでは使わないとか、気を付けてはいる。
ブログを読んでいる人が必ずツイッターのフォロワーとは限らないが、
ツイッターのフォロワーはほぼ全員ブログを読んでいる。
同じネタでも切り口が違えばいいんですけど。
【小説を書くとはそぎ落としていく作業】
最初の小説「風の歌を聴け」はこうやって作ったらしい。
誰の作風の影響も受けない、自分独自の文体を構築することを心掛けたとのこと。
確かに夾雑物が多いと、正しく伝わる可能性よりも、誤解される可能性が高まるかも。
誤解されそうな表現をどんどん削っていくっていう意味なら理解できる。
【音楽を奏でるように小説を書く】
スタイルなどの基礎ができると、あとは流れるように書いていく。
途中で寸断させたりせず、できるだけ連続して書いていく。
自分が書くときも、最初から最後まで一気に流れた時のほうが後で読みやすい。
別の時間に書いたものを貼り合わせると、意味不明の文章が出来上がる。
【小説の語り口が一人称から三人称に変わった】
これは違う意味で眼から鱗。確かに「ノルウェイの森」あたりまでは
主語が「僕」だったが、いつの頃からか三人称になっていった。
村上春樹はそれを「小説家として成長した」っていうんだけど、
オレが村上春樹を読まなくなったのも多分その頃。
しかも自分とは違う世代の主人公を選ぶようにしたらしい。
あの「僕」が帯びる空気感が良かったんだけどなあ。
【読み手が作家を作る】
これまで出してきた作品に対する読者の反応が今後の作品を方向付けるらしい。
村上春樹レベルで、そんなに正直になっていいの?って感じ。
書きたいものを書きながら読者の反応にもこたえていくって大変な作業。
逆にそれがないと、道標なき放浪になってしまうということか。
その他、小説を一本書くまでの作業工程とかは大いに興味をひかれた。
まだの人、ファンでない人も読んだ方がいいと思います。
いまさらオレが言うのもあれですが。
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批判したきっかけは、タクシーの運転手に「最近丸くなった?」と言われ、
あえて辛口のことを言おうとしたかららしい。
氏のこれまでの辛口コメントは、心の中から湧き出てきたから支持されてたはず。
わざわざ作って乱暴に言っても、そりゃあ聞く人には響かないよねえ。
ビジネスでアウトロー装ってもねえ。
☆☆
読書感想のことを「ドッカン」と呼ぶらしい。
久々にオレもドッカンを上げてみる。
今回は村上春樹「職業としての小説家」。
そういえば村上春樹、一時ブログを立ち上げて読者に返コメしたりしてたな。
「小説は練習すればうまく書けますか?」と質問されて、
「才能がないと無理」って返答して話題になっていたあれだ。
自分のブログへの接し方に通じるところもあったので、
メモを取りながら読んだ。結構ポイントがありました。
書いてあることは、彼の小説のようにユニークな内容ではなく、
文章を作るうえでの基本的なことだった。
これで何が言いたいわけではないが、記録として書いておく。
【オリジナリティとは】
村上春樹の定義によれば
①新鮮さがあること。
②その中身を自己変革していけること。作りっぱなしはだめ。
③将来の後進が真似するようなスタンダードになること。
①は当然として、②も大いにうなずける。これがないとただの一発屋だし。
③はむつかしい。これはただのオリジナリティじゃなく「優れたオリジナリティ」だよね。
いくら新しいものを生み出していても、ただの借りものだと②すらむつかしいけど。
これはブログでも、ただホチキス止めしたみたいなのをたまに見かけますね。
良いとか悪いとかではないんだが、オリジナリティは感じないですね。
もちろん、意図してスクラップブック的に作ってる場合もありますけど。
【エッセイに使ったネタは小説に使わない】
これは、小説に取り組んでいるときはほかの仕事はやらないという趣旨。
でないと、せっかくため込んできたネタをうっかりエッセイに使ってしまったりするから。
自分も、ツイッターで使ったネタはブログでは使わないとか、気を付けてはいる。
ブログを読んでいる人が必ずツイッターのフォロワーとは限らないが、
ツイッターのフォロワーはほぼ全員ブログを読んでいる。
同じネタでも切り口が違えばいいんですけど。
【小説を書くとはそぎ落としていく作業】
最初の小説「風の歌を聴け」はこうやって作ったらしい。
誰の作風の影響も受けない、自分独自の文体を構築することを心掛けたとのこと。
確かに夾雑物が多いと、正しく伝わる可能性よりも、誤解される可能性が高まるかも。
誤解されそうな表現をどんどん削っていくっていう意味なら理解できる。
【音楽を奏でるように小説を書く】
スタイルなどの基礎ができると、あとは流れるように書いていく。
途中で寸断させたりせず、できるだけ連続して書いていく。
自分が書くときも、最初から最後まで一気に流れた時のほうが後で読みやすい。
別の時間に書いたものを貼り合わせると、意味不明の文章が出来上がる。
【小説の語り口が一人称から三人称に変わった】
これは違う意味で眼から鱗。確かに「ノルウェイの森」あたりまでは
主語が「僕」だったが、いつの頃からか三人称になっていった。
村上春樹はそれを「小説家として成長した」っていうんだけど、
オレが村上春樹を読まなくなったのも多分その頃。
しかも自分とは違う世代の主人公を選ぶようにしたらしい。
あの「僕」が帯びる空気感が良かったんだけどなあ。
【読み手が作家を作る】
これまで出してきた作品に対する読者の反応が今後の作品を方向付けるらしい。
村上春樹レベルで、そんなに正直になっていいの?って感じ。
書きたいものを書きながら読者の反応にもこたえていくって大変な作業。
逆にそれがないと、道標なき放浪になってしまうということか。
その他、小説を一本書くまでの作業工程とかは大いに興味をひかれた。
まだの人、ファンでない人も読んだ方がいいと思います。
いまさらオレが言うのもあれですが。
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