量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

カテゴリ: >た行

西欧民主主義敗れたり! ! 著者渾身の歴史的<刮目>大作 終わりなき内戦が続き、無数の武装勢力や海賊が跋扈する「崩壊国家」ソマリア。その中に、独自に武装解除し十数年も平和に暮らしている独立国があるという。果たしてそんな国が存在しえるのか? 事実を確かめるため、著者は誰も試みたことのない方法で世界一危険なエリアに飛び込んだ──。世界をゆるがす、衝撃のルポルタージュ、ここに登場!

謎の独立国家ソマリランド謎の独立国家ソマリランド
(2013/02/19)
高野 秀行

商品詳細を見る






以前、高野秀行にずいぶんはまっていた時期があったのだが、ここ数年は若干なかだるみというか、昔ほどの面白さが感じられなかったのであまりフォローしていなかった。しかし本作を読んで、改めて氏の作家としての可能性に注目している。簡単に彼の過去の作品に触れてみたい。

怪獣記 (講談社文庫)怪獣記 (講談社文庫)
(2010/08/12)
高野 秀行

商品詳細を見る


まずはこちら。自分が始めて読んだ高野秀行の本。トルコの東部にあるワン湖にすむという怪獣を探しに行く話なのだが、筆者の肩の力の抜けた、それでいて出会う人々への観察眼がユニークで優しく、一緒に怪獣探しをしている気分にさせてくれる本である。私がにらんだとおり高野氏の目はあまりに鋭く、この後ヒットを連発することになった。



アヘン王国潜入記 (集英社文庫)アヘン王国潜入記 (集英社文庫)
(2007/03/20)
高野 秀行

商品詳細を見る


これは強烈だ。ミャンマーのシャン州に入り込んで地元の人と仲良くなり、一緒にアヘンを栽培し、挙句の果てにアヘン中毒になってしまう。日本ではあまり評価されていないのだが、ミャンマーの麻薬栽培の実態にここまで迫った本は珍しいらしく、英訳やらスペイン語訳やら何ヶ国語にも翻訳されているらしい。



西南シルクロードは密林に消える (講談社文庫)西南シルクロードは密林に消える (講談社文庫)
(2009/11/13)
高野 秀行

商品詳細を見る


シルクロードにはいくつかルートがあるが、インドからミャンマーを経て中国に抜けるルートを現代になって実際に通り抜けたひとはいなかったらしい。そこを高野氏はいろんな手を使って通過していく。ある意味、探検家としての彼の面目躍如ともいえる本。ただしこのときに無許可でインドに入国したがゆえに、以降インドには入国禁止になる。この辺は「怪魚ウモッカ格闘記」に詳しい。



イスラム飲酒紀行イスラム飲酒紀行
(2012/09/01)
高野 秀行

商品詳細を見る


タイトルどおり、イスラム諸国に行って隠れてお酒を飲むお話。あの戒律の厳しいイランにも行っているところがすごい。氏は時々「自分には間違う力が備わっている」とのたまうが、イスラムの国でアルコールを求めてさまよっている様子を読んでいると、まさに「間違う力」炸裂だと思う。


実はこのあたりで少し作風にも中だるみがあったのだが、今回のソマリランド話ではその心配は完全に払拭された。これまで氏がこだわりを見せていたミャンマーに関する作品では多民族間の紛争の表面だけをさらっていて、氏の関心はもっぱら地元の少数民族との直接接触にあるように見えた。

だが本作でむしろ問題意識のあり方がより格調高くなり、ソマリ人とその国家がいかに自立していくか、またその具体的方法などにも論が及んでいて、たとえば現地NGOの人などにとっての必読書、というレベル感になっている。国連の場などでの発表にも耐えうると思われる。

印象的なのは、高野氏が体感的にたどり着いた結論が、他の作家や活動家がたどり着いた後進国支援の考え方とまったく同じであること。すなわち、一方的に与える支援では国民は自立できない、というもの。おのおのの国民が自分たちの国民性を活かしながら、その国民性にマッチした発展方法を工夫していくのが、どんなに多額の補助金よりも効果があるのだ。

なんとなく、先日の自殺率の低い徳島県海部町のお話と共通するような気もする。人間が活き活きと生きていくためには何が大事なのか、考えさせてくれる本である。☆☆☆☆☆。

人質は350万キロリットルのビールだ―業界のガリバー・日之出麦酒を狙った未曾有の企業テロは、なぜ起こったか。男たちを呑み込む闇社会の凄絶な営みと暴力を描いて、いま、人間存在の深淵を覗く、前人未到の物語が始まる。



レディ・ジョーカー〈上〉レディ・ジョーカー〈上〉
(1997/12/01)
高村 薫

商品詳細を見る







仕事始めは体が重いですね。私も職場で神田明神に初詣に行ってきましたが、10時前なのにすでに境内の外にまで人が溢れてました。景気はいいんじゃなかったの?




昨日も少し書きましたが、山口県岩国市の実家に帰省しておりました。そして両親といつも行く近所の焼肉屋へタクシーで(といっても田舎なので歩くと30分)。タクシー初乗りはなんと560円。しかも降りるときに母が「あー、500円しかないわ」。すると運転手さんが「はあ、500円でええですよ」と都会では考えられないリアクション。我々夫婦はあわてて小銭を探すものの運転手さんは「いつもお世話になっとりますけえ」とのコメント。運転手さんと知り合いというのも田舎ならでは(笑)

田舎の鷹揚さを久々に目にしたのですが、母よ、あなたの金銭感覚はいつのまにそんなに緩んだの!?



実家付近の光景。老人なので顔出しで(笑)



相当田舎です(笑)






さて、この帰省中に読んだのが高村薫3冊め「レディ・ジョーカー」。合田雄一郎シリーズ3作目でもある。前作の「照柿」が、合田雄一郎の内面にどこまでも迫っていくものだったのに対し、本作は一転、高村のデビュー作「黄金を抱いて飛べ」を彷彿させる群像劇になっている。

グリコ森永事件を題材とした企業恐喝事件を軸に、様々な登場人物が組織に殉じたり、組織を裏切ったりという人間模様が描かれている。合田雄一郎と犯人の対決も興味深いが、何より大企業の経営者が様々に下す判断が迫真の出来。企業人として責任、あるいは一人の人間としての責任が入り乱れる。過去に起きた私事のトラブルへの甘い対応が家族や勤務先にも大きな影響を与える。

「自らを計らわず」という言葉がある。自らの処遇に影響するような仕事にはタッチしない、言い換えれば自分にはいつも厳しく、といった意味なのだが、私はこの言葉を城山三郎が広田弘毅を描いた「落日燃ゆ」という小説で知った。本作はまさに自らを計らってしまったツケはいつか何らかの形で払わされる、ということをまざまざと思い起こさせる小説だ。高村薫が人間社会を見る目は常に冷徹。

レディ・ジョーカーの犯意がもう少しくっきりすればもっと凄い小説になったのに。☆☆☆☆。

1月3日の朝、有楽町駅の火事のニュースを山口の実家でぼんやり見ていたら、その日の新幹線で東京に帰る予定だったことを思いだし焦った。結局広島を1時間遅れで発車したので大事には至らなかったのだが、東京につくのもずいぶん時間がかかった。で、駅で待つのを覚悟していたので事前に買ったのがこれ。




ちょっと大きめの折り畳み傘くらいの大きさなので、リュックの横のポケットに突っ込んでおけば何かと便利そうだ。下に見えるアルミのシートも一緒に買ったもの。どうせ買うならキャンプでも使えるものを選んでいるところが我ながらキャンパーだなと(笑)

実際には駅ではあまり待たず、乗ってからが長かった(-_-) 折り畳み椅子もこんな形で役に(笑)



さて、本作。重たい過去を背負った二人の男が、同じく過去を背負う一人の女を挟んで対峙する。二人の意識はあくまで過去にあり、決して未来を見ることはない。二人の互いに対する嫉妬、現状に対する苛立ち、憎悪は果てしない。

傑作「マークスの山」と登場人物は共通しているが、断じて続編ではなく、ミステリーですらない。高村薫はこの作品で人間の宿痾、情念の深さを純文学として描きたかったようだ。「マークスの山」で手に入れた合田雄一郎という格好のキャラクターを使って、本当に欲しかったのは直木賞ではなく芥川賞だったと言いたかったのかもしれない。合田が登場する次作は、普通のミステリーに戻っているし。

その合田の相手として、日々灼熱の環境におかれる金属加工(高周波熱錬)工場の工員を選んだところはさすがというしかない。特に高周波熱錬の現場は常に逃げ場のない熱と鉄の重さがのし掛かる場所だ。人間が精神的に追い詰められるにはまたとない舞台である。(実はYoshi-Tも学生時代にバイト経験あり。かなりキツイ仕事です)

そして二人は互いの重さに耐えきれず、道を踏み外していく… 正月早々、ド迫力の人間ドラマを読んでしまった。ヤクザの親分との博打勝負の場面が凄い。☆☆☆☆☆。


高村薫の短編が読みたくなる。



照柿照柿
(1994/07/11)
高村 薫

商品詳細を見る

警察小説の最高峰と絶賛された直木賞受賞作。南アルプスで播かれた犯罪の種は16年後、東京で連続殺人事件として開花した。精神に<暗い山>を抱える「マークス」に迫る警視庁捜査第一課七係合田刑事の活躍 。

マークスの山 (ハヤカワ・ミステリワールド)マークスの山 (ハヤカワ・ミステリワールド)
(1993/03)
高村 薫

商品詳細を見る


マークスの山(上) (講談社文庫)マークスの山(上) (講談社文庫)
(2003/01/25)
高村 薫

商品詳細を見る





確か自分も20年以上前に読んだ本作だが、ゴロちゃんさんのサイトで紹介されていたので久々に読んでみたくなった。当時の印象に残ったのは、事件そのものの怪奇性もさることながら、警視庁や所轄の刑事同士の激しい競争や縄張り意識、捜査本部の地道な捜査と仕事に対する責任意識の高さだったと記憶している。警察小説の傑作だ。

今回読むに当たり、実は本書には単行本バージョンと文庫本バージョンの2種類が存在することを知った。では自分がかつて読んだのはどっちだったのか、両者の間にはどんな違いが存在するのか、そもそもなぜバージョンが2つあるのか。ただのミステリーならどうでもよいが、本作は直木賞を受賞している。両方同時に読むのは、量で凌駕する当blogとしては望むところだ(笑)

まず両作品の違いだが、先に出た単行本がジェットコースターのように犯人であるマークスに振り回され一気に物語が展開していくのに対し、文庫版では定石通りに捜査が進み警察の手により事実が明かされていく。最大の違いは主人公の刑事が犯人に気付くシーン。単行本では偶然撃たれた看護婦の部屋から凶器が見つかることで謎が一気に解けていく。文庫版では関係者が明らかになるにつれて過去の事件も順番に表に出てきて早い段階から容疑者リストに犯人が載せられている。

こちらが凶器になったアイスハーケン。2本で一組らしいが、マークスは1本だけ買ったので目立ってしまった。


これは推測だが、賞を受賞したあと、作者は実際の警察の捜査手法に照らして、作品の不自然さを認識したのではないか。もっと言うと、警察関係者から「実際の捜査でこんな基本的なことを見逃すことはあり得ない」と言った指摘を受けたのではないか。最近の警察小説は確かにそういったプロの目にも耐えるような描写になっているらしいが、当初本作が登場した頃には、これだけでも十分衝撃的だったのだが。

その結果、専門家には荒唐無稽と映る設定が消えたが、同時に作品からダイナミックさも消え、説明的になった。また、単行本では現場がもたつく間に事件が展開していくが、文庫版では現場は基本通りに捜査を進めているのに、役所の上層部の争いのせいで捜査が進まず、その間に次々と事件が起こっていく。もともと複雑に絡み合った謎解きを一部変更したため、辻褄を強引に合わせに行き、結果かなり無理のあるプロットを入れざるを得なくなっていたりもする。

犯人の性格も、単行本では他人の声に悩まされる障害を持つ男だが、文庫版では普通の生活も難しいほどの二重人格者になっている。そのせいか手に掛けた被害者数も単行本より文庫版のほうが2人少ない。単行本版の魅力は、ミステリーもさることながら、マークスと看護婦のロマンスが美しいラストシーンにつながるところだったのだが、マークスの人物設定を変えたため、看護婦の愛情は恋人ではなく保護者のそれになっている。

そもそももはや別物とも言える改変をやるには作家自身相当の葛藤があったと思うのだが、作品の性格まで変えるなら、いっそ別の作品として世に出すべきだったのではないか。この改変作業の方が新作を作るよりもずっと大変だったたと思うのだが。そこまでした作者の意図が知りたくなる一冊だった。単行本版☆☆☆☆。文庫版☆☆☆。


私が25年前に読んだのは単行本版ということもわかりました♪

女優・高峰秀子は、いかにして生まれたか―複雑な家庭環境、義母との確執、映画デビュー、養父・東海林太郎との別れ、青年・黒沢明との初恋など、波瀾の半生を常に明るく前向きに生きた著者が、ユーモアあふれる筆で綴った、日本エッセイスト・クラブ賞受賞の傑作自叙エッセイ。映画スチール写真、ブロマイドなども多数掲載。


わたしの渡世日記〈上〉 (文春文庫)わたしの渡世日記〈上〉 (文春文庫)
(1998/03)
高峰 秀子

商品詳細を見る





急に暑さが戻ってきてびっくりしてますが、明日は国立競技場で駅伝大会に出場予定。大丈夫だろうか(・・;)

読書記録を作者別にカテゴリー分けが完了しました。ゴロちゃんさんのブログのつくりをかなり参考にさせていただきました。これでかなり見やすくはなったとおもうのですが、そうしたらカテゴリーの一覧が異様に長くなったので、テンプレートのhtmlをいじってフォントサイズを小さくしてみました。小さすぎたかもしれません(汗

今日は戦前から戦後にかけて、子役から大女優に成長を遂げた高峰秀子の半生記をご紹介します。恥ずかしながら、堺正章の西遊記でお釈迦様を演じていた人、と思ったのだが、それは高峰三枝子でした(ー ー;)

一部では「ゴーストライターが書いたのでは?」との声もあったそうだが、「こんな個性的な文章、頼んでまで書いてもらわない」と版元に否定されたらしい。これは誉め言葉なのか…

特に戦中については、よく覚えていたなと思うほどの詳細な記述で、当時の世相がリアルに窺える。これだけでも十分読む価値がある。しかしこの本のより素晴らしいところは、女優・高峰秀子がなぜ大女優足り得たのかが垣間見える点だろう。

高峰は演技について、「どう演じるかの前に、その人物を正しく理解すること」と語っている。その裏付けとなるのは、物事の本質を見極める力だと思うのだが、それが本作の人物評価に表れている。一つは著名人との交わり。東海林太郎、谷崎潤一郎、梅原龍三郎などの大芸術家を観察するその目の付け所が素晴らしい。

谷崎潤一郎とは高峰が「細雪」に出演したことが縁だったらしいが、以後30年近くにわたり家族ぐるみの交際が続いている。谷崎の食へのこだわりや「細雪」をそのまま再現したような谷崎の家族の様子などが、本書にも鮮やかに描写されている。

梅原は高峰の肖像画を何点か描いている(本書の表紙も)。その内の一点は高峰が保管していたのだが、ある時国立博物館に寄贈することになり、それがきっかけで高峰が叙勲されることになった。しかし本業に関係ない叙勲で高峰は不快な思いをしたらしいのだが、梅原からも高峰に「こんなことで不快にさせて申し訳ない」と謝罪があったそうだ。庶民の私などは勲章がもらえればそれでいいじゃないかなどと思うのだが、この二人はお互いにプロフエッショナルだけに、何を誇りに思い何をそう思わないか、通じあっていたといえるエピソードである。

著名人ではない人達との交わりにも、高峰のものを見る目を示すエピソードが多い。特攻隊への慰問で「同期の桜」を歌い、それが確実に何人かの若者を死に追いやったと告白している。戦争が終わったとたんに反戦家に早変わりする人もいるなか、この告白は潔い。同時に、ハワイの日系移民の人たちが戦争中に遭った塗炭の苦しみについても語っているのだが、二つの祖国を持つ人たちへ注ぐ眼差しが実に温かい。

この感情移入ぶり、共感性の高さこそが彼女の演技力の源であろう。また何が正しいのかについて、自分の物差しをしっかり持っていることがわかる。本人は、自分はろくに学校に行っていないので読み書きが不自由と書いているが、なかなかどうして、本当に読み応えのある一冊だった。
☆☆☆☆☆。

↑このページのトップヘ