量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

カテゴリ: >か行

こういう自己啓発モノはめったに読まないのだが、ご推薦があったのでkindleで読んでみた。

嫌われる勇気とは、一言でいえば人の目を気にしすぎるな、という意味。
良くも悪くも「どう見られているか」が行動規準になっている人や、
人との相対関係のなかにしか価値を見出だせない人。

自分でコントロールできないものを気にするから苦しくなる。
それが自分の気持ちを追い詰める。

内容的には心理学というより「アドラー哲学」とでもいうべき中身なのだが、
この部分だけとると、心理学に見える。

これで思い出すのが「お先に、の心を無くすと自律神経がやられる」というお話。
「お先に」の反対は「俺が俺が」。
大きく見られたい人ほど、人に譲ってもらいたがる。
でかい外車に乗ってる人にたまに見掛ける(笑)
だからそれは求めるものじゃなくて他人が決めることなんだって。
いつもそんなことばかり考えてたら、ほんとに自律神経やられちゃうよ。

こういう人こそ、この「嫌われる勇気」を読むべき。
私などはもともと嫌われているので、それが正当化できてよかった(笑)

「別に嫌われたっていいじゃない」と割り切ると、とたんに人生が楽になる。
ランキングなんて自分が決めることじゃないと割り切ると、とたんにブログが面白くなる?
いや、それはないな…


にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ

にほんブログ村

起業のためにIT企業を辞職した多岐川優が、人生の休息で訪れた故郷は、限界集落と言われる過疎・高齢化のため社会的な共同生活の維持が困難な土地だった。優は、村の人たちと交流するうちに、集落の農業経営を担うことになった。現代の農業や地方集落が抱える様々な課題、抵抗勢力と格闘し、限界集落を再生しようとするのだが…。集落の消滅を憂う老人達、零細農家の父親と娘、田舎に逃げてきた若者。かつての負け組が立ち上がる!過疎・高齢化・雇用問題・食糧自給率、日本に山積する社会不安を一掃する逆転満塁ホームランの地域活性エンタテインメント。



限界集落株式会社 (小学館文庫)限界集落株式会社 (小学館文庫)
(2013/10/08)
黒野 伸一

商品詳細を見る






田舎の農村やら鉄道やら、潰れかけた会社やらを建て直す小説はよくある。でもその大半は、たまたま凄い有名人が支援者に付いてくれたり、村人が考えたキャラクターが全国で人気になったり。要はご都合主義のストーリーが多すぎるのだ。そしてこの本は少し違うのかと思って読んでみた。







やはり全国区のゆるキャラが登場した(笑)

主人公はバリバリのエリートで土に触ろうともしない。限界集落という割には東京から車で3時間。ゆるキャラのお陰でビジネスはどんどん上手くいく。おいおい、これじゃあこれまでのご都合主義小説と変わらないじゃん、と思ったらなんと村で傷害事件が発生し資金調達途絶の危機を迎える。

ここからの展開はなかなか良かった。主人公は私財をなげうって事業継続のために奔走する。このシーンにはなかなかぐっときた。どん底に落ちたビジネスをいかに再生するか。関係者全員が当事者になって取り組んでいく姿も泣かせる。ありきたりと言えばありきたりだが、少しホッとするお話。主人公の人間的成長の表現もさりげなくてよい。☆☆☆☆。

小さな町の食堂、その倉庫の奥の「穴」。その先にあるのは50年以上も過去の世界、1958年9月19日。このタイムトンネルをつかえば、1963年11月22日に起きた「あの悲劇」を止められるかもしれない…ケネディ暗殺を阻止するためぼくは過去への旅に出る。世界最高のストーリーテラーが新たに放った最高傑作。

11/22/63 上11/22/63 上
(2013/09/13)
スティーヴン キング

商品詳細を見る





ホラー小説の巨匠、スティーブン・キング(綴りからはステファン・キングだと思うんだが)の最新作邦訳版。この人は実生活でも相当苦労しているようで、若い頃に英語教師をやりながら小説を書いていて、やっと処女作「キャリー」を大ヒットさせたのに、その後薬とアルコールに溺れ、やっと抜け出したら今度は車に跳ねられて片足が不自由になったりと、不幸の星の下にいるような人なのだ。私も昔々に「スタンドバイミー」を読んだ気がするが、それ以外のホラー物には手が出てない。だって怖いんだもん(笑)

しかし今回タイムトラベラー物で大作をモノにしたということで、読んでみた。注目点は三つある。一つはタイムトラベルをどう見せるか。特に本作では「タイムパラドックス」問題を正面から取り上げている点で注目だ。タイムパラドックスとは「Back to the Future」でマーティの身体が透けてくるあれである。過去から作家たちはパラレルワールドを設定したりして説明を避けてきた。しかし今回はここに第二の注目点であるケネディ暗殺の謎が絡んでくる。本作の中で作者はケネディ暗殺の犯人について、作者なりの結論を示している。

主人公は友人から「過去に戻ってケネディ暗殺を止めてベトナム戦争での虐殺やそれに続くアメリカの過ちを正してくれ」と頼まれる。つまりパラレルワールドでケネディ暗殺を阻止しても意味はなく、今のこの世界そのものの過去に戻らないと小説が成り立たない。そこで作者は、過去への入り口を958年9月19日という特定の時間に固定するという荒業に出る。これでもし過去の修正に失敗しても、いったん現代に戻ってもう一度過去に戻れば何度でもやり直しが効くということになるのだ。

しかし現在につながる過去は、それ自身がまるで意思を持っているかのように変えられることに抵抗する。変えようとするといろんな厄災が主人公に降りかかってくる。それも主人公だけでなく、過去の世界で主人公が深くかかわった人たち、生徒や同僚、恋人などにも。この過去の人たちとの人間関係の作り方は、まさにスティーブン・キングワールド。「スタンドバイミー」を髣髴させる世界が読者を迎えてくれる。ここがこの小説の三つ目の注目ポイントだ。

そして過去は何度も修正を加えられることで、時空全体にねじれのエネルギーが蓄積していく。そしてケネディ暗殺は阻止できるのか。主人公たちの運命は・・・ この時空の歪の感じは、いかにも現代の天文物理学の洗礼を受けた作家ならでは。「宇宙創成」「重力機械」を髣髴させる。

上下巻1,000頁に渡る物語も、最後はこの3つをいかに調和させて終わらせるかに腐心しているように見える。若干強引さが感じられたのが残念。しかしこの主人公、英語の先生で小説家志望、おまけに本人ではないが別れた妻がアル中で、本人も傍観に襲われ片足を怪我する・・・ って、モデルはスティーブン・キングその人ですね(笑) ☆☆☆

こちらもポチっとお願いします。m(_ _)m
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村



☆☆☆

社長命令で、突然ニューヨークシティマラソンに参加することになった安部広和。かつて家庭教師をしていた社長の娘・真結を監視しろというのだ。(「純白のライン」三浦しをん)ニューヨークで、東京で、パリで。彼らは、ふたたびスタートラインに立った―。人気作家がアスリートのその後を描く、三つの都市を走る物語。


シティ・マラソンズ (文春文庫)シティ・マラソンズ (文春文庫)
(2013/03/08)
三浦 しをん、近藤 史恵 他

商品詳細を見る





ニューヨーク、東京、パリを舞台に、三浦しをん、あさのあつこ、近藤史恵というアスリートを描かせたら当代一の書き手たちがマラソンランナーを描く短編集。近藤史恵はこの三人の中ではマイナーだが、自転車乗りには「サクリファイス」でお馴染みで、特に競技中の選手心理描写が抜群に上手い。

>それでも、まだ私には見えない。
>華やかな絵葉書のような凱旋門やエッフェル塔と、わたしの住むナシオンや、よく出かけるベルヴィルなどの下町がどんなふうにつながっているのか。わたしにとってのパリは、観光地と生活の場に完全に分断されている。
(中略)
>ふいに思った。
>毎朝走り抜けて行くあの金髪の女性のように、走ってみればこの街が見えるだろうか。

これは市民ランナーなら誰もが感じている感覚ではないだろうか。自分も以前マラソンを始めた頃、中央線沿いに新宿、千駄ヶ谷、四谷、御茶ノ水と走ってみたのだが、思ったよりも近いことに驚いた。自動車や電車ではわからない感覚だ。また自分の脚で走ると、なんだか自分の居場所がわかった気になって、落ち着く。

>ふいに思った。たぶん、走ることは祈りに似ている。
>身体の隅々にまで酸素を行き渡らせて、身体を透明にして、祈る。

これぞ有酸素運動!(笑
習慣的に有酸素運動を続けていると、人の体の中の休んでいた細胞が蘇って、汗腺も増えるらしい。そうすると汗をかいても、非常に細かい霧のような汗が出てくる。体の中が浄化される感覚だ。近藤史恵はあの感覚を見事に表現している。取材ではなかなかこの材料はでてこないとおもうので、自分でも走ってるんだろう。

感情描写がどうしても未成年者を抜け出せないあさのあつこはともかく(笑、三浦しをんと並べても充分な筆力が近藤史恵にあることがわかったのは収穫。☆☆。

刑務所に送るか送らないかを決めるのは、遺族。
裁判で執行猶予がついた判決が出たときに、被害者や遺族が望めば、加害者の反省具合をチェックし、刑務所に入れるかどうかを決定できる制度「執行猶予被害者・遺族預かり制度」が始まって38年がたっていた。30年前、その制度の担当係官だった経験があり、今は大学の講師として教壇に立つ井川。彼は、「チャラン」と呼ばれるいい加減な上司とともに、野球部の練習中に息子を亡くし、コーチを訴えた家族、夫の自殺の手助けをした男を憎む妻など、遺族たちと接していた当時のことを思い出していた。
加害者を刑務所に送る権利を手に入れた時、遺族や被害者はある程度救われるのか。逆に加害者は、「本当の反省」をすることができるのか。架空の司法制度という大胆な設定のもとで、人を憎むこと、許すこととは何かを丹念な筆致で描いていく、感動の長編小説。

手の中の天秤手の中の天秤
(2013/07/11)
桂 望実

商品詳細を見る





人が肉親を失ったときその悲しみをどうやって乗り越えていくのか、そのプロセスの中に加害者への憎しみや恨みが存在する。本作では執行猶予被害者預かり制度という架空の制度を設定しているところが注目されがちなのだが、読み始めてそれはこの制度の係官の目を通じることでより客観的に遺族の悲しみを描こうとする仕掛けなのだということに気がつかされる。

この制度は一種の復讐の仕組みであり、遺族は加害者への刑の執行に関与することで恨みを晴らしていく。しかし実際の世界でも、復讐で肉親を失った悲しみが直接的に癒されるわけではない。いや、癒される場合もあるのだが、それは制度で与えられるものではなく、結局は本人しだいだ。

遺族は、自分がどんなに悲しいのか周囲にもわかってほしいと思う一方で、安易な同情や応援を拒絶する。2年前の震災のときも「簡単にがんばってって言わないで」という報道がなされたことがあった。当事者でなければわからない感情はある。一方で、ふと悲しみが癒えた時に、そんな応援で実は元気付けられていたと気がつくこともある。

あまり同じレベルではないので恐縮だが、自分が以前フルマラソンに出場してゴールが近づいてきたとき、沿道の観客から「あと2kmだよ。がんばって!!」と声をかけられたことがあったのだが、実はその場所はのこり2.2kmだったのだ。正直に言うと、この応援にはカチンときた。「応援するなら正確な距離を言ってくれ!」まったく余裕がない中だとこうなってしまうのだ。同じような話を、他のマラソンランナーのブログで見たことがあるので、たぶん私だけではないのだろう。

そんなことを考えさせてくれた作品なのだが、作者の林望実、すこし1人1人のせりふが長すぎる場合があることを除けば、なかなかスムースに読ませてくれるテクニシャンである。「県庁の星」ではプロットが散漫だという批評もあったようだが、本作では逆に悲しみにはいろんな形があるということを淡々と示してくれていて、最後まで読めば筆者の言わんとするところをクリアに理解させてくれる。重ための三浦しをん(笑)

ちょっと甘めで☆☆☆☆。

↑このページのトップヘ