量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

カテゴリ: >か行

このシリーズも、これまで本当に多くの人が亡くなってきました。
恐ろしいことではありますが、ここまでの犠牲者を挙げてみたいと思います。
各回で登場した主要登場人物がどの巻で亡くなったか、あるいは関係者を亡くしたか、整理してみました(一部重複アリ)。
10巻までに故人となった人は赤字です。(恐ろしい・・・)

さらば荒野
川中 ~ 生存 (弟・弟の妻:①、恋人⑩)
宇野 ~ 生存
藤木 ~ ⑥
神崎 ~ ①
内田 ~ ①
内田妹 ~ ④
碑銘
坂井 ~ 生存

③肉迫
秋山 ~ ⑩ (妻:③)
土崎 ~ 生存
安見 ~ 生存 (母:③)

秋霜遠山 ~ 生存 (内田妹(恋人):④)
蒲生 ~ ⑥

黒銹
 ~ ⑦
沢村 ~ 生存 (恋人:⑤)

黙約
桜内 ~ 生存
山根 ~ 生存 (夫・蒲生(叔父):⑥)

残照
下村 ~ ⑩ (元恋人:⑦)
沖田 ~ ⑦

鳥影
立野 ~ 生存 (元妻・息子:⑧)

聖域
西尾 ~ ⑨
高岸 ~ 生存

21人中11名生存。生き残っている人を挙げたほうが早いですね(^^;
私が一番残念なのは立野です。いろんな人が死んでいますが、子供を亡くしたのはこの人だけです。かつ、死ぬ覚悟だったり殺される理由なく死ぬのもこの息子だけです。このせいで物語全体が格段に重くなってしまった。

主人公クラスで、出てきた回ですぐに死んでしまうのは西尾のみ。語り手の死という、これも他にないパターンです。初期の北方作品では、よく語り手が死んでいました(「突然、あたりが暗くなった」とか)。
語り手の中で何も失っていないのは桜内だけです。情婦である山根には逃げられましたが(笑
変り種としては、下村は登場した回で左手を失っていますね。

参考までにストーリーもおさらいしておきます。
統一されたテーマとして、登場する人はみな自分の中の男を確認しようとして、死んだり生き延びたり何かを失ったりします。男であることを確認するよりも自分の利益を優先しようとした人は原則敵に回り、必ずどこかで川中チームに倒されます。

①川中の弟が勤務先から極秘資料を持ち出し殺され、その妻もやがて殺される。二人の死に責任を感じる川中と宇野は仇を取るがその過程で川中の盟友・神崎、川中の部下・内田は壮絶な死を遂げる。川中と宇野は表面上は仲違いをし、川中と藤木の間には師弟関係のようなものが生れる。
②川中と藤木を狙ってこの街にやってきた坂井だが、川中に返り討ちにあい、結局その手下に。藤木は一命を取りとめる。
③フロリダで妻を殺され、仕事仲間の土崎、娘の安見とともに日本に帰ってきた秋山は、敵討ちを成し遂げ、菜摘と結ばれる。
④内田の妹・悦子の心を取り戻すために断崖を登る画家・遠山。しかし悦子は凶弾に倒れる。
⑤沢村の恋人に対する気持ちが殺し屋・叶に乗り移り、沢村の思いを代わりに果たすが、沢村の恋人は叶のターゲットをかばって死ぬ。
⑥実は藤木はかつて所属した組の親分・兄弟分を殺害したヤクザだった。ただ一人生き残った兄弟分が巻き込まれたトラブルを藤木は解決するが、それと同時に二人は対決して相討ちに。
⑦死を間近にした医師・沖田についてこの街にやってきた恋人を追ってきた下村は、左手を失い沖田を深く理解するようになるが、沖田と恋人は壮絶な死を遂げる。
⑧厚木のスーパー店主・立野は別れた妻に助けを求められこの街にやってくるが妻は殺され、残された息子と心が通い合うようになったのもつかの間、息子は不慮の死を遂げる。
⑨いなくなった生徒を追ってこの街にやってきた高校教師・西尾。暴力には縁が無かったが、生徒を守るために戦い、そして勝つが命を失う。
⑩川中、秋山、立野、遠山の持つ土地を狙って現役閣僚の大河内が動き出す。秋山、下村が凶刃に倒れ遠山までが重傷を負い、宇野と川中はついに手を組んで最後の戦いに挑む。

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冬が海からやって来る。毎年それを眺めているのが好きだった。鈍く輝きはじめた海を見て、私は逝ってしまった男たちを想い出す。ケンタッキー・バーボンで喉を灼く。だが、心のひりつきまでは消しはしない。いま私にできることは、この闘いに終止符を打つことだ。張り裂かれるような想いを胸に、川中良一の最後の闘いが始まる。“ブラディ・ドール”シリーズ、ついに完結。

ふたたびの、荒野 (角川文庫―ブラディ・ドール)ふたたびの、荒野 (角川文庫―ブラディ・ドール)
(1993/06)
北方 謙三

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ブラディドール・シリーズ全10巻、ついに最終巻。ま、ちょっとまじめにレポートしすぎたかも(^^;
「剣客商売」全16巻みたいに、最後に10巻まとめてでもよかったのだが、1巻完結なのでつい悪乗りした。
さて、最終巻だけに語り手は主役の川中だ。冒頭から過去9巻で亡くなった登場人物への鎮魂で始まる。

>夕方の決まった時間、私はこの店へやってくる。開店前で、客はひとりもいない。シェイクしたドライ・マティニィを飲りながら、話をしなければならぬ連中がいるのだ。みんな、もう生きてはいない。それでも、私には連中の姿が見えるし。声も聞こえた。連中と言うほど、数も多くなった。

>この店一軒があればいい。時々、そう思う。この店さえあれば。連中も怒らないだろう。カウンターの中には私がいて、それぞれ連中の好みだった酒を作ってやる。そして、端から私が飲んでいく。連中にはもう、飲むこともできないからだ。

>煙草をくわえると、坂井がジッポの火を出してきた。そのジッポひとつをとっても、叫び出したくなるような思いがある。だから私は、自分に叫ぶことを禁じた。叫んで叫びきれるなら、私にはもっと楽な人生があるだろう。

まさに北方節の炸裂だ。宵の口のクラブのカウンターでドライマティーニを飲みながら死者と語らう男。叫ぶことを自分に禁じた男。北方ハードボイルドの真骨頂ですな。

これを最初に読んでしまったら、もうあとは男と男のぶつかりあいの世界に身を委ねるだけだ。今回も何人かの男たちが死んでいく。それを見送る川中と宇野弁護士。表面上対立しあってきた二人も、最終巻では力を合わせて巨大な敵と戦う。しかしその過程で、川中は久々に愛した女性を失う。

>「虫が良すぎたよな」私は呟いた。明子と二人で海を眺めながら暮す。所詮、私には夢以上のものではなかったのだ。私に、そういう暮しが許されるはずがなかったのだ。

よっぽどこたえたのか、もう一度この後「虫が良すぎた」と呟いている。
人が死にすぎることについては多分北方先生自身にも反省があるようで、安見にこう言わせている。これはストーリーを暴走させた作家の本音ではないか。

>「なによ、あんたたち」いきなり安見が立ち上がった。「なにが殺しのプロよ。映画を観てるんじゃないのよ。なんだって、この街の男どもはこうなのよ。ちょっとは、デリカシーというものを持ったらどうよ。野蛮さをまとめて海にでも捨ててくるといいわ」

この後、安見は母親である菜摘に平手打ちを食らい、さらに宇野弁護士に「言っていいことと悪いことがある」とさとされる。しかし安見はこの巻の冒頭で父親を殺されて、文句一つ言っていない。このくらい言ってもばちは当たらんとおもうのだが。


せっかくなのでどの位の数の男たち(一部女たちも含む)が死んでいったのかまとめてみたいのだが、それはまた今度。一部中だるみもあったものの、全体を通じて流れる北方流のニヒリズムの世界が見事に構築されている。極上のエンターテイメントであった。☆☆☆。


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高校教師の西尾は、突然退学した生徒を探しにその街にやって来た。「臆病なんですよ、俺は。自分でも情けなくなる…」西尾はそう呟く。だが、それでも自分を信じたいと思う。沈黙しつづけるばかりの人生に幕を下ろしたいと、西尾は願った。西尾は教え子が、暴力団に川中を殺すための鉄砲玉として雇われていることを知る。一体なんのために…。しかし、黙したまま堕ちていこうとした少年の決意を知ったとき、西尾の魂に火が点いた―。己の魂の再生に賭けた男の姿を描く“ブラディ・ドール”シリーズの第9弾。

聖域 (角川文庫―ブラディ・ドール)聖域 (角川文庫―ブラディ・ドール)
(1993/03/24)
北方 謙三

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シリーズも第9弾まできました。あと一息です。北方先生も先が見えたのか、ここで北方作品の基本に立ち返ったテーマ設定をしていますね。それはずばり「男になりたい!」です。オカマじゃありません。たとえばこの前作の「鳥影」では親子の対話の中での男を確かめていましたが、本作では男の要素の中でももっとも基本的な、自分は戦える男なのか、意気地はあるのか、を確かめたいという、男の本能に立ち返ったということですね。

そんなわけで登場するのは、高校で歴史を教える西尾教諭です。車の運転はめっぽううまいのですが、基本怖がりなのでそれを川中に見抜かれています。

>「本気で走ったことはないだろう」「どういう意味です?」「死んでもいいと思った。いや、死ぬことさえ忘れた。そんな走り方をしたことはないだろうっていうことさ」「限界まで走ってるつもりですが」「車と技術の限界までだな」

そんな西尾先生ですが、教え子の高岸クンを連れ戻すためにヤクザにサンドバッグにされたりします。いや、本当はそんなつもりで来たのではないのですが、成り行き上そうなっていきます。

>人に殴られた経験すらない私にとっては、この街に来てからの体験は、ほとんど夢に近いものだったと言っていい。客席に腰を降ろし、スクリーンを観ているような気さえする。しかしほんとうにあったことだ。鈍く持続する身体の痛みがそれを証明しているし、失禁したズボンの冷たさも、決して忘れることはないだろう。

ボコボコにどつかれることによって、彼の中で何かが弾けます。それが運転にも現れて、川中からもこう評価されます。

>「何があった、走り屋?」「えっ?」「この間と、違う人間みたいだった。粘りついてくるというのかな。うるさいくらいだったよ。ここで離そうと思っても、踏みこんでくる。度胸の据え方も、半端じゃなかったぜ」

実は高岸は川中に向けて放たれた鉄砲玉でした。絵に描いたような鉄砲玉の突進は川中にあっさり、一応手傷は負わせますがかわされます。そんな高岸に川中はなにかを感じたのか、久々のガチンコ宣言です!!

>「そいつが死ぬまで、やってやる。死ぬことが、そう簡単じゃないってことを、いやというほど教えてから、殺してやる」「ようし、ほうら立て。おまえ、いまから殴り殺されるぞ」

その戦いぶりは西尾先生の想像をはるかに超えるものでした。本シリーズ最強のファイター川中と川岸の戦いの結末をどうぞ。

>川中が殴り、高岸が倒れる。それが三度くり返された時、まだわずかに開いていた高岸の右の眼が、ぐるりと白く反転した。倒れた高岸の身体が、電気にでも触れたように痙攣している。一歩踏み出した川中が、立ち尽くしたまま高岸を見下ろし、しばらくして崩れるように倒れた。

それを見てアドレナリンがでまくった西尾先生は、高岸を鉄砲玉にした張本人、金山に戦いを挑み、そして勝つのです。

>踏み出して拳を出したのは、私の方だった。金山の顔が後ろにのけ反り、鼻から血が噴き出してきた。身体の中で、なにかが駆け回った。それは、荒々しいが、喜びに似ていた。叫んだ。腹の底から、雄叫びをあげた。

でもこの直後、高岸に借りを返そうと彼の弾除けになり、死を迎えます。でもよっぽど金山に勝ったのがうれしかったのでしょう。最期までこんな感じです。

>「喋るな」「ふん、俺は金山に勝った」

自分が意気地があることを証明できた喜びとともに、西尾先生はこの世を去ります。
本作では西尾先生は語り手なのですが、本シリーズの語り手として初めて死を迎えます。
前作のように、罪も覚悟もない子供が死ぬのに比べると、まったく重さを感じません。

>夏の空、三人の顔。そうだ、夏だった。そう思った。夏の空が、不意に暗くなった。

この終わり方は「弔鐘はるかなり」「逃れの街」の終わり方とそっくりですね。久々に北方作品初期のニヒリズムが戻ってきた感じがしました。さあ、物語はいよいよクライマックス。誰がどう弾けるのか、楽しみです。☆☆☆。

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男は、3年前に別れた妻を救うために、その街へやって来た。「なにからはじめればいいのか、やっとわかったよ。殴られた。死ぬほど殴られた。殴られたってことから、俺ははじめるよ」妻の死。息子との再会。男はN市で起きた土地抗争に首を突っ込んでいき、喪失してしまったなにかを、取り戻そうとする。一方、謎の政治家大河内が、ついにその抗争に顔を出し始めた。大河内の陰謀に執拗に食い下がる川中、そしてキドニー。いま、静寂の底に眠る熱き魂が、再び鬨の声を挙げる。“ブラディ・ドール”シリーズ第8弾。

鳥影 (角川文庫―ブラディ・ドール)鳥影 (角川文庫―ブラディ・ドール)
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陰謀に巻き込まれて殺された元妻。妻と一緒に家を出た息子との再会。そして息子は秘密を握っていたため狙われるが、主人公に助け出される。その過程で親子は絆を取り戻すのだが・・・。

息子の年齢が13歳。うちの息子も10年たてばこんな感じなんだろうかと思いながら読んで、思わず感情移入してしまった。父親と息子の会話から少しづつぎこちなさが取れていくのがいい。

しかし、このラストはないだろう。作者はここまでしてシリーズの最後まで読者をひきつけたかったのだとしたら、これは反則だ。読者の気持ちをもてあそびすぎ。必要ないだろう。これまでの登場人物は、ほぼ例外なくそれなりに自分の罪に対する意識だったり、死ぬ覚悟を持って死んでいったが、罪もなくその覚悟もない子供を死なせるとは。
ラストさえ違っていれば☆5つでもいいかと思ったが・・・。 ☆。


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「なにも言わずに消える。それが俺には納得できなかった」自分の前から、突然消えた女を追いかけて、青年はこの街にやって来た。癌に冒された男との出会い。滅びゆく男に魅いられた女との再会。青年は、それから生きていくためのけじめを求めた。やがて死に向かった男の生命の炎が燃え尽きたとき、友の瞼には残照が焼き付けられる。喪失しつづけた男たちが辿り着く酒場を舞台に、己の掟に固執する男の姿を彫りおこす好評“ブラディ・ドール”シリーズの第7弾

残照 (角川文庫―ブラディ・ドール)残照 (角川文庫―ブラディ・ドール)
(1992/12)
北方 謙三

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やはり前第6作で核となる人物(藤木)が亡くなったために、この7作目は筋書き自体がかなり中だるみしている。本来このシリーズは、その作品の主人公となる人が一人称で語っていく形式になっていたのだが(いま思えば街の中心人物である川中も今思えば第1作では一人称で語っていた)、前作では本来一人称で語るべき藤木の心の葛藤を周囲が見守る、という形式であったため、代わりの語り手を用意したのだが、やはり藤木が主人公であることは覆いようもなかった。そこで物語はこれまでのセオリーを一つ踏み外している。

今回も主人公(つまり人生をかけて何かと闘う人物)が癌と闘う人という設定だったので、癌の人の心理を描くことに躊躇があったのか、別の人物を語り手に設定している。その語り手は作品の中で左手を失ってしまうのだが、その痛みと本来の主人公の痛みを対峙させることで、語り手に主人公の心境を疑似体験させている、といっては言い過ぎか。そのシーン。

>沖田の痛みは、終わることがない。ひと晩耐えればいいというものではないのだ。生きていることそのものが、痛みのようなものだろう。

>「痛いですか、先生?」沖田が首を振る。「モルヒネ、貰ってきましょうか」「私も、意地を張るところがあってね」「つまらないな。つまらないと思いはじめましたよ」「大事なことだ」「痛いって、言いませんか、二人で」「二人で?」「誰も、聞いちゃいない」沖田の表情が、一瞬和やかなものになった。

痛みを通じて二人は理解しあったということだろうか。しかしこの後、沖田は自ら死を選ぼうとするのだが、そこがちょっと。さすがにこれ以上のネタバレはまずいので書けないが、なんだか無理やりストーリーを終わらせようとしたように見える。恐らく、これまでの6編で同じような終わり方があまりに多いので違うことをしようとしてうまくいかなかったという感じがするのだ。

あくまで推測ではあるのだが、いずれにせよ7作目までの中でもっとも凡庸なのが本作だ。☆☆。

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