量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

カテゴリ:●徒然 > 限界費用ゼロ社会

西暦21XX年。

人類は科学技術の進歩により、ついに資本主義と通貨システムを放棄。働かなくても生きていける社会を作り上げた。全ての人は等しく衣食住を満足な水準で与えられ、飢餓や欠乏、戦争からさえも解放された。

そんな社会であっても人間の本質である見栄や羨望といった感情は健在。従来の通貨に代わるものが経済価値を示すようになっていく。まさに21世紀における仮想通貨のようなものが生み出されたのである。




その通貨の名前は「Page View」。





そう、SNSにおけるPVが、働かなくてもよい社会において通貨の代わりになったのである。









1 限界費用ゼロ社会ブロガー

あらたな財を追加的に一単位生み出すためのコスト、すなわち限界費用がゼロとなった社会では、人間は生産活動から完全に手を引いた。すべてのエネルギーは再生可能エネルギーで賄われ、食料や衣料、住居に至るまで、もはや人間が額に汗して作ることはない。

医療ですら、いまやロボットが人間を診断して適切な治療を施してくれる。それどころか新たに発見された病原菌への対策もすべてロボットが対処する。

そんな社会であっても、人は他人よりもいいものを着たり食べたりしたい。そう、いくら科学が進化しても人間のエゴだけは消し去ることはできなかったのだ。

労働が姿を消した社会では、人間が新たに価値を生み出せるのは創作活動だけ。ここが経済価値を生む源泉となった。ちなみに22世紀の現在、経済の中に出版業は存在しない。出版したい人間は、自分の作品をネットにアップするだけだ。

もちろん前世紀にあった「ブログ」みたいに玉石混交ではない。今はネットへの書き込みもすべて何らかの形でモニターされているので、質の悪い文章や誹謗中傷などもすべて排除されている。もちろん政治的発言も、だ。

そしてめでたく自分の文章を世の中に出せた人間は、それがどれだけ読まれたかで評価される。あくまでどれだけ読まれたかが評価基準であって、恣意性が働くということで「いいね」の仕組みは禁止になった。

創作活動だけがAIが対応できなかった産業。そしていつしかPVは通貨と同じ価値を持つようになった。まさに仮想通貨だ。これが人間の唯一の生産価値の尺度になった。

通貨は世の中からなくなったが、やはり需要と供給に基づく業者淘汰の仕組みは残っていて、ブログへの広告掲載は需要喚起の大きな手段なのだ。だから読まれるブロガーは現金は手にはできないが、広告掲載により広告主から現物が支給される。

この仕組みによって人気ブロガーは良いクルマに乗り、いい服を着て、おいしいものを食べることができる。もちろん人気ブロガーには当然いいオンナ(あるいはオトコ)が群がることになる。

限界費用ゼロ社会は、人類の価値観そのものを転換させてしまった。面白い文章を書ける奴が、いいオンナ(あるいはオトコ)を抱ける。これが22世紀の価値観だ。
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この連載は月1更新、の予定・・・

(第1章はこちら→限界費用ゼロ社会 1

オレは突然のコールに覚醒した。
頭の中で時刻表示を呼び出す。
午前2時。
こんな時間にいったい誰だ。


限界費用ゼロ社会。そこは高度にソーシャライズされた世界。人が人とコミュニケーションを取るためには、単に意識の中でその相手を探すだけでよい。

そう、意識の中で相手に語り掛ければコミュニケーションが取れるのだ。もちろん21世紀の電話と同じように、発信番号が表示される感じで誰が話しかけてきているかはわかるし、もちろん居留守をつかうこともできる。

どうやら今日のブログを読んだランナー仲間のマツヤマらしい。悪いけどここはやり過ごそう。どうせ酔っぱらってかけてきているに違いない。それにしてもいったいどこから掛けてきてるんだ。

21世紀にごく初期のソーシャルネットワークが作られた時、あたかもプライバシー自体がなくなるかもしれないと人々は恐慌状態に陥った。実際に一部のソーシャルネットワークやモバイルデバイスの中には、顔面情報などの個人認証情報をあいまいな本人了承で取得し、個人情報をなかば勝手に収集しようとする動きがあった。

例えばデバイスに顔面情報を登録した場合、その情報を業者が勝手に使えば町の中の監視カメラに映るその人を識別できることになる。まさに1億総監視社会だ。そういった被害妄想を掻き立てるような小説まで書かれた。その小説では個人の性生活までが監視の対象となり、それに耐えられず多くの人が自ら命を絶った。(ザ・サークル [Kindle版]

これに対して個人情報にセンシティブなヨーロッパ諸国が個人情報の収集に対して強い制限を掛けた、いわゆるGDPR(※)などの規制の実現により、そういった恐慌状態は沈静化した。(※一般データ保護規則。2016年にEUで制定された実在する規制)

それ以降は相当に明確な形で本人が了承しない限り個人の情報が勝手に利用される可能性は低くなっている。個人の情報が世の中に出回るのは、本人が積極的に希望したときだけだ。

今日もマツヤマは居場所を隠して掛けてきていた。どうせいつものオンナのところだろう。いい身分なものだ。何しろマツヤマは現在ランニングブログ第3位。オレよりも走るのは遅いにも関わらず、だ。

お願いだからまちがっても酔っぱらって彼女との変な写真とか上げるなよ。もちろん公の場に出す情報は入り口で厳しくチェックされるので、あまりに低俗だったり下品な内容は出ていかないんだが。

さらに開示できる範囲にも限りがあって、普通の人はソーシャライズにはFacebookを使う。Facebookは人類最古のソーシャルネットワークだと言われている。それから100年がたったが、当時取り込んだグーグルアドセンスプログラムとAIの自動バージョンアップ機能のお陰で、創業者兼管理人が亡くなった今でも自動的に機能アップを続けて生き延びている。

Facebookでは本人が個別に認めた人しか個人の生活を閲覧することはできない。より広範に自分のプライバシーを発信するためには、Facebookで一定以上のPVを得ていることが必要だ。つまり、全国区に出るために予選があるのだ。

21世紀にも「ブログ村」というポータルがあり、個人が思い思いにつづったブログを世間に紹介する窓口としての機能をはたしていた。ブログ村はいくつかのカテゴリーに分かれていて、そのカテゴリー内でポイント制によりランキングが付けられていた。

ではランキングをめぐる戦いが熾烈だったかというと、実態の貨幣経済が機能していた時代だったのでほとんどの参加者は競争している意識すらなかった。もちろん「村」というだけあって、陰ながら村八分とかは存在していたようだが。

それに対して新時代のブログは「Blog City」というポータルに支配されている。PVという仮想通貨を通じた物々交換がなされているのもここだ。現実の通貨が存在しない今、PVの管理の厳格さはまさに中央銀行のそれに匹敵する。Cityという呼び名もロンドンの金融街「シティ」に由来しているらしい。村といった生ぬるいレベルではPVは管理しきれないのだ。

当然のことながらブロガー同士の競争も熾烈を極める。Blog Cityではカテゴリーごとにブロガーの定員があるのだ。いわゆる「0次関門」というやつである。もちろんクリック合戦などという前時代的な戦いではなく、ブロガーとしての資質を問われる正当な戦いだ。

定員の下位一定数のブロガーは、FacebookでのPVランキングの上位の者と、月1回の入れ替え戦で戦わなければならない。選考方法は「ブログ一本勝負」。制限時間内に制限字数の中で与えられたテーマで入魂のブログを書き、そこに付いたPVで勝負が付く。

そしてオレは今日、久々の入れ替え戦を戦わなければならない。マツヤマのコールは多分その件なんだろう。今のオレにはとにかく睡眠が必要なんだ。

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(カテゴリー新設しました→限界費用ゼロ社会

そして午前9時、ついに入れ替え戦が始まった。制限時間は30分。示されたお題は「あなたがフルマラソンを始めたきっかけ」。かなりノーマルだが、アマチュアランナーにも公平な設定だ。これが「世界と戦うには」とかになると、サブ2レベルのランナーでないとリアリティをもって書くのは難しい。

この22世紀ではすべての付加価値はPVに換算されて初めて使うことができる。プロスポーツ選手もすべてブログを書くことで豪奢な生活を成り立たせている。

もちろんプロの場合は、試合や練習のブログだけでなく、「マラソン大会解説」カテゴリーなどに登録することで糊口をしのぐことも可能だ。現在フルマラソンの世界記録1時間55分03秒を持つサミュエル・クプサングも、マラソンカテゴリーの上位10位以内に常に入る強豪ブロガーだ。

人類は100年掛かってフルマラソンの記録を7分しか短縮できなかった。同時にそのおかげで「サブ55」という言葉はサブ2の選手のみが使える称号になった。ちなみにブログシティのマラソンカテゴリーでは、一部の例外を除いて一番遅い選手でも2時間半を切っている。

そう、22世紀の現代、アスリートの価値は記録ではなくPVで計られているのだ。だから2時間を切れなくてもPVでマラソン界1の大金持ち、いや、大PV持ちなんていうこともよくある。大切なのは、いかに感動を表現するか、いかに面白いブログを書くか、ということだけなのである。ここだけは21世紀のブログ村と変わることはない。

しかしブログシティはマラソンカテゴリーだけではない。マラソンカテは「その他スポーツ」のサブカテゴリーなのだ。マラソン以外には「フィギュア観戦」というカテゴリーがあったりする。このカテゴリーには伝統的に選手は入れず、自宅でコタツに入りながら観戦するブロガーだけが参加を許されている。これはブログ村以来の伝統であり、ブログシティでも七不思議のひとつに数えられている。

もちろんその他スポーツもブログシティの中では下位カテゴリーであり、上を見ればきりがない。マラソンカテゴリーでもフィギュア観戦カテゴリーでもブロガーたちは、いつかは「素敵奥様」や「中学受験」カテゴリーに追い付くことを夢見て今日もブログを更新するのだ。それにしても私生活を切り売りするだけの素敵奥様って本当に幸せなんだろうか。



さて、今日の入れ替え戦のお題。オレがマラソンを始めたきっかけは、ジョギングを繰り返すうちに走行距離が伸びて、いつしか「これならマラソン走れるかも」という極めてよくあるパターン。しかしそれだけだとブログとしては面白くないので、当時自分がフルマラソンという距離に対して抱いていた恐怖心を交えて、初めてエントリーしたときのキヨミズダイブっぷりを中心に書く。

ちなみにブログのテキスト情報入力は意識コミュニケーション、通称テレパスを使って行い、入力した結果を実際のモニター画面で確認するという流れだ。100年前にはこれも手入力してたらしい。音声入力も一時流行りそうになったらしいが、日本語の表意文字を音声で認識するのはやはり何年たってもハードルが高く、40年前に開発されたテレパスで入力するようになったら誤変換率が0%になった。



制限時間内になんとかブログを書き終えたオレ。制限時間がある入れ替え戦の場合は写真を入れないで書いた方がまとめやすい。かつては凝った動画を入れるブロガーもいたが、テキスト情報とのバランスがむずかしく次第に廃れていった。やはりテキストブログは何年たっても最強なのだ。

ちなみにコミュニケーションはテレパスを使って意識の中で行うことができるが、公に公開されている情報はテキストのような可視化された情報に限定されている。かつてテレパスで情報が配信された時代もあったのだが、人別に情報をアレンジする行為が行き過ぎた結果、個人情報を常に覗かれていると感じる視聴者が続出。テレパスだと放送内容のモニタリングが不十分になることもあり、全てが下肢情報に限られることとなった。

投稿終了のボタンを押すと、あとは12時間の閲覧タイム。その間に見られた件数で勝敗が決するわけだ。結果が出るのは今夜遅くになる。それまではすることもないので、オレは今日のメニューを消化すべくジョギングに行くことにした。労働が無くなった今、ランニングもある意味仕事の一部なのだ。

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限界費用がゼロになった時、労働が無くなることで人間性が失われる、という福音派キリスト教徒が世界各地で猛烈な抵抗運動を繰り広げた。これに対し新たな社会の到来を切望する各国のキリスト教以外の宗教の信者が大連合を組み、抵抗派と賛成派でもはや内戦と呼べないレベルの戦闘が各国て繰り広げられ数万人規模での犠牲者を出した。世界はこれを「限界費用ゼロ戦争」と呼んだ。

これまで何世紀ものあいだ力での支配を行ってきたキリスト教徒諸国は、まさか自分たちの宗教の教義である職業召命感ゆえに追い詰められるとは思ってもみなかったであろう。最終的にはローマ法王が「職業召命感とは経済価値を得る行為に限られない」との宣託を発することで両派は和解に至った。つまりは、労働とは金を稼ぐことではなく、なんらかの形で世の中の役に立つことをすることと解釈されることになった。

実際にはこういう宗教的な議論の裏側に、資本による支配をあきらめられない強欲な市場主義者、功利主義者の存在があったようだ。が、事業体が税金を通じてではなく自ら労働者(いや、いまや労働しないのでただの人間)に対して直接配分する仕組みが作られたことで、彼らさえも個人の富そのものを放棄せざるを得ないことを理解したのだった。そうして世界の力関係は大きく変化することになった。労働分配率が大きく変化した。

そしてそんな騒動があったことが嘘のように、実際に労働が無くなっても人類は全然平気だった。特に、日本人が世界一勤勉な国民であったのはどうやら当時の世の中の風評に追随していただけのようで、いまや惰性生活ランキングでも世界中でモザンビークの次に怠惰な国民と認識されている。そしてそんな国において、何もしていない人は本当に何もしていない。

限界費用ゼロ化前、今から100年前にオレの曾祖父ちゃんが書いていたブログを読んでみると、曾祖父ちゃんは日本のそんな風評にもかかわらず当時から勤勉ではなかったようだ。なにせ40代に始めたマラソンにはまり、5年間ほぼ毎日ブログを更新し続け、本も毎月20冊読んで、曾祖母ちゃんとも週に1回以上はよろしくやっていたらしい。いったいいつ仕事をしていたんだろう。

一方で限界費用ゼロ化に最後まで抵抗していたキリスト教諸国は相変わらず熱心に色んな人の役に立つ活動をして、それをせっせとブログに書き綴り多額のPVを獲得している。ただ限界費用ゼロ化に際して武器の製造や取引もすべて排除されたので、いくらPVを獲得してもそれが国家間の戦争やテロの資金になることはない。こうして人類は絶滅を免れた。




シューズをアウトドアモードに切り替えて外に出る。今の科学の力なら屋外も屋内と同じように清潔で汚れない環境を作ることは可能なんだが、できるだけ自然を残すためにはしょうがない。人間、土にはできるだけ触れていたいのだ。だから外出する際のシューズの切り替えはいまだに必要な儀式なのだ。

サイバースペースの発達で、人間はどこに住んでも困らない便利な社会に一度はなった。でも仕事そのものがなくなると結局人間はフェイスツーフェイスの接触を好むものらしい。マツヤマもオレの近所に住んで、時々一緒に走ったり練習をしたりしている。もちろんいまだに物質伝送なんていう夢物語は実現していない。

さっき呼び出したらマツヤマも練習コースに来るようだ。スタート地点までゆっくりアップジョグで向かう。春の風がほどよく肌に心地よい。風は走るのに邪魔になるほどではない。2㎞ほど走ってスタート地点に着くと、マツヤマはもう来てストレッチを始めていた。

「よう、入れ替え戦」
「うっせー」
「今日はロング走でいいか」
「うん、先々週でシーズンも終わったし、今日はゆっくり行こう」
「はい。じゃあ、スタート」

最初はキロ4:00で入る。マラソンペースがキロ3分弱のオレたちにしてみたら、まさにジョグのペースだ。話をしながら走るだけの余裕がある。

「今日のブログの出来は?」
「まあギリギリ残れる感じかな」
「お前の文章は堅いんだよ。ランニングのことばっかりで」
「お前みたいにランニングのことほとんど書かないのよりましだ」
「いいんだよ、ブログはPVさえ取れれば」
「そのうちシティの市長から注意されるぞ」
「行政側にしたってPV全体が増えたほうがいいんだよ。成長は正義だからな」

そもそも投資という概念が存在しないので、いくら仮想通貨経済が成長したところで何の意味もないし、物に値段が無いのでインフレになる心配もないのだが、やはり動物の本能として獲物が大きくなるのはだれしも嬉しいらしい。パイが増えるとそのうちカテゴリーの定員も増えるんだろうか。

通貨システムが消滅し仮想通貨経済が成立すると、これまでの経済理論は完全に死滅した。そりゃあそうだ。そもそも生産に投入する資本とか材料とか労働とかを計る手段がないんだから。それにいくら計算しても、需要と供給が不一致になること自体がありえない。この経済ではすべてがオンデマンドなのだ。

それに何もしなくても安全に暮らしていけるようになると、人間の欲望自体が縮小していく。かつてはあんなにたくさんの種類が必要だった衣服も、最近はだんだん世界統一デザインが増えている。まるで20世紀のSFみたいにみんなが同じ格好をしている。それで差異化できなくてもみんな平気になってきたようだ。そして一部の人間だけがブログを書いて得たPVで着飾っている。

だからこんなに平和で医学が発達して人間の平均余命が極端に伸びても、世界の人口は70億人で止まったままだ。そう、人間の生存本能、子孫を残す本能はそこまで低下していた。
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「ちょっと上げるか」

10km走ったところでマツヤマが声を掛けてくる。望むところだ。2段上がって3:40で走る。額にうっすら汗をかいてきた。心拍数は130ちょっと。まだまだ余裕だ。

とそこに突然

「イシカワさんですよね?」

と声を掛けられた。いつからいたのか、すぐ横にエアロバイクが並走している。エアロバイクといっても21世紀の室内で漕ぐあれではない。文字通り空中に浮いて走行できるバイクのことだ。

21世紀ではこういった交通機関は歩行者やランナーと分離されていたが、交通事故を無くすために交通機関の質量が極限まで削られた結果、車道と歩道の区別はなくなった。それに仕事自体が無くなったため、だれも急ぎの用事が無くなった。

仕事が長引いてデートに遅刻しそうになる、なんてシチュエーション自体が存在しなくなったのだ。だから交通機関自体もスピードを出す必要が無くなった。もちろん荷物を運ぶトラックはすべて無人化されて、人の目に触れないルートを走っている。

「あんた誰?」

どうせどこかのスポーツブロガーだろう。

こういう連中は自分では走らず、ランナーに取材してそれをブログに書くことでPVを得ている。かつてはスポーツ雑誌という媒体が存在しスポーツジャーナリズムという分野まで存在したが、ブログシステムが発達した結果、これも文明から消滅した。今は誰もがパブリックに意見を発信できる時代なのだ。

「私はスポーツブロガーのトバリって言います」

一般市民などという存在がありえないように、一般スポーツなんていうスポーツも存在しない。自ら汗をかかない彼らスポーツブロガーは、つまりはPVのためだけにブログを書いている連中であり、我々のようなプレーヤーからは一段低い存在と言える。

プレーヤー自ら発信することが少ない時代にはこういったブロガーも存在価値があった。ブロガー≠プレーヤーの現代では本来は不要な存在である。ちなみにフィギュア観戦ブロガーは純粋に自分たちの楽しみのために大会を観戦して、その結果をブログに書いているので、スポーツブロガーとは位置づけが異なる。

「なんか用?今、練習中なんだけど」

「イシカワさんは今シーズンついに2時間を切りましたよね。その辺のお話をちょっと」

またその話か。
そんなオレでも入れ替え戦なんだよ。
いまどきサブ2なんて珍しくもないんだよ。
まったく。同情するならPVくれよ。

もちろんそんな気持ちはおくびにも出さず、こういった手合いは取り扱いを間違えると面倒なので、できれば丁重にお断りしたい。

「自分も歴史上のランナーに名を連ねられて嬉しいっス」

「それだけですか~? 2時間切った秘訣とかないんですか?」

「ないです。ただ黙々と練習してきただけです」

「なんか、特別なシューズとか、履いてません?」

ギクっとした。そのことに気付いている奴がいたのか。いや、こいつははったりをかましているだけだ。絶対にバレるはずはない。

「何を言ってるんですか。そんなもん、そもそも手に入らないでしょ」

そうなのだ。21世紀にずいぶん流行り、その効果の高さから「ドーピング」とまで言われたシューズがいくつか存在したのだ。しかしあまりにも効果が出過ぎたため、ルール変更が行われ、そもそも現代では生産自体がされていない。

「ああ、まっ、そうですよね。やっぱり疲労抜きジョグの効果ですかね~」

「そうですね。今シーズンは疲労を残さないことをテーマにしてましたから」

これは事実だ。最近通い始めたアスリート向け鍼灸院の先生からは、疲労抜きジョグの重要性を耳にタコができるくらい聞かされている。それは説教というより、洗脳に近かった。でもそのおかげで今シーズンはついにオレは2時間切りを達成できたのだ。

ということにしておこう。

それにしてもあのトバリってやつ、少し気を付けなければ。
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