量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

カテゴリ:●徒然 > 限界費用ゼロ社会

約30kmのビルドアップ走を終えたオレたち。とりあえずマツヤマの部屋に寄ってシャワーを浴びる。それから昼飯だ。

ランチはオレのスポンサーになっている「松屋」。高級和食店だ。全盛期では安い昼飯を食べさせる店だったらしいが、限界費用ゼロ化の際にベーシックインカムの仕組みにいち早く対応し、外食のトップ企業になった。もちろんベーシックインカム対応の店舗も「MATSUYA」という名称で健在だ。高級店である「松屋」はPVでのみ飲食ができる店なのだ。

店に入り支配人に席を頼む。

「いつもの席でお願いできますか?」
「実は今日は・・・」

支配人が言葉を濁す。

「ああ、いいですよ。別の席でも」
「ほんと、申し訳ありません」

厨房入り口横の席に案内されるときにいつもの窓際の席をちらりと見ると、そこは「素敵奥様」カテゴリーのご婦人方に占拠されていた。限界費用ゼロ化以降、ブログを書くことがある意味正当な労働と同等に位置づけられた結果、彼女たちの家庭内での地位は激的に変化した。

それまでは専業主婦として曲がりなりにも亭主に遠慮しながらブログ活動を行ってきた彼女たち。限界費用ゼロ化で一家の大黒柱に昇格。こういった高級店で昼間から食事をすることもブログネタになり、PVの拡大再生産が続いている。その効果は貨幣経済における中央銀行の信用創造効果に匹敵する。

それに比べるとマラソンランナーなんて一人で汗をかいて一人で満足しているだけだ。奥様の信用創造のような経済への波及効果はほとんどない。そもそもランナーの人口自体が少ないのだ。それに対して成人した人類の役半半分は素敵奥様およびその予備軍だ。読者の裾野が全く違う。

このカテゴリーのトップブロガーは人工衛星まで持っているという噂だ。そんなものいったい何に使うんだろう・・・ 世界の素敵奥様情報収集・・・・とか?

オレたちは少し背中を丸めながら席に着いた。

「オレはプロテイン三種盛り」
「あ、じゃあオレもそれにするわ」
「ステアじゃなくてシェイクで」

お前はダブルオーセブンか。プロテインをステアで飲む奴はいないだろ。

この店ではカラダ作りのためのプロテイン三種類を同時に盛って出してくれる。ちなみに味は全部和風。

「お前、さっきの話・・・」
「え、シューズのこと?」
「そう。ヤバくない?」
「いやいや。普通に走っただけだし。そんなシューズ持ってないし」

22世紀ではマラソン大会そのものが無くなっていて。原則全部単独走で記録を取る。単独だと記録が出にくそうだが、そこはバーチャルトレーナーが一緒に走ってくれる。もちろん他のランナーとリアルタイムでバーチャルに競い合うことも可能だ。

だから変なシューズを履いていても、発覚しないケースもある。というかそんなシューズ自体が手に入らないので、監視とかもされていない。PVも所詮仮想通貨なので社会全体が性善説なのである。

もちろん違反シューズといってもモーターが入っているわけではなく、単にランナーの持つ力を効率よく発揮させる形になっているだけなので、そんなに大幅なスピードアップも期待できない。それに効率がよすぎて、使った後は脚に大きなダメージを受ける。何週間かは普通の状態に戻れないくらいである。

「マツヤマは相変わらず調子よさそうだな」
「ブログがか?ランニングがか?」
「もちろんブログだ。ランニングだけ調子がよくても意味ないだろう」

マツヤマはブログシティのランニングブログランキング上位1桁の猛者だ。ランニングはそれほどでもないが、その語り口のうまさで人気が高い。

「ふっ、ブログか・・・・」
「なんだ、ランキング高いのに贅沢な」
「体験が薄いのに文章書かないといけないのもけっこうつらいんだぞ」
「そこをカバーするだけの感性がお前にはある」
「感性ねえ・・・」

そんなよもやま話をしたあとに、松屋を出てマツヤマと別れ、オレは家に帰った。そうしたら、シティの事務局からテレパスが入ってきた。
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事務局からの連絡は驚くべき内容だった。

「ですからね、もう1回マラソン走ってもらいたいんですよ」

どうやら入替戦で、同PVで同順位ということが起こったらしい。

「普通は上のリーグにいるものが残れるんじゃないの?」
「これまではそんなことが起こったことが無かったみたいで、ルールの不備なんですよ」
「だったら俺が不利じゃないか」
「なのでもう一回書いて再試合ってことで決まりました」

うーん。なんか分かったような分からないような。

「ブログをもう一回、なら分かるけど、なんでマラソンをもう一回なの?」
「もう一回紙の上だけの決戦をやっても読者が納得しないんですよ」
「つまりブログテーマが大会ってこと?」
「そうです。大会レポはマラソンカテゴリーの本流中の本流ですからねえ」
「しかしシーズンはもう終わったんだよ」
「そこをなんとか」
「古河はなももで燃え尽きたと思ったら、佐倉マラソンでもう一回PB狙えって言われてるようなもんだな」
「え?なんか言いました?」
「いや、なんでもない」

曾祖父さんの記録でよくみた大会の組み合わせだ。二つの大会は2週間しか離れておらず掛け持ちするのは無謀だが、佐倉マラソンは千葉県で開催されるため曾祖父さんは県民の義務として参加していたようだ。

しかしFacebookに降格されるわけにはいかない。オレはブロガーなのだ。ここは何とかして再試合に勝たなければ。

「分かった。分かりました。再試合を受けます」

勝負は3日後と決まった。しかしシーズン終了直後でオレの体調はそんなにいいわけではない。しかも今回はかなりのタイム、できればpBを更新して大会レポを書きたい。

というか、PB更新なら大会速報で多分勝てる。そしてPBを出すためにはあれが必要だ。あれが・・・・

オレは曾祖父さんの墓がある浦安市墓地公園へと向かった。浦安市は千葉県だが東京都の都県境に位置し、ほとんど東京を自称している。海に面した墓地公園を囲む形でランニングコースが作られ、首都圏のランナーたちの聖地となっている。このコースを全国区にしたのも曾祖父さんのブログだったらしい。

そのころにはなかったコースのクラブハウスも建設されて、すでに100年が経つ。風が強いのがたまに傷だが、坂がない代わりにそれもトレーニングメニューとして受け入れられている。

オレは最寄りの新浦安駅から、ジョグで墓地公園に向かった。途中のジョナサンで時間をつぶし、暗くなるのを待つ。そして午後6時、あたりが暗くなった。墓地公園の正門を堂々と乗り越えて中に入る。

門から300mほど入ったところに曾祖父さんの墓はある。なんでも山口県に実家の墓はあるんだが、曾祖父さんは曾祖母さんと墓の中でも二人きりになりたかったらしい。どこまでもスケベな爺さんである。墓の中でいったい何をしている事やら。

といいながら今からそこをオレは覗くわけなんだが、あの最中だったらどうしよう。

オレは平置きの墓石に手をかけ、チカラを込めて押していった。

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墓石の墓碑銘は「キミヨシとトモコ 愛をこめてここに眠る」。

そう、曾祖父さんの名前はキミヨシ、奥さんはトモコ。
墓石の下から現れたのは、曾祖父さんと曾祖母さんの骨壺。そしてボール紙の箱が一つ。
箱には「NIKE VAPER FLY」の文字が。

これが21世紀に世界中を席巻したフルマラソンサブ2専用モデル、ナイキヴェイパーフライだ。イシカワ一世の遺品だ。スピードランナーには薄底という当時の常識を覆した厚底。極端に前に傾いたソール形状、そしてヒールにはアウトソール自体が無い。

世界記録レベルだけではなく、サブ3を狙うランナーの間でも大人気を博したモデルだ。今のオレのコンディションでもこいつを使えば2時間切りは固い。100年前のモデルだが、幸いにも保存状態はよく加水分解も全くしていない。ナイキというメーカーの良心をここに見るかのようだ。


オレはシューズの箱を取り出すと、墓石をまた元に戻そうとした。その時、突然一陣の光がオレを照らし出した。

「イシカワさん、そこまでです!」

そこにはスポーツライタートバリの姿があった。その後ろにはカメラを構えた別の男の姿もある。発覚した衝撃から、脚が震え始める。目の前が回る。オレのPVが、ブログが、マラソンが。

「これが噂のヴェイパーフライですか。まさにご禁制品だ」

「ぐ、ぐぬぅぅぅ」

「それをこっちに渡してもらいましょう」

狡猾なスポーツブロガーのことだ。もうオレの姿はどこかに伝送されて、動かぬ証拠になっているに違いない。ここで抵抗しても意味は無い。

「こんな手段で勝って嬉しいですか?イシカワさん」

「こんな手段と言っても、生物学的には何の問題もないんだ。ランナーとして恥ずるところではない」

「強気ですね~。でもいつまでその強気を通せるかな?普通のシューズで2時間切れるんですか?」

「お前には関係ない。それにこの告発をブログでする気か?他のブロガーの批判記事は自動削除されるんだぞ」

「いいんです。あなたが普通に走ってそれで2時間を切れなかったら、その時にこのことを記事にします」

「事実だから批判にはならないという事か。卑怯者」

「ま、健闘をお祈りしてますよ。ちょっと中身を拝見」

トバリは箱のふたを開ける。

「あれ?」

どうしたのか。中身が入ってないってことはない。つい先日も2時間切りの時に履いたばかりなんだ。

「何も入ってないですよ。どこにやりました?」

そんなこと言われても知らない。どのみちもうオレが履くことはないのだ。試走まであと3日。オレは普通のターサージール100で記録に挑むことになった。

ちなみにこのターサージールも100年前から続いているモデルで、今履いているのは100年目記念モデルだ。
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いよいよ試走当日。睡眠はしっかりとった。あとは全力で走るだけだ。こんなことなら入れ替え戦の日にビルドアップとかやるんじゃなかった。サブ2には届かないかもしれないが、全力を出し切ろう。

ところでもうすぐスタートだが、いまだにマツヤマの姿は見えない。同じ時間にスタートしてバーチャルで合成されるはずだったんだが。

そしてついに試走がスタート。最初の1kmは心拍を上げないようにゆっくりと入る。21世紀のマラソン大会にはスタートロスという概念があったらしいが、バーチャルな大会なのでそういうロスも無い。


最初の1kmを2分55で走る。サブ2の平均ペースは2分50秒。したがって最後は2分40秒くらいまで上げなくてはならない。5kmは14分30秒で通過。平均2分54秒ペース。サブ2に対して20秒のビハインドだ。10kmは少し上げて14分20秒で通過。トータル30秒のビハインド。

突然マツヤマの意識が自分の意識の中に入り込んでくる。

(おい、イシカワ)

(なんだいきなり。しかもダイレクトに)

とここでオレはあっと思った。

通常のテレパスは大脳の意識に直接語り掛けてくるわけではない。あくまで言語中枢を経由して脳に語り掛けてくる。スイッチを切ったり入れたりできるのもそのためだ。

しかし言語中枢経由ではなく、大脳の意識に直接語りかける方法が一つだけある。その機能は、人間の脳が停止する直前だけ作動を認められている。そう、いわゆる走馬灯と言われるあれである。走馬灯がその人の意識の中で回っているときだけは、他人の意識に直接語りかけることができる。

この機能をLSD接続と呼ぶ。LSDはLast Second Directの略だ。なぜLSDCと呼ばなかったのかは知らない。LSD接続を使えば、言語中枢を経由していないのでごく短い時間に大量の情報をやりとりできる。

テレパスが開発された時にこのLSD接続機能も同時に開発されたのだが、意識に直接アクセスするので相手の考えていることもある程度読み取ることができてしまう。このためプライバシー保護の観点からLSDには機能制限が掛けられ、走馬灯との連動でのみ使うことが可能になった。

このお陰で世の中から「死に目に会えない」という概念が無くなった。人は亡くなる時、親族や世話になった人にLSD接続を通じて今生の別れを告げることができるようになったのだ。



実はこの時にもう一つ開発された機能がある。それがコンシャストランスフォーメーション、すなわち意識の移転だ。AIが発達したことにより、脳をCPUに直接接続してシナプスを模倣することで、意識だけは生き続けることも可能になったのだ。

もちろん技術的には可能ということで、そのCPUが外部と接触すること、すなわち外部のセンサーを通じて新たな経験を積むことは厳しく制限されている。これを許してしまうと、人間がまさに不老不死になるからだ。

脳をCPU接続することで生き延びた意識が、まれに生きている人の脳にLSD接続してくることもあり、その場合はまさに幽霊扱いされる。



そして今日現れたマツヤマの意識。つまりマツヤマの走馬灯が回っているということだ。マツマヤの身にいったい何があったのか。

(イシカワ、すまん。ヴェイパーフライはオレが持っている)

(え、なんでお前が)

(お前の祖父さんの墓から頂戴したのはオレだ)




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ヴェイパーフライを盗んだのはなんとマツヤマだった。

(オレは、オレは・・・)

(まさか2時間を切りたかったというんじゃないだろうな)

(・・・)

(なぜだ。お前はランキングはいつも上位1桁。何も不自由はなかっただろう)

(お前には分からない)

(何が?)

(お前のように毎回入れ替え戦に出てる奴には所詮わからん。入れ替え戦を脱出しても、次はランキング2桁が必ず欲しくなる。そうしたら次は1桁。そして1番になりたくなる)

(そんな。オレは足るを知っている)

(お前だって1桁までくれば分かる。そしてオレに唯一足りなかったのは絶対的なタイムだ)

マツヤマのベストタイムは2時間15分。特段遅いわけではないが速いわけでもない。ブログランキング上位のほとんどが2時間前後、特に2時間切りにチャレンジするブロガーが人気な中、マツヤマは筆力だけでそのポジションをキープしていた。

(でももうあきらめた。オレは疲れた・・・)

(なんでそんな馬鹿な真似を。ブログが命ってわけじゃないだろ!)

(お前は本当にわかってない。ブログは命なんだ。これだけが生きてるって分かる証なんだ)

(じゃあブログ書いてない奴は死んでるも同然ってことかよ!)

(そうは言わん。でも一度ランキング上位に上がってしまったら、そこから抜け出すのは難しい)

(だからシューズを盗んだのか)

(そうだ。そして今は猛烈に自分を恥じている)

(だからこんな馬鹿な真似を・・・)

(お前には世話になった。最後に礼が言いたかった)

LSD接続なので文字数と通信速度が比例しない。文字数が少なくても圧が高ければ時間がかかる。そしてマツヤマの意識がだんだん弱っていくのが感じ取れた。

(CPU接続で意識だけでも残せ!)

(もういい。意識だけ残ってもブログは書けない)

そう。意識をCPU接続で残した場合は外部センサーに接続できないので新たな体験が増えることは無い。いくらVRが発達した今でも、現実と仮想の隔たりはあまりに大きい。

(じゃあもう行くぞ・・・)

そしてオレの意識からマツヤマの意識が抜けていくのが分かった。そうして友人のいまわの際に立ち会っても、オレはまだ走り続けていた。





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