20世紀とはどんな時代だったのか―。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか―。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」。

時代の風音 (朝日文芸文庫)時代の風音 (朝日文芸文庫)
(1997/02)
堀田 善衛、宮崎 駿 他

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さて今回は、宮崎駿と司馬遼太郎の対談本があるとどこかで見て、借りて読んでみた。堀田善衛氏のことは恥ずかしながら知らなかったのだが、1918年生れ。司馬遼太郎が1923年生れで宮崎駿が1941年生れという関係になる。必然的に宮崎駿が大先輩二人の会話に聞き入るという形になるのだが、堀田氏、司馬氏が欧州の文化や言語の話を始めると、宮崎氏もそれなりについていくところが面白い。

経歴で拝見すると堀田氏は仏文学が専門で、欧州にも永らく居を構えられた由。当たり前といえば当たり前だが、このお二人に限らず年配の作家の方々は、ほぼ例外なく言語や言語学について造詣が深い。本書でもスペイン語やフランス語、バスク語などの類似性と非類似性の議論が登場したりする。若い作家の場合かならずしもこういった分野に関心がなさそうな人もいて、作品の奥行きにも影響があると思う。小説の3要素といわれるストーリー、描写、人物のうち描写が単調になってくる。

司馬氏もその偏向した歴史観から「司馬史観」などと言われるのだが、こういった対談や「街道を行く」などを読んでみると、小説はあくまでも小説だから特定の史観を持ち込んでいるだけだということに気付かされる。氏自身は例えば特定のヒーローが歴史を作ったなどとは考えていないように見える。

この3人の対談の企画は対談の推移を読んでいくと、どうも宮崎氏がファンである堀田氏から色々話を聞いて本にしたくて立てたもののように思われる。一方で司馬氏は司馬氏で宮崎作品を結構見ているようだから面白い。かなりの後輩に当たる宮崎氏も、このうまい組合せの中で存在感を発揮できている。「紅の豚」の着想やストーリー立てに対して司馬氏が強い関心を示しているあたりなどは、やはり司馬氏は歴史家ではなく小説家なのだと思わせてくれる。
☆☆☆☆。

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